調和を見つける 

 食事の支度をしているとき、その途中で最初に風味のバランスをとらなくてはなりません。というのもあなたはたくさんの異なる材料を集めていて、それぞれが独特の風味をもっているからです。風味がそれぞれたがいに補っているかどうか、注意を払うことになります。そうでなければ、ある風味が他の風味を圧倒することになってしまいます。それでは食べ物の味を損ねたり、少なくともネガティブな影響を与えたりしてしまうのです。呪術をおこなうときもおなじ原理が働きます。力の均衡を生み出すとき、あなたは多少とも几帳面でなければなりません。力の不均衡を許してはならないのです。それが結果におおいに現れるからです。呪術が一見したところシンプルであるかどうかは重要ではありません。あなたは呪術を作り出し、進めていくなかで、エレメントにことさら注意しなくてはなりません。

 呪術によっては多大な力をもたらす物を使用することがあります。それらが祝福されていなかったり、浄化されていなかったり、前の持ち主のメンタルが不安定で、そのものに霊的残滓が残されたりしているときはとくにそうです。呪術にそれが加えられるとき、あなたはすでにバランスを失っているのです。この人工物から引かれるパワーの文を相殺そ、補うために、あなたはほかの材料を探すことになります。

 すでに述べたように、地は安定させるパワーです。そしてそれを利用することで呪術の基礎をなし、調和をつくりだすのです。しかしもしあなたが使っている地の源がはっきりしないなら、これがいつも十分というわけではないのです。すべてのフードゥー教信仰者が、初心者であれ、専門家であれ、調和の道具をマスターするよう努力しなければならないのです。フードゥー教はわたしたちの領域の外側の物事と通じているのです。これは意識の外にある物事の端を忍び足で歩いていることを意味しています。

 こうしたことから一部のフードゥー教の専門家は、呪術によってあなたがよろめきながら端を歩くことになると述べます。もしこまかい点でしくじるなら、それがどんなにこまかくても、バランスを失い、悲惨な結果を招くことになります。この旅を始めたとき、あなたは毎日の生活にインパクトを与える小さな変化を起こすシンプルな呪術のことを考えたはずです。それで問題はありませんでした。しかしそれによってバランスを保つために戦う責任から逃れられることにはならないのです。

 もう一つの見方があります。呪術をかけるたび、あなたはある一面からエネルギーを吸収し、その場所にからっぽの空間を残すことになります。道具を使って除去しながら、あなたは取り除いたエネルギーがのちに問題を引き起こし、カオスを生じないかたしかめる必要があります。