虚ろの地球 D・スタンディッシュ 

8 地球の空洞は生きている 

 

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 1940年代はじめ、アメイジング・ストーリーズ誌はエネルギッシュな新しい編集者を擁していた。レイ・パーマーは120センチを少し超えたほどの精霊のような小柄な若者だった。1926年に初のオールSF小説雑誌として、この語を考案したパイオニア的編集者ヒューゴ・ガーンズバックによって創刊された当誌に新しい息を吹き込むため、パーマーは1939年に迎えられたのだった。しかしパーマーがやってきたころの当誌はすでに瀕死の状態だった。熱意がなく、発行部数も下落の一途をたどっていた。

 パーマーはSFの、とくにこの部門の元老ともいえるバロウズが世に送り出した「ビフ! ザップ! パウ!」スペースオペラと呼ばれるジャンルが好きだった。そして雑誌をこの種のSFで埋めるようになった。これに関して彼が絶賛されたわけではなかった。同じころ、1930年頃に創刊されたアスタウンディングSF誌がもっとも手ごわいライバル誌となった。若い作家たち、たとえばアイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリ、ロバート・ハインライン、シオドア・スタージョンらはそこに作品を発表し、現代の伝説的アイコンとなっていった。彼らはSFの黄金世代と呼ばれた。一方でアメイジング・ストーリーズ誌に寄稿していたごまんといる作家たちのほとんどは忘れられかけていた。そんな流れのなかに、パーマーが登場した。彼は手始めに無教養の若年層へのアピールを試みた。決め手となったのはシェイヴァー・ミステリーである。それによって雑誌の発行部数は見事にV字回復を遂げた。

 パーマーはのちに述べている。

 

 ある日「世界が失ってはならない」古代アルファベットについて書かれた投書が送られてきました。編集長のハワード・ブラウンはそれを読んで――典型的な態度で――ゴミ箱にポイと投げ捨てたのです。ゴミ箱には「世界はいかれたやつでいっぱい」と書かれていました。わたしはゴミ箱から投書を拾いあげました。そして古代文字についていろいろと調べ、いくつかの実験を施したのです。わたしは英語以外の言語に慣れ親しんでいる人々のいるオフィスのあたりへ行きました。そして興味深い結果が得られたのです。十分でした。わたしは投書をアメイジング・ストーリーズ誌に掲載しました。

 

 1943年12月号に掲載された投書はリチャード・S・シェイヴァーから送られたものだった。そのなかで彼は――パーマーの助けを借りてだが――彼が発見した古代文字が多くの英語の語彙にあとをとどめているのは、「アトランティスが実在したことの証拠であり(……)神の伝説は、現代人より智慧のある人種がいたことを示している」と主張した。言うまでもなく、この人種は地球の空洞に住んでいた。

 読者からたいへん大きな反響があり、パーマーは驚かずにはいられなかった。シェイヴァーは時を置かず『人間への警告』という題の1万語の文を提出した。それはパーマーによって書き足され、文章が整えられ、3万1千語にふくらみ、『レムリアの記憶(直訳すれば、私はレムリアを覚えている)』と改題された。これがシェイヴァー・ミステリーの第一作目である。この文には、進歩した地底の人種の生き残りと実際に出会ったシェイヴァーの体験が詳しく描かれている。これが掲載されたアメイジング・ストーリーズ誌1945年3月号は12万5千部を売り切った。シェイヴァーは手にいくつもの原稿をかかえていた。パーマーによって大幅に書き直された『レムリアの思考記録』が掲載された次号は、パーマーによれば、ともかくも20万部発行された。実際の発行部数は発表されていない。編集部は何千通もの投書であふれかえった――パーマーに言わせれば最初だけでも5万通ということだが――そのほとんどが巨大な迷路のような洞窟のなかで奇怪な生きものと遭遇した体験といったことについて書いていた。「本当の体験」がそこでは強調されていた。パーマーのシェイヴァー・ストーリーは人々の心の琴線に触れたのである。それは奇妙であり、意表を突くものだった。パーマーは矢継ぎ早につぎのストーリーを繰り出した。およそ二年間、アメイジング・ストーリーズ誌は毎号シェイヴァー・ストーリーをフィーチャーした。その頂点といえるのは1947年6月号だった。

 刊行物として、最近はオンライン・ジャーナルとして『地球空洞インサイダー』を何年間も出してきたデニス・クレンショーはシェイヴァーの主張を簡潔にまとめあげている。

 

 1万2千年以上前、タイタン・アルタンスとして知られる種族が遠い惑星からやってきて、地球に定住した。彼らは最初アトランティス大陸に住み、この新しい惑星全体に広がっていった。これら宇宙人は思考移送によってコミュニケーションをし、光速で移動する宇宙船を持っていた。彼らはまた現代のわれわれ以上に遺伝学の知識を持ち、彼らのよごれた仕事をするロボット種族を作り出した。これらロボット種族のひとつがわれわれの先祖だった……。彼らはまたとてつもない機械を作り出した。それによってほしいもの、必要なものをまかなうことができた。また科学者のトップは、太陽とそれが発する厳しい放射能光線が年をとらせることを発見した。彼らは可能なときは既存の洞窟を利用し、あるいは巨大な機械を使ってより大きな洞窟を掘り出し、巨大な地下洞窟都市を建設しはじめた。長い時間のあいだにこれら洞窟の地域は外側の世界の二倍ほどにも成長した。しかしながら地下に進んでいっても解決にはならなかった。地球全体が汚染されたので、タイタン人はほんの数百年間住んだだけだった。彼らはこの惑星を去ることにした。シェイヴァーによれば彼らの人口は5千万人以上だった。しかしタイタン人すべてをのせるだけの宇宙船はなかった。そのため多くのロボットが残されることになった。われわれの祖先となる人々は地上に戻り、太陽の放つ放射線に適応した。そして多くの年月が流れ、彼らは足元の下の洞窟について忘れてしまった。一方で多くのロボットは洞窟都市のなかに残った。彼らは生き残り、子孫を残したが、彼らのほとんどはシェイヴァーがデロ(デトリメンタル・ロボットの省略形)と呼ぶ精神病の小人である。洞窟にはほかに生きのびたデロの精神面も肉体的も劣化した者たちがいた。彼らはテロ(統合的ロボット)と呼ばれた。デロたちは去っていったタイタン人が残したすばらしい機械のコントロール下にあった。彼らは地球の外側にいる人間たちにトラブルを与えようとした。シェイヴァーによれば、列車や飛行機、車の事故からつまずいたり、鍵をなくしたりするようなことまで、すべてはデロのせいだった。

 

 パーマーが雑誌を売るためになんでもやっていたのに対し、かわいそうなシェイヴァーはあきらかにいたってまじめだった。本人は真実を語っていると信じていた。シェイヴァーは1907年、ペンシルバニア州バーウィックの生まれで、精神疾患の病歴があった。青年期にはフィラデルフィア地区で食肉加工業の仕事をしたり、植栽業者のアシスタントをしたりしていた。1929年までにデトロイトに移り、ウィッカー芸術学校で学び、授業料を払うためヌードモデルをしたこともあった。禁酒法の時代、彼はバスタブ・ジン(自家製の酒)を作って生活資金の足しにしたこともあった――当時はだれもがやっていたことではあるが。1930年には共産主義を信奉するジョン・リード・クラブ(過激な共産主義者のジャーナリストの名にちなんだもの)に加入した。1932年までには、彼は自動車工場の生産ラインの溶接工として働いていた。1933年、彼は結婚し、一女をもうけた。しかし1934年、兄が突然亡くなり、彼はそのことを悪くとらえた。六か月後、妻の要求に応じて、ミシガン州のイプシランティ州立病院に精神異常の疑いで入院することになった。医師の診断書によると、彼は「だれかに見張られ、つけまわされている」そして「医者がおれに毒を盛ろうとしている」と主張した。フェイト誌2005年6月号のなかでダグ・スキナーはつぎのように付けくわえる。

 

 彼はマックスという悪魔によって兄が殺されたと主張していた。そして今度は彼が殺される番だという。治療によって彼の病状はいくらかよくなっていたに違いない。であるからこそ1936年のクリスマスに両親のもとを訪ねることが許されたのだろう。しかし彼はもうひとつの悲劇を知ることになる。妻のソフィーがバスタブの中でヒーターを動かそうとしたとき、感電して死亡していたのだ。彼女の家族が娘の遺体を引き取っていた。シェイヴァーはイプシランティ病院には戻らなかった。彼は今悪魔が彼を苦しめていることに確信を持った。つぎの数年間、彼はあてもなくさまよい、いやおうなしに妻と兄を殺したと彼が信じた怪物を振るい落とそうと試みた。のちに彼はしばしばこの時期のことを思い起こした。しかし彼の記憶は混乱し、矛盾さえあった。夢や幻影と現実を分けるのは困難であったと彼自身が告白している。彼は密航して英国へ行こうと船に乗り込んでいる。数回彼は刑務所に入れられた。彼は巨大な蜘蛛にさいなまれた。いずれかの時点で彼は精神病院へ戻っている。マックスはしかしつねに彼のあとを追っていた。

 

 1940年代から50年代にかけて、いくつかの雑誌にシェイヴァー・・ミステリーはカバーストーリーとして掲載された。それは悲しい話だった。パーマーは徹底的にシェイヴァーを利用しようとしたのである。1943年にパーマーとの関係が始まって以来、シェイヴァーはシェイヴァー・ミステリーに加筆しつづけた。それは1975年に彼が心臓発作で倒れるまでつづいた。

 いうまでもなくそれは邪悪な精霊、ゴブリン、夜跳躍する魔物など、古くから言い伝えられてきたものを暗い偏執的なSFに焼き直したものだった。これらは現代においては、宇宙人によって作られた邪悪なマシーンから放たれた光線に変容した。古いワインを新しい容器に詰め替えたようなものだ。

 今から考えると、シェイヴァー・ミステリーからこういった変化が生まれているのは驚くべきことだった。1947年、パーマーは看板を書き換えることになる。空飛ぶ円盤の登場である。6月25日、AP通信の短信が配信された。

 

 6月25日オレゴン州ペンドルトン(AP):アイダホ州ボイシのパイロット、ケネス・アーノルドの報告によると、9つの明るく輝く皿のような物体が1万フィート(3300m)の上空を信じがたい速度で飛んでいた。それが何であるか憶測で語ることはできないと彼は述べた。

 全米森林局のアーノルドは行方不明になっていた飛行機を捜索中だった。謎の飛行物体を目撃したのは昨日の午後3時だった。それらはワシントン州のレニア山とアダムス山の間を飛行し、編隊を組んだり解いたりしていた。アーノルドは、飛行速度は時速1200マイル(1900キロ)に達していたと推測した。

 

 報告はやや曲解して伝わった。アーノルドは実際それらが皿の形をしていたとは述べていなかったのだ。それらは「水面上をはね飛ぶ皿のように、不規則に飛んでいる」そして「円形ではなかった」という。しかしレポーターはあきらかに勘違いしていた。こうして空飛ぶ円盤(flying saucerは飛ぶ皿の意)は生まれた。

 アーノルドが堅実で平均的な人物であったことは覚えておくべきだろう。彼はイーグル・スカウト(ボーイスカウトのエリート)であり、1932年から33年にかけてノースダコタ州選出の全米高校フットボール・プレイヤーだった。そして40年代前半には消防器具を売るため北西海岸のあちこちを飛行し、ときには臨時の連邦執行官となり、各地の刑務所に受刑者を送り届けることもあった。また長年、赤十字の現場の代表者でもあった。彼はけっして変人ではなかった。彼は奇妙な飛行物体を見たにすぎなかった。

 レイ・パーマーは犬が骨に飛びつくようにアーノルドの話に飛びついた。7月はじめ彼はアーノルドとコンタクトを取り、アメイジング・ストーリーズ誌にUFO目撃についての記事を書くよう要請した。そしてさらに調査して、三週間後にレポートするように依頼した。

 すぐに空飛ぶ円盤はシェイヴァー・ミステリーの主要なテーマとなった。なぜならシェイヴァーは早くから長老たちによって建造された宇宙船について語っていたからである。あらたなストーリーのなかで、地底王国に宇宙船とともに、わずかながら長老たちは生き残っていた。彼らは地表の世界をチェックするために、ときおりこの空飛ぶ円盤を用いた。

 そう、空飛ぶ円盤の本当の源は、地球内部の空洞だった。

 1940年代後半から50年代はじめにかけて目撃情報は急増した。そして空飛ぶ円盤フィーバーは、これを事実とみなすSFファンやその他の超常現象を信じきっている一部の人々にとどまらず、全米に広がった。当時、アメリカ人が日常的に何に興味を持っているかを知る指標となったのは、最大発行部数を誇ったライフ誌である。その1952年4月7日号の表紙を飾ったのは、「マリリン・モンロー、ハリウッドを語る」というキャッチと彼女の魅惑的な写真だった。表紙のもうひとつの見出しは「惑星間飛行物体の謎」だった。キワモノ的な雑誌ではなく、アメリカのもっとも主流とみなされる一般大衆向けの雑誌の表紙の話である。証拠となるプロによる、あるいはニセモノの写真をならべたあと、それらを徹底的に吟味し、記事はつぎのようなこのあとのブームを予感させる結論を導き出している。

 

 夜空に走る閃光を見れば、いかに洞察力があったところで、空飛ぶ円盤の謎の前には無力である。なぜ音を発しないのか。不気味な輝きをどう説明するのか。空を猛スピードで突っ切るそのパワーはどこから来るのか。だれが、あるいは何が乗っているのか。どこからやってきたのか。なぜここにいるのか。彼らの意図とは? こうした重大な疑問を前に、科学と人類は、ただ驚くのみである。答えが返ってくるには一世代の時が必要だろう。あるいはあすにも謎が解けるかもしれない。暗黒の空のどこかに答えを知っているだれかがいるかもしれない。

 

 パーマーはこのネタをうまく使い、いかにそれが価値あるものであるかを強調した。そして1952年、彼とケネス・アーノルドは共著で『空飛ぶ円盤の到来』を著した。国全体を空飛ぶ円盤フィーバーに巻き込んだ張本人はパーマーといわれる。非難されるのは、名誉なことだろう。たしかにほとんどひとりでシェイヴァーを、ついでアーノルドを利用し、「Xファイル」に示されるようなスタイルを築き、パーマーはいわゆるユーフォロジー(UFO学)の基礎をなす根拠とことばをつくった。パーマーなしにFBI捜査官のスカリーとモルダーは存在しなかった。

 シェイヴァー・ミステリーにあらたに空飛ぶ円盤の要素が加わると、地球の空洞のとらえかたは――内部に空洞があるという考え方はあった――時間がたつにつれ、変わってきた。1945年8月の原爆投下をさきがけとして、核の時代が到来した。予想もしない恐怖の夢がもたらされた。シェイヴァー・ミステリーは、現代SFという仮の姿をまとった恐怖の再来と考えられた。ウィリアム・バロウズの小説のなかでは、悪は魂のない空飛ぶ爬虫類や石器時代の極悪の野蛮人の姿をとった。シェイヴァー・ミステリーとともに恐怖はより宇宙的になり、原子爆弾そのもののようにより理解しがたい存在になった。そしてバロウズの小説における地球の空洞の襲撃と違って――それはしばしば恐ろしかったが、一方で魅力的であり、究極的には生命を感受することになる――シェイヴァー・ミステリー以降では、理解されることも更生されることもない、根深い、決定的な悪が示されている。長老たちは――彼らは神とも呼ばれる――わたしたちを見捨てた。残骸と危険なミュータントを残して去った。残ったのは悪だけである。


⇒ つづく