5 蚩尤(しゆう)、九黎、三苗はモン族の先祖なのか 宮本神酒男
黄帝と聞いて、多くの日本人はユンケル黄帝液を頭に浮かべるかもしれないが、中国人にとってはだれもが知る中華民族の始祖であり、中華文明の創始者である。黄帝液のネーミングの由来はおそらく『黄帝内経』(前漢時代)という最古の医学書だろう。この書も黄帝が医学書を編纂したわけではなく、由緒あるように見せるため、つまり権威付けに名を冠したにすぎないのだが。
いまから5千年ほど前、黄帝部落(黄帝率いる中華民族の祖先のグループ)は炎帝部落と戦って制圧したあと、タク鹿の戦いで蚩尤部落と戦った。最終的に黄帝部落は蚩尤を捕え、殺したという。
前節の神話2のエピソードはまさにこのタク鹿の戦いのことを述べているように思える。黄帝部落が漢族(華夏族)だとするなら、蚩尤部落こそモン族(ミャオ族)の祖先のはずである。著名な学者である章太炎(章炳麟1869−1936)は「蚩尤はミャオ族の豪酋である。すなわちミャオはここにはじまる」と百年前に述べている。しかしミャオ族の学者を含む多くの学者は賛同していない。
鄭玄(AD127−200)が言うには「苗民(ミャオ族)、九黎の後裔なり」とのことである。もしこれが正しいなら、三苗は九黎の末裔ということになる。では蚩尤はミャオ族の祖先といえるだろうか。答えはノーだ。さまざまな書を見ると、蚩尤はただ「九黎の君」であり、九黎の父とはなっていない。九黎の族長でもない。蚩氏と黎氏は氏姓が違い、宗族が異なり、蚩尤をミャオ族の祖先とするのは無理があるというものだ。
張岳奇(「民族研究」1984)
どうやら三苗はミャオ族(モン族)の祖先であり、九黎は三苗の祖先であるとは言えそうだ。三や九は「たくさん」ということを表す数詞である。しかし蚩尤が九黎や三苗の祖先とはなかなかいえない。蚩尤は黄帝を首領とする正統派中華民族グループに対抗する非主流派のボスなのだ。
とはいえ非主流派の大半がミャオ族(モン族)だとすれば、蚩尤がミャオ族の祖先とはいえなくても、蚩尤部落がミャオ族の祖先と言うことはできるのではなかろうか。神話2から考えるに、5千年前の時点ですでに漢族とモン族の戦いは始まっているのだから。
三苗=ミャオ族(モン族)という図式は成り立つのだろうか。いま現在、中国南方の少数民族の二大派閥といえば、越系(チュワン族、トン族、タイ族、プイ族、水族などトン水語族)とミャオ・ヤオ系(ミャオ族、ヤオ族)である。モン・クメール語族やチベット・ビルマ語族は西南に隣接して分布している。三苗は、さまざまな支系を含むミャオ族・ヤオ族の人々を指すと考えていいだろう。
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