3 モン族はシベリアからやってきた!?       宮本神酒男

 パリ外国宣教会から派遣され、ラオスやトンキン(ベトナム北部)のモン族のなかで布教生活を送った神父F・M・サビーナには、どうしても気になることがあった。

「(モン族の人々の肌の色は)黄色といっても薄くて、ほとんど白といってもいいのです。髪も明るいか、ダーク・ブラウンで、ときには赤かったりトウモロコシの毛のようなブロンドであったりもします。明るいブルーの瞳を持つ者もいます。中国系のほかの人々とはあきらかに違うのです」

 サビーナにいわせると、モン族は白色人種と黄色人種の中間にあり、両者が入り混じっているのだった。それはどういうことなのか。

「重要なことは、それらのことが、モン族の起源地がアジアの外であることを示しているということなのです」

 世界中に赴いた多くのカトリックの宣教師がそうであるように、サビーナ神父もまた1920年代にラオスやベトナム北部のモン族社会に入り、モン族の言葉を習得しただけでなく、あらたにローマ字から文字を考案し、また彼らの文化や宗教を研究した。それだけの知識がある学究肌の神父が「モン族はほかの黄色人種とは違う」と感じたのだから、そう思わせるだけの何かがあるのだろう。

 サビーナに確信を与えたのは、まずは言語だった。モン族の言葉は、中央アジアのコーカサス人種の人々が話したウラル・アルタイ語の一種にその起源が求められると彼は考えた。もちろん現在の言語学者はモン語とウラル・アルタイ語とのあいだに直接的な関連性はないとしている。

 言語以上に彼に確信を与えたのは、創世神話だった。

モン族の神話の中で、神は7日間で天と地を作った。大地ははじめ水で満たされていたが、神が10の太陽を作り出し、水を蒸発させた。水から最初に地が現れると、神は土をこねて人を作り、それに魂を与えた。それは話せるようになり、見ることができるようになり、二本足で歩けるようになった。最初の人間が夢を見ると、夢の中に女性が現れ、目を覚ますとその女性はとなりで寝ていた。神からの贈り物だったのである。ふたりは夫婦になり、子供がたくさん生まれた。 

 はじめ人間は死を知らなかった。しかしある日、神が触ることを禁止していた白いイチゴをある若い女が採り、食べてしまった。また、おなじ女が、神が近づくことを禁止していた泉に行き、その水を飲んでしまった。神は怒って人間に死をもたらした。そして人間を天国から追い出し、やせた土地に住まわせた。人間は食べ物のために働かねばならなくなった。 

 雨が降り始めた。雨は世界中で降り始めた。49日間雨は降り続き、ほとんどすべての生き物が溺れてしまった。大洪水が起こる少し前、二人の兄弟が畑で作業をしていた。彼らは昼間、畑を耕したが、夜になると耕したところが埋められていることに気がついた。頭にきた彼らは夜、隠れてだれが来るのかを見張って待った。やってきたのはひとりの老人だった。兄はこの老人を殺そうとしたが、弟は兄をとどめ、老人に「なぜそんなことをするのですか」とたずねた。

「畑を耕すなど無駄なことだからだよ。もうすぐ洪水がやってきて、大地は水の中に沈み、すべてのものは溺れるというのに」

 老人はじつは神だった。兄弟はどうすればいいか助言を求めた。神は、凶暴な性格の兄には鉄の船を作れと命じた。弟には木の船を作り、彼自身のために妹を、ほかのすべての動物や花、木、穀物の雄と雌とともに船に乗せるように言った。 

 サビーナはこれらのモン族の創世神話がバビロニアや旧約聖書の創世神話とよく似ていると考えた。なぜなのか。それは彼らの起源地がチグリス・ユーフラテス川だからではないのか。サビーナの考えでは、彼らは祖先の故郷であるバビロニアを出て、コーカサスやトルキスタンを通り、中国の北方へと至ったのである。

 さすがに現在、バビロニア起源説を唱える人もそれを信じる人もいないだろう。聖書の神話とモン族の神話に類似点があるとするなら、サビーナの先輩やサビーナ自身の布教活動の賜物なのかもしれない。

 モン族がもともと北方、おそらくシベリアにいたという伝説は、もうすこし真剣に検討すべきだろう。そこでは昼が6か月、夜が6か月つづくという。湖は凍り、人々は毛皮にくるまった。モン族は一度も雪や氷を見たことがないのに、伝説は「硬い水」や「美しくて白い砂」について語っていた。モン族の顔を見ると、シベリアに住んでいたとしても不思議ではないと思うのだけど(サビーナが言うほどにはコーカサス系の顔立ちは見られない)言語学的にはやや成り立ちがたい気もする。ミャオ語・ヤオ語はウラル・アルタイ語と近似しているとは言えないのだ。



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