Rock Art in Hunza
フンザの岩絵   宮本神酒男

フンザの「聖なる岩」はカリマバード(フンザといえば普通この村を指す)の真下から北へ2キロほどのカラコルム・ハイウェイ沿いにある。拍子抜けするくらい、便のいい場所である。それもそのはず、東京駅のギャラリーのようにだれもが通り過ぎるからこそさまざまな人が絵や文字を刻んだのだ。

南端の岩は岩絵が刻まれるにしては硬質で描き手の苦労がしのばれるが、これでもかというくらいおびただしい動物の絵が描かれている。摩滅の度合いが数千年の時間の風雪を耐えてきたことを示している。北へ岩塊に沿って歩いていくと、チラースと異なり、カローシュティー文字やブラフミー文字などさまざまな文字が記され、目につくようになる。北端の岩には「高貴な人とブタの尻尾」や「クシャーナ王朝の皇帝」などひときわ目立つ岩絵があらわれる。

このなかで場違いと思えるほど異色なのが北魏の使者が刻んだ自身の名である。「大魏使者谷魏龍今向迷密使去」と読み取れる。大魏とは南北朝時代に中国北部の広大な地域を支配した北魏のことである。かの「洛陽伽藍記」に描かれる洛陽とは、北魏の都の洛陽なのだ。おそらく西暦450年頃、現在の新疆からさらに西をうかがっていた北魏の皇帝が中央アジアの迷密国(Maymurgh サマルカンドの南西)に派遣した使者がこの地域を通過したときに記したのだと思われる。岩の壁面にぎっしりと絵や文字が書かれているのを見て、使者はじぶんの名を加えようと考えたのかもしれない。その何気ない行為が歴史の重要な証言となったのだ。中国と中央アジアを結ぶもっとも安全で確実なルートは、フンジュラブ峠を越え、アフガニスタンを通るシルクロード南路だったのである。

もっとも南に位置する岩塊の壁にはおびただしい動物、おそらくアイベックスとハンター(しばしば馬に乗る)が描かれている。アイベックスの半弧を描く大きな角のなかに黒い丸が置かれているが、これがなにを意味するのかはわからない。動物の魂なのか、あるいはペルシア人好みの意匠なのか。

怪獣なのか虫なのか、よくわからない。魔物であろうか(左)。変わった服を着ているが、ペルシア人だろうか。手に持っているのは石投げ機と思われる(右)。

これらは「チラースの岩絵」でも説明したように、神か神的存在、ないしは魔物。両者とも男性。降雨が必要なとき、この絵の前で祈祷・祭祀を行ったのではなかろうか。

上述のように「大魏使者谷魏龍今向迷密使去」と記されている。5世紀中葉、北魏の使者谷魏龍が中央アジアの迷密という国に派遣される途中、立ち寄ったのだ。古い絵の上に重ねるように刻んでいる。右はクシャーナ王朝の皇帝。ヘタウマ漫画調だが、王冠が高貴な位であることを示している。

ブラーフミー文字の刻文からこの人物の名はヴィグイ・サヴラ・スリ・ルドラダサということがわかっている。地方の首長でありヒンドゥー教徒である。

壁面いっぱいに記されたブラーフミー文字からさまざまな情報が得られる。ラムダサ(Raja Ramudasa)という名の王は自らを「トラカ・グナ・シムハ(Trakha-guna-Simha トルコの獅子)」と呼んでいることから、トルコ系であることがわかる。時期は9世紀か10世紀頃。また彼らは自らを「マヘーシュヴァラ(シヴァ)を愛する者(Mahesvara Prarisya)」と呼んでいた。シヴァ神の三叉矛が描かれるのも当然であった。

→ チラースの岩絵

→ ザンスカールの岩絵

→ ガンダーラに見る仏陀の生涯

フンザのバルティット・フォートの背後にはウルタル氷河が迫っている。ここから歩いても下りなので、「聖なる岩」まで40分くらいで着く。カラコルム・ハイウェイは古代から交易の幹線道路だった。