ヘルムート・ホフマン チベットの宗教 宮本神酒男編訳 

1章 いにしえのボン教 

 

 神秘と驚嘆に恋い焦がれる西欧の人々にとって、その住人が「雪の国」と呼ぶチベットほど情熱的な好奇心を呼び覚ます国もないだろう。世界で最も巨大な山脈、ヒマラヤとカラコルムに縁取られた、はるか高みの茫洋たる高原では、日々、夢物語のような冒険が繰り広げられていることだろう。奇妙な宗教的考えや実践修行であふれるこの神秘の森においては、もっとも驚くべき超心理学的現象でさえ奇異なことに思われないかもしれない。自然の要衝ともいえる地理的条件によって守られたこの国を何百年にもわたって支配者してきた者たちは、しかし秘密のヴェールをさらに厚くしてきたのである。

 19世紀前半、勇敢で、才能あふれたハンガリーの探検家チョマ・ド・ケレシュが、チベットの言語や文明に関する学術的調査の第一の扉をあけたのは、たしかである。しかし数多くのまじめな研究者たちのなかでこの方面をテーマに選んだ者は――あらゆる面からのアプローチも困難だったが――そんなに多くはなかった。彼らの努力は一般大衆の興味の対象ではなく、彼らによって勇気づけられることもなかった。その結果、大半は価値がない、ロマンチックな文学が途方もなく膨れ上がることになった。なかには奇妙な主張をするものがあったが、彼らは神秘主義やオカルトを好むエキセントリックな連中だった。チベットやその宗教について知りたがっている教育を受けた西欧人にとって、役に立つ情報はかなり限られていた。

 こういった状況がないまぜになって、チベットはあたかも歴史がないかのように見えた。あるいはチベットには、奇妙で難解な、珍奇なものしかないかのようだった。ゆっくりとだが、比較的最近になって、状況は変化してきている。少数ながらも熱心な学者たちの功績が、新しい発見があったこともあり、一般大衆からも認知されるようになってきたのだ。

 国と文明のより真実に近い姿が徐々にあきらかになってきた。そして多くの奇妙な驚くべき現象が観察されつつも、チベットはもはや歴史のない国などとみなされることはなくなった。秘密のヴェールは次第に開けられ、それなりの発展の仕方も理解し、内側の奇妙な世界をだんだんと知ることができるようになった。タリム盆地のはじに近年発見された(シルクロードの)文明とともに、アジア史における立ち位置がわかってきた。

 今日のチベットの文化的、宗教的相貌は、二つの大きな勢力が与って形成されてきた。インドの布教的性格を持った宗教である仏教は、外面的には、当時の情勢のもとでは支配的であり、千年以上にわたって雪の国(チベット)の運命を握ってきた。一方で土着のチベット人の物の見方と生活様式は、外面的には敗北を喫したとはいえ、国民生活の精神的、心理的分野のすべてに浸透していた。

 チベット人の心理的状況を見ると、彼らは二つの極の間で揺れていた。輝かしく、ダイナミックで、実が結ばれた、歴史的な極が一方にあり、陰鬱で、活気がなく、原則的に非歴史的な極、すなわち古代チベット人の宗教がもう一方にあった。

 「ボン」という言葉の起源はわからなくなってしまっていて、定義づけするのはむつかしいが、呪文を唱えることによって神々を呼び出すことと関係がありそうである。このあと述べていくように、チベット北部と東部には、じつに多くの名目上のボン教徒がいる。この地域のボン教は何百年もの間に仏教の多大な影響を受けてきた。仏教は古代の土着の宗教勢力を取り入れてもきた。それは仏教のやっかいな敵対勢力でもあったのだが。上師、あるいは高位の僧侶を意味するラマという言葉からラマ教と呼ばれたチベット仏教は、インドから入ってきて国中に広がったブッダの教えとチベットの土着の宗教的要素が混じったものだった。




(つづく)