フードゥー教入門第2章
フードゥー教の歴史
フードゥー、呪術、根のまじない。いろいろと呼び名はあるが、アフリカ奴隷がアメリカにやってきた頃にその歴史をさかのぼることができる。わたしたちの先祖がやってきたときにもたらされたアフリカの呪術もまた、ヨーロッパやネイティブ・アメリカンの影響を受けた。ヨーロッパの民間伝説やアメリカン・インディアンの植物の知識と出会ったアフリカの信仰や慣習がフードゥーという一つの傘のもとで合わさったのである。
精神的な助けを求めて人々はフードゥー教呪医のもとにやってくる。身体の健康であろうと、運勢を好転させることであろうと、フードゥーはいつも人の人生をよりたやすく、よりよくするために利用される。しかしながら奴隷主たちはアフリカの精霊信仰を貶め、それを悪魔とか悪魔崇拝、魔術と呼んだ。もしフードゥーに関してあなたがネガティブな評判を聞いているとしたら、それはここに始まったといえるだろう。
精神的な旅
わたしの個人的意見では(フードゥーを実践する多くの人とこの感覚を分かち合えると思う)、フードゥーは個人的で精神的な旅以上のものである。宗教の名のもとに、あなたは神、すなわち超常的かつ至高のものを崇拝する。この神は、多くの場合複数の神々は、何が正しく、何が間違っているか、何が善で何が悪かを規定する。しかしながらフードゥーの活動で、あなたはいかなる宗教も自由に実践できる。あるいはどの宗教も実践しなくてもいい。それでもあなたはフードゥーを実践しているのだ。
フードゥーの活動において、あなたはさまざまな根やハーブ、その他のエレメント(素材)の知識を用いて、個人的な魔術を作り出すことができるだろう。こうしてあなたは周囲の精霊との結びつきを強めることができる。それは生き方といってもいい。あなたがすべきことは、あなたが望んだ結果を求めて実際の儀礼をおこなうことにほかならない。
フードゥーを実践するとき、魔術は根や石、骨、あるいは人間から排出されたもの、たとえば血、汗などから生み出される。それらのパワーを組み合わせることによって、あなたは生み出された力を活用し、望んだ結果をもたらすことができる。あなたが望む結果は、ヒーリングからジンクス(悪運ののろい)まで、愛の媚薬から金運まじないまで、その他いろいろとあった。あなたは自分が何を願っているか明らかにする力を持っている。あなたに必要なのはこれらエレメント(素材)の正しい組み合わせの知識であり、あなたが持っている力の受け入れである。しかしもっとも重要なことは、祖先の霊を認識することであり、敬意を払うことである。フードゥーでは、わたしたちの周囲につねに精霊がいて、あなたが彼らをどう扱うかによって、彼らはあなたのために尽くしてくれることも、危害を加えることもあるのだ。それについてはあとでもう一度詳しく述べたいが、今、フードゥーが信仰とはあまり関係ないこと、運命を変えることのほうがより関係あることを理解するにとどめたい。
ヴードゥーvsフードゥー
多くの人がヴードゥーとフードゥーは同じものであり、どちらで呼んでもかまわないと考えている。しかし両者とも中央アフリカにルーツを持っているものの、実践の仕方はまったく違っていることを理解する必要がある。遠い従兄弟のようなものと考えればそんなに間違ってはいないだろう。
ヴードゥーは第一にハイチで実践されている宗教である。ルイジアナで実践されているのもヴードゥーと呼ばれているが、似てはいるもののはっきりと違う。両方のヴードゥーとも実践者はこの世界を統御すると信じられているパワフルな精霊であるロアを崇拝する。ハイチのヴードゥーは定期的に集会を開き、プリーストがイニシエーションを施すなど、ルイジアナのヴードゥー以上に宗教的である。ルイジアナのヴードゥーはあなたが考える宗教色は強くないかもしれないが、それ以外は両者に明確な違いが見られないのである。あなたはいろんなやりかたでヴードゥーを実践する人々と会うことになる。
フードゥーはまったく宗教ではない。ロアを崇拝し、身を捧げることはないのである。ここがヴードゥーとフードゥーの境界線だろう。ロア崇拝があるかどうか。もしあるなら、それは間違いなくヴードゥーである。
フードゥーとキリスト教
アフリカの奴隷が北アメリカに運ばれてきたとき、彼らは自分たちの宗教活動を許されなかった。奴隷たちは洗礼を強要され、キリスト教徒になった。カトリックかプロテスタントかは、奴隷主の信仰によった。彼らはキリスト教のベールの下に自分たちの古い宗教を隠した。
キリスト教の多くの面はアフリカの伝統的な宗教とそれほど変わらなかった。アフリカの奴隷たちはもともとひとりの創造主、神を信じていた。多くの人は世界が回るのを助けるパワフルな精霊を信じていた。カトリックの聖人たちをこれら精霊のもうひとつの面だと認識していた。聖書はパワフルな呪術の本とみなされた。そして今日でさえ、フードゥー実践者は讃美歌を読みながら呪文を唱えているのである。
ママ・エステルは敬虔なバプティストのクリスチャンであり、毎週日曜になるとわたしを教会に連れて行ってくれた。礼拝が終わると、わたしは人々が彼女のもとへやってきて、静かに話しかけるのを見ていた。ときには彼女は小さな物を手渡した。ときには彼女にお金を手渡すこともあった。ママ・エステルにとって、また彼女が助ける人々にとって、キリスト教とフードゥーの力への信仰は対立するものではなかった。
フードゥーを理解するにおいてもっともむつかしい部分に関してあなたの心を開くことができるのではないかとわたしは願ってきた。つぎのステップは実践をより深く探ることであり、最初の段階はわたしが話してきたエレメントを見ることである。つぎの章では、フードゥーの七つの重要なエレメントに集中したい。この本を離れてからも、フードゥーの研究と実践をつづけていけば、あなたはこのテーマに関してもっと学ぶことができるだろう。しかし、いま、これら七つのエレメントがあなたの出発点である。