フードゥー教入門
序
ママ・エステルが埋葬されたとき、わたしは23になったばかりだった。ママ・エステルはわたしの祖母で、かけがえのない存在だった。私だけでなく、だれからも愛されていた。言葉だけなら誰だって祖母のことをそういうふうに言うことができるけれど、ママ・エステルはほんとうに言葉どおりだれからも愛されていた。そう、格別に愛されたのだ。わたしは両親と過ごした時期もあったけれど、ほとんどは祖母に育てられたようなものだった。ひとりの女として育ったとするなら、それはママ・エステルのおかげである。この本は彼女が埋葬されたときから始まる。というのも、その日はわが人生の残りが始まった日だからだ。彼女が死んだその瞬間までずっと、ママ・エステルはわたしを坐らせ、彼女の子供時代の物語を語り、生き方の秘密を分け与えてくれた。
彼女にとってのフードゥー教は、実際に暗い側面があるものの、民間伝承や黒魔術ではなかった。とはいっても映画に登場する暗さやミステリアスな雰囲気は、実際とは隔たったものだった。それはあなたの周囲に適合しようとすることであり、あなたのルーツを知ることであり、あなたの先祖の力を知ることであり、あなたの好みに合わせてエレメント(要素)を巧みに操るとなのである。不幸なことに、ママ・エステルがそれを目の前で見せてくれるまで、そんなにすごいものとは知らなかった。そのときわたしは最後の儀礼でプリーストが唱える緩慢で単調な響きを聞きながら、坐っていた。ママ・エステルは地方の小さな教会の熱心な信者で、多くの人が彼女のことを知り、愛していた。わたし自身その場で起こっている重苦しいできごとを目撃していた。どこか別の場所にいるようにわたしは感じていた。
わたしの心にもっとも強く刻まれたのは、墓地全体を包み込むような分厚い沈黙の空気だった。土を取って棺桶に撒くというとき、これはわたしにはできないと感じた。やろうとすればわたしは壊れるだろうと思った。しかし両手が土に触れたとき、エネルギーの変換のようなものを感じたのである。やすらかで、おだやかな感覚を強く持ったわたしは心の内に覚えた嘆きを裏切っているようでもあった。ママ・エステルが埋められた日は、わたしが生まれ変わった日なのだろうか。彼女の墓地がある場所は、わたしが自分のまわりのパワーに気づく場所となった。われわれの内側には聖性があるのだ。その日は彼女の教えが生き生きとしたものとなった日だった。
フードゥー教の実践をはじめてから40年以上の時が流れた。いままで一度も人生を振り返ったことがなかった。いま、わたし自身のフードゥー教実践の経験を加えて、知識の富の一部を分かち合うことによって、ママ・エステルの遺産に敬意を払いたい。
あなたがなぜこの本を読むことになったのかはわからない。クライアントのほとんどがわたしのところへ来るのは、人生がうまくいかなくなったときであり、彼らはうまくいくようにすでに通常の方法を試している。もちろんなかには興味本位でやってくる人もいる。おそらくあなたは人生をほんの少しよくするための単純なおまじないを探しているのだろう。あなたがこの本にたどりついた理由がなんであれ、この人生に偶然というものはないことを知っていてほしい。この本が、あなたが探しているものを見つける一助のなってくれることを願う。それよりももう少し重要な何かが見つかるかもしれない。
この本にはフードゥー教実践の原則的な知識について書かれている。もしあなたがアカデミックな調査を探しているなら、ここに見つけるのは困難だろう。というのも、わたしが知っているすべて、してきたことのすべてが何世代にわたって母から娘へと受け継がれるものだからである。だから情報の一部はわたしの家族にとっても新奇なものだった。しかしそれがわたしの家族やクライアント、助けてきたすべての人に役立ったように、あなたの役にも立つだろう。この本のなかにあなたが見つけるのはつぎのようなことだ。
●フードゥー教の簡潔な歴史。一部の誤解。
●フードゥー教実践の鍵となるエレメントの基礎知識。
●清めの儀礼の象徴の行き詰まりと日常生活への応用。
●まじないが可能となる環境の作り方。
●恋愛、幸運、金運、人生一般のためのシンプルでパワフルなまじない。
第1章に入る前にあなたには開かれた心で読み進めて行ってほしい。一日の終わりにあって、あなたの心はまじないや魔法が生まれる場所にいる。もしもあなたが一般的なこと、あるいはとくに実践に関して、疑いやもやもやした気持ち、ネガティブ思考を持ってしまったら、学んでいることのほとんどが役立たずだとみなすかもしれない。
だからまず、心を開いてほしい。ポジティブな感情で寛容であってほしい。そして最も重要なことだが、内なる力を受け入れてほしい。