墓場 

 率直に言って、ビギナーが墓場でフードゥー教の呪術をおこなうことはできません。精霊とともに呪術をおこなうには、ビギナーが持ち合わせていない高度な直観を必要とするからです。それに墓場の精霊は危険きわまりないのです。知らない地域を歩くときのように、あなたを見てこころよく思わない者たちがいるかもしれないし、あなたを傷つけようとする物がいるかもしれない。墓場で呪術をおこなう前に、家の祭壇を使って、祖先の精霊の呪術儀礼をこなすことをわたしは強くすすめています。しかし墓場について投げやりに論じるのはよくありません。そこは墓場であり、そこに住むのは精霊だからです。それはフードゥー教の核心的なものです。

 墓場の呪術は祖先の精霊のパワーと地の精霊のパワーの組み合わせです。この組み合わせがいかにパワフルか想像してみてください。ハリウッド映画のおかげで多くの人は墓場といえば悲しみや嘆きを連想し、あるいは恐怖を感じるかもしれません。フードゥー教はこの見方に与しません。実際、死は起こりうることのなかで最悪なこととみなされるわけではありません。ネガティブな体験と見られているわけでもありません。もちろんわたしたちは愛する人々が肉体を持った姿でいつまでもいっしょにいてほしいと考えます。だからこそ失ったときに痛みを感じるのです。しかしこの世界を超越した世界があることを同時に理解しています。死は橋であり、つまり旅の終わりにすぎず、もうひとつの世界の始まりなのです。

 墓場の呪術はパワフルですが、あなたが考えるような理由からではありません。墓場の土はそれが変移の場所だから使われるのです。そこは終わりの場所であり、始まりの場所でもあるのです。もし人生のサイクルが終焉しているなら、つまりそれが分裂し、崩壊しているとするなら、墓場の土はまさにあなたが必要とするものかもしれません。そしてまた、人間関係があなたの身体的、精神的健康を損ねるものなら、あなたは墓場の土を欲しくなるかもしれません。

 それはまた新しい始まりの到来を告げるものでもあります。終わりは新しい何かの始まりを意味するのです。何か新しいことを始めようとするなら、また新しい局面のために祈り、自己を鼓舞するなら、墓場の土は最高のオプションになるかもしれません。

 あなたがどこで土を得るかに注意を払うように、とくに土を得る墓地や墓に神経を注がなければなりません。危険なサイコパスの死者の墓に行くなら、あなたは不安定なエレメントをいま行おうとしている呪術に入れようとしていることになるのです。

 墓場の土を集めるために墓地に入るとき、注意を怠ってはいけません。呪術のために採集する土の精霊をなだめることが重要なのです。あなたはいつも数ペニー埋めるとか、ウイスキーを地面にこぼすなどして、取った土のお代を払わなければなりません。わたしは長年やってきて学んだのですが、墓場を掘るのは他人から見たら相当に奇妙に映ります。そこで墓場の横に新しい花を植えるように見せかけるのです。

 呪術をおこなうとき精霊を探すのに、あなたはカードやペンドラム(振り子)を用いるかもしれません。しかしわたしは本能や直観を用います。長年わたしはそうしてきたのです。墓場を散歩して、場所やそこに生きている精霊を感じるまで時間を費やします。あなたはひとつの特別な墓に心惹かれるかもしれません。会話を始める前に、できるならそこに埋められている人について調べることをすすめます。生前、いい人だったか? 母、父、看護人、賭博師だったのか? もう一度言いましょう。精霊が危険なこともあるのです。リサーチするにこしたことはありません。

 呪術をおこなうのにちょうどいいパートナーの精霊を見つけたなら、捧げものをして始めるといいでしょう。直観か占いのテクニックを使って精霊が欲しがるもの――それがお酒にしろ、食べ物にしろ、タバコにしろ――を感じとるといい。精霊と会話をして精霊が話すことを聞くことを学ばなければならない。しかしこの種の取引の関係に踏み込みすぎてもいけません。友人になればいいのです。何日か何週間かのち、あなたは友人に頼みごとをすることになります。つまり彼らの墓場から土をもらい受けることになるのです。