地球空洞説読本序説 

地底探検の夢 

宮本神酒男 

 クアラルンプール郊外の大洞窟で地底世界の気分を満喫 写真:M Miyamoto

 中学生の頃だったか、連日にわたって長い夢を見た。いまでもその興奮を覚えているくらいだから、ただ長いだけでなく、スリリングで、ミステリアスで、エキサイティングな冒険物の夢だったかと思う。身近な友人や家族にいかにその夢がワクワク、ゾクゾクするものであったか、説明しようと試みたが、だれからも相手にされず、もどかしい思いだけが残った。 

 それは地底探検の夢だった。地下に通じる洞窟をたどっていくと、それはいくつにも分かれ、迷路に踏み込んだかのようだった。ときには体がやっと入るほど洞窟が細くなり、這って行かざるをえないことがあった。その先が行き止まりになっていることもあった。ホールのような空洞で進めなくなったときは、氷筍の裏のほうに隠れた枝穴の入り口を見つけることができた。実家の近くに秋芳洞という有名な鍾乳洞があったので、イメージには困らなかった。

洞窟を抜けて広い空間に出たところには、巨大な食虫植物ならぬ食人植物が待ち構えていた。カマキリみたいに見えたが、一応植物だった。私が丈夫なフライパン(なぜかフライパンがあった)を野球のバットのように振ると、カマキリのような植物の鎌の刃は粉砕された。

 ついで火を吐く恐竜のような生きものが襲ってきた。口から噴射される火炎は強力で、わが顔は煤で真っ黒になり、髪の毛は焼けてチリチリになったが、消火器を持って(なぜか手元に消火器があった)恐竜の口の中めがけて消火剤を噴射すると、炎が消え、恐竜はおとなしい大型犬のようになった。私はゴルフ・クラブで(ゴルフ・クラブもたまたま持っていた)恐竜の頭をひっぱたいた。

 一難去ってまた一難。目の前に湖が広がっていたが、これは硫酸の湖だった。足元をチューチュー鳴きながら湖水のほうへ走っていったネズミが、水に入った途端、骨の標本みたいになってしまった。

 こんなふうに延々と話はつづいたが、大半は忘れてしまった。

 さて、お気づきかもしれないが、なぜこんな夢を見たかといえば、その少し前にジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』を映画化した『地底探検』(1959)をテレビで見たからだった。少年時代の私はその映画を見て興奮し、感動してしまったのである。夢を見たからといって、私が創作能力のある少年だったというわけではなかった。極度に感化されただけだった。まあ、これでオリジナリティに富む筋書きができていたら、夢能力をもっと鍛えればよかったということになりそうだ。『地底探検』はその後見ていないが(『センター・オブ・ジ・アース』は複数回見ている)昔のジュール・ヴェルヌ原作のネモ船長シリーズの映画(『海底二万哩』)をたまたま映画チャンネルで見たとき、「古くさい」と感じてしまったから、今それを見ても、昔の感興はよみがえってこないだろう。

 ところで少年時代の私は地底世界の存在を信じていただろうか。それともたんにフィクションのジャンルとして好みだったのだろうか。そもそも現在の私は信じているのだろうか。信じているなら、科学的常識とどう折り合いをつけるのだろうか。

少年時代、私は地球空洞説という言葉すら知らなかった。寺山修司が『地球空洞説』(1973年上演)という戯曲を書いているぐらいだから、一般には奇異な耳慣れない仮説だったのだろう。おそらく科学者としてはじめて大まじめに地球空洞説を唱えたのは、ニュートンと同時代のハレー彗星で知られる英国の科学者エドモンド・ハレー(16561742)である。ハレーは両極のどちらかに穴があると主張した最初の人物でもあった。また地球内部の空洞の中心に太陽があると唱えたのは、オイラーの公式で知られる数学界の巨人スイス人のレオンハルト・オイラー(17071883)である。二、三百年前とはいえ、これほどの大科学者たちが論理的にありうると考えたのだから、トンデモ説と簡単に切り捨てることはできないだろう。たとえ科学的データがありえないと結論付けても、実際に計測器を地球の中心部まで到達させないかぎり、この説が完全についえることはない。現在のビッグバン理論をはじめとする宇宙物理学の定説だって、数百年後にはトンデモ呼ばわりされているかもしれないではないか。

 エドモンド・ハレーがすでに両極の穴に言及しているのは興味深い。しかし極地の穴の存在を信じて実際に探索に出ようとしたのは、米国のジョン・クリーヴス・シムズ(17801829)である。彼の情熱は国をも動かさんばかりではあったが、巨額の費用を要する国家レベルの探検隊を組織する必要があり、あと一歩のところで実現しなかった。彼は地底人と交易をすれば元が取れると考えていたようだが。

 シムズに触発されて小説を書いたのがエドガー・アラン・ポーだった。その作品が『アーサー・ゴードン・ピムの物語』(1838)である。じつはアラン・ポー以前に地底世界をモチーフとした小説が誕生していた。デンマーク文学の父と称されるルズヴィ・ホルベア(16841754)の『ニコラス・クリミウス(ニルス・クリム)の地下世界の旅』(1741)である。同時代の古典的な冒険物語(実際は風刺小説)に『ガリバー旅行記』(1735)があった。世界中に未開拓の地域が手付かずで残っていたので、多くの人にとっては到達していない、発見されていない地下世界があっても不思議でなかったのだ。 

 これらの流れのなかからジュール・ヴェルヌの画期的な小説『地底旅行』(1864)が生まれたのである。地底世界を扱った作品はいくつもあった。たとえばウィリアム・R・ブラッドショー『アトヴァタバルの女神』(1892)やウラジミール・オブルチェフ『プルートニア』(1924)など。しかしこの偉大な作品と比較しうるものがあるとするなら、それはエドガー・ライス・バロウズのペルシダー・シリーズ(192263)をおいてほかにない。バロウズと言えば、ターザンである。だれもがターザンのイメージを思い浮かべるほど知名度が高いが、それはハリウッド映画のおかげであって、バロウズが筆力のある優れた作家であるという認識は広がっていない。ペルシダー・シリーズを読めば、彼の発想力、想像力、展開力に驚かされる。

 作品の中で、主人公たちは宇宙ロケットのようなドリル付きの試掘機(鉄モグラと呼ばれている)で地球の奥深くをめざした。彼らはペルシダーと呼ばれる地球内部の空洞世界に到達した。中央には太陽が輝いていた。この世界を支配するのはマハール族という翼竜であり、爬虫類だった。ペルシダーでは生物は地上とは異なる進化を遂げたので、翼竜が頂点に立つもっとも頭のいい生きものなのである。彼らの中には人間を食べるものがいて、牛を飼育するように人を飼育していた。人間は奴隷のような状態にあり、サゴス族というゴリラ人間の管理下にあった。人間は言葉をしゃべることができたが、聴覚を持たないマハール族には理解できず、人間を下等動物とみなしていた。

 空想力を駆使した物語群とは別に、真偽はともかく、多くのノンフィクション冒険譚が登場した。そのなかでも大きな影響力を持ったのは、ウィリス・ジョージ・エマーソンの『霞みたる神』(1908)だった。ノルウェイの漁民親子が意図せず、おそらく北極の穴から地底世界へ入ってしまう。そこは巨人族の住む世界で、樹木も家畜もすべて巨大だった。二年後、地上に戻ろうとした親子は北極の穴から出ようとしたが、氷で閉ざされていたため、南極の穴からなんとか脱出。あやうく遭難しそうになるが、スコットランドの捕鯨船によって救出された。彼らの話は信じてもらえず、あげくは親戚によって精神病院に入院させられてしまう。28年後、渡米が認められた息子(オラフ・ヤンセン)はこの本の作者と会い、ようやくこの話が出版されることになった。

 いろいろな意味で画期的な著作物は、レイモンド・バーナード博士ことウォルター・シーグマイスターの『うつろな地球(邦題・地球空洞説)』(1964)だろう。この本の第1章「バード少将の画期的大発見」は地球が空洞であることの決定的な証拠について書かれているのである。リチャード・バード少将(18881957)は、1926年に飛行機によって北極点に達したあと、何度も両極に到達している。そのときにバード少将は南極を越えてさらに「永遠の神秘の国」まで飛んだというのだ。つまり少将は地底世界にまで達していたということになる。バーナード博士は論理をさらに飛躍させて、極地に近づけば近づくほどUFO目撃例が多くなるのは、UFOが地球内部から飛んでくるからにちがいないという。

 バーナード博士によると、地球空洞説を最初に打ち出したのはウィリアム・リードの『極地の幻影』(1906)である。それをさらに発展させたのがマーシャル・B・ガードナーの『地球内部への旅』(1913)だった。またF・アマデオ・ジアニー二が『極地の向こうの世界』(1959)を書いている。そして同年、「空飛ぶ円盤」誌主宰のレイ・パーマーがUFO地球内部飛来説を発表している。バーナード博士はパーマーがあたかも科学者であるかのように仮説を引用しているが、パーマーはシェイヴァー・ブームを巻き起こした張本人であり、その論理はサイエンスどころかファンタジーに近い。バード少将に関しても、その言葉尻をとらえて仮説に無理やりねじこんでいるふうであり、とうてい南極点の向こうへ行ったとは思えないのである。その後極地を越えて地球内部へ行くルートを唱える人はほとんど現れていない。現れるとするなら、それはフィクションか、トンデモ説である。

 では地球空洞説は完全に消滅してしまったかといえば、そうではない。むしろ大盛況であるといっていい。どういうことなのか。

 シャスタ山、アガルタ、シャンバラといった新しい、あるいはオカルトのおなじみのモチーフが地球空洞説と結びついた。鍵を握るのは、ドリアルとガイ・バラードである。

モーリス・ドリアル(19021963 ドリールの表記も)は3万8千年前に書かれたという「アトランティス人トートのエメラルド・タブレット」の発見で有名になった。彼は1931年、カリフォルニア州のシャスタ山の下にある地下世界を訪れている。『シャスタ山の謎』というパンフレットによれば、彼はある日突然、ふたりの見知らぬ者にシャスタ山の頂上に連れていかれた。そこにあった平たい大きな岩の上に立つと、それはエレベーターのように下降した。何キロも下って彼らは大きな洞窟に到着した。ドリアルは美しい白い家が立ち並ぶ小さな都市へ案内された。それは700人のアトランティス人が住む都市だった。彼らは大いなるプランについて話し、ドリアルに彼の果たすべき役割についてアドバイスした。

 シャスタ山は地元の先住民からワイイカと呼ばれる神々の里であり、天界と地下世界を結ぶ橋でもあった。山の内部は中空となっていて、それは地下深くに通じていた。矮小な種族が住んでいるが、めったにその姿が見られることはなく、笑い声だけが頻繁に聞かれた。もともとこうしたさまざまな伝説、伝承を持つ聖なる山だった。

しかしそこにあらたな伝説を持ち込んだのは、シャスタ山の近くに住むフレデリック・スペンサー・オリバーの『二つの惑星の住人』(1905)だった。もっとも注目すべきは、彼がチャネラーだったということだ。彼はチベット人フィロスと自動書記を通じてチャネリングをしていた。フィロスによれば、アトランティスの伝統を受け継いだマスターたちの秘密組織がシャスタ山の中にあるという。

 モーリス・ドリアルの主張によれば、シャスタ山を訪れるずっと前にチベットへ行き、滞在中にアストラル体となってラサの地下奥深くの図書館を訪ねている。彼はここで古代の叡智を学んだ。物理的な肉体でチベットへ行ったとはとうてい信じられないが、アストラル体となってチベットへ行き、地下深くの図書館を訪ねたというのなら納得もできるだろう。シャスタ山の中やその地下世界へもまたアストラル体となって行ったのだろうか。

 失われた大陸レムリアとシャスタ山を結びつけたのは、バラ十字会の創建者ハルヴェ・スペンサー・ルイスである。1925年に彼はペンネームを使って「レムリアの後裔たち」という著作を発表している。その1章を「シャスタ山のレムリア人」に当てている。

 1932年には、エドワード・ランサーというジャーナリストがロサンゼルス・タイム紙に奇妙な体験をしたことを書いている。車で近くを旅行しているとき、シャスタ山の山頂に赤味がかった緑色の光を見た。ガイドに聞くと、レムリア人たちが儀式をおこなっているのだという。気になったランサーは麓の村で聞き込み調査をする。どうやらシャスタ山の上に神秘的な村が存在するのだ。そして白衣を着た男たちがときおり商店街にやってきて買い物をすることもあるという。支払いは黄金だった。この話が事実なら、霊的な存在(レムリア人)が実在するのか、あるいはすでにカルト的な集団が生活していたのだろうか。

 そして聖なるシャスタ山のイメージを決定づけたのは、ゴッドフレイ・レイ・キング(邦訳の表記はゴッドフリー・レイ・キング)ことガイ・バラード(1878-1939)だ。『明かされた秘密』(1934)によると、1930年、シャスタ山の同胞団に興味を持ち、シャスタ山を訪ねた際、泉で水を飲もうとしたとき、声をかけられた。振り返ると、若者が立っていた。それがアセンデッド・マスター、サンジェルマンだった。サンジェルマンとは、18世紀頃ヨーロッパの社交界で活躍したサンジェルマン伯爵(1691?-1784?)のことである。出生は謎に包まれ(高貴な身であろうことは間違いない)、大いなる知識と智慧を有していて、音楽の才能などに恵まれていた。没したという証拠はなく、永遠の生命を得ているのかもしれない。アセンデッド・マスターにもっともふさわしい存在といえるだろう。このサンジェルマンに導かれて、ガイ・バラードは600メートルほど地下へ降り、図書館や宝庫に案内されている。

 知識と智慧を得た彼は、妻エドナとともに「I AM」運動を開始する。『明かされた秘密』はその入門編のようなものだった。彼らはまたたく間に信じがたいほどの生徒(信者)を獲得する。講演のために大きな会場が必要となり、6千席のホール、シュライン・シビック・オーディトリアムを借りた。これがのちの「I AMセンター」である。年に二度、ここで大集会が開催されるようになった。

 科学が進歩するにしたがい、地球空洞説はトンデモ学のジャンルに収まろうとしているように見える。前述のレイモンド・バーナードの『地球空洞説』(1969)は最後の輝きである。しかしオレリア・ルイーズ・ジョーンズは意外な方面から息を吹き返らせた。つまりチャネリングによって得たことは、虚構ではない、ということだ。彼女によると、1997年2月にテロスの大神官であるアダマからEメールのメッセージが届いたという。フレデリック・スペンサー・オリバーの場合、自動書記によってメッセージが送られたが、彼女の場合はEメールだったのである。そのメッセージとは「レムリア人との使命を準備するためにシャスタ山に引っ越しませんか」というものだった。実際に彼女はシャスタ山の近くに引っ越したものの、およそ三年間何も起こらなかった。ようやくそのころ手紙というかたちであらたなメッセージが届いた。そしてロード・サナンダという有名なチャネラーに勧められてアダマとチャネリングを試みるようになった。『レムリアの真実』はいわばアダマとのチャネリングの結晶である。

 レムリアが存在したのは紀元前450万年(450万年前でいいと思われるが、紀元前と書かれている)から1万2千年前だという。レムリア大陸とのちのアトランティス大陸が沈むまで、七つの大きな大陸があった。2万5千年前、レムリアとアトランティスの間に意見の相違から戦争が勃発した。滅亡の運命にあることを悟ったレムリア人たちはシャスタ山の真下に都市を建設させてほしいとアガルタ・ネットワークの中枢部に願い出た。このネットワークを統治していたのはシャンバラ・ザ・レッサーという都市だった。地下にある120の光の都市のほとんどにハイパーボーリア人が住んでいて、4つの都市にレムリア人が、2つの都市にアトランティス人が住むことになった。レムリア人は結局シャスタ山の大洞窟に都市を建設し、ここをテロスと呼んだ。テロスには20万人が入る予定だったが、大洪水が起きたため、2万5千人しか入ることができなかった。またレムリアのすべての記録はテロスに運び込まれ、神殿も建設された。

 オレリアが描く世界では、地下都市と地球中心部の都市が別々のものとして認識されている。そしてそれらは無数のトンネルによってつながれている。また彼女はシャンバラという都市のことに言及している。

 シャンバラという都市は、もはや物理的な都市ではありません。現在、五次元・六次元・七次元の波動を保ち、まだエーテル界に存在しています。

 また地球の内側についても述べている。

 地球の中心部と内部には、大昔に他の世界や宇宙から来た太古の文明人が大勢住んでいます。彼らは皆、アセンションを遂げた意識の状態にいますが、なかにはある程度の物理状態に留まっている人たちもいます。大部分が五次元と六次元の気づき、またはさらに高次の気づきをもって生きています。

 そう、読みなれていない人にとってはトンデモどころか、統合失調症患者の文章のように感じてしまうだろう。しかし読みなれている人にとっては、十分理解できる範疇にある。もはやここには物理的な地球はない。地球の空洞には、つまり地下世界には、アセンションを遂げた意識の状態にある太古の文明人が住んでいるのだ。チャネリングによって得た情報をだれが否定できるだろうか。

 

 


地底から上空にあいた穴をのぞむ