ヒマラヤのヨーギの驚くべき生涯
前言
著者が見たババ・ローケーナートのヴィジョン
時が熟したときに聖なる恩寵はやってくるものだ。私はカルカッタ郊外の寺院で修道生活をはじめたばかりだった。つまりわれわれ自身の浅薄さのなかの深みに新しい生活を発見するという段階にあった。
黄金の瞬間は1978年10月15日にやってきた。偉大なるヒマラヤの大師ババ・ローケーナート・ブラフマーチャリ(1730−1890)が幻視のなかに現れたのである。私がなぜ光の道の中にあるのか、そして今後の役割が何であるか、大師はあきらかにした。
気に病んでいたたくさんのことをたずねると、大師は無限の愛と慈しみを持ってすべてのことにこたえてくれた。それから大師は私にたずねた。
「なぜおまえは書くのをやめたのか」
私は不意打ちを食らった。尊敬する師匠の対話を日誌に書き留めるのが習わしだったのに、最近やめていたことをなぜ知っているのだろうかといぶかしく思った。大師はつづけた。
「私はおまえが書いたものを読んでみた。けっこう気に入っているよ」
それから大師は長い右腕をあげ、円を描くような動作をしたあと、言った。
「書け。そして広めよ」
何年ものち私はアシュラムを去り、ヒマラヤを放浪する修行者として、聖なる合流地および古代シヴァ寺院で有名なバゲーシュワルという地に達した。そこの山の頂上でババ・ローケーナートの寺院と小さな庵室を建てた。そしてより深い熟思黙考の修行生活を開始した。
ババ・ローケーナートの最初の英語の伝記を書くというインスピレーションを得たのはこのときのことである。私というみすぼらしい器を通して、マハーヨーギの教えと生涯について、神の書き手に水が流れるように闊達に書かせるというのは、ひとつの重要な体験であった。
それはたんに情報を集め、時系列に並べて本や伝記を書くというわけではなかった。私にとってそれは試練であり、精神的な修行でもあった。というのもこの本を書く過程において、大師の恩寵によって、私はババ・ローケーナートのエピソードと時代を心にはっきりと描き、このヴィジョンを何の苦労をすることもなく言葉に置き換えることができた。
大師たちがだれかを聖なる職につかせるとき、その役目をまっとうすることができるのは大師の力である。そう、私のもっとも奥深い体験がそこにあった。いかに私が「器」でありえたか、それがいかに長年望んできた、瞑想してきた内なる変化をもたらしたかを、私は感じることができた。
この本を読むとき、ババ・ローケーナートの160年もの生涯についてほとんど知られていないことを理解してほしい。彼は彼自身や奇跡を起こすすさまじいパワーを宣伝するのを好まなかったのである。しかしこの本こそは彼の存在を示すものであり、彼の聖なる力こそが出版を可能にしたのである。
この本を読むだれもが彼を取り巻く聖なる存在のオーラを感じ取るだろう。あなたがこの本を開いたのは偶然ではない。「危機に瀕したら、私を思い出してください。私があなたを救ってあげましょう」と述べる者の生涯を読んでいるのだ。彼は約束を守るだろう。あなたは試してみるといい。
彼の約束、教え、彼と接した人々の生涯、彼らが得た変化、とりわけ心の落ち着き、動物に対する無限の愛と人類に対する惜しみない慈しみをどうか読んでほしい。
あなたの人生が平和と喜びで祝福されますように。そして故郷に戻る究極の旅の障害を取り除く大師の存在を感じてください。
シュッダーナンダー・ブラフマーチャリ