古代インドのUFO現象  

リチャード・L・トンプソン 宮本訳 

 

1章 ヴェーダ文明における超人類との接触 

 この45年間のUFOの目撃やコンタクトの報告からわかるのは、人類に接触してくる知的存在は人間ではないけれど、驚くほどわれわれと似た存在であるということである。多くの事例で目撃された彼らはきわめて人間と類似していて、彼らに「エイリアン」(異星人)という言葉はふさわしくない。とはいえ彼らとわれわれの間に「エイリアネーション」(よそよそしい関係)があるという意味では、やはりエイリアンなのである。UFOとのコンタクトや遭遇に関していえば、全体的に秘密や偽情報だらけである。ただしこのことでアメリカ政府を非難することはできないだろう。彼らエイリアンはわれわれと理解しあえる基盤となる関係を築こうとすることもなく、遠くから人間社会に影響を与えようとしているように見える。

 現代の人間社会とUFO現象に関わりがある存在とのあいだには、公的な、社会的に認知された関係はない。ほとんどの国においては、そのようなものが存在し、人間社会と接触していることについて、正式に、科学や学術側から、あるいは政府本体から認められているわけではない。結果としてUFOに関することは、アカデミズムからまともに取り扱われることはない。そしてUFOの研究分野はだれもが自由に出入りすることになり、まじめな研究者は非学術的な素材やフェイク情報を扱わねばならなくなるのだった。

 UFO存在自身は、彼らが本当に存在するという確証を与えないようなやりかたで人々と接触しようとしているように見える。こういった接触には、現代の人間からするととても奇妙なことと思える現象も含まれている。しかしUFO航海士らはこの奇妙さを減じようとはしない。接近遭遇目撃者は、遭遇の経験を子供時代にまでさかのぼることが多い。しかし彼らは何の説明も得ていない。そして実際他世界からの訪問者をより広い目撃仲間に紹介する機会もない。多くの目撃者は信頼のおける人々であり、彼らは純粋に尋常ではない体験をしているのだが、接触をしているときに得た情報があまりにばかばかしく、矛盾に満ちているため、彼らの信頼性は貶められるばかりなのである。

 驚くべきことに、物事はつねにこのようにあるわけではないかもしれない。部族社会においては高度の次元の存在との神秘的な接触は記憶されないほどの昔から通常であり、今日までこういった接触はつづいているのである。多くの場合、超人類的接触は宗教教義の範疇に置かれてしまう。そして神秘的な才能ある人物の特殊な体験として認定されることになる。しかしながら早期の人間社会のなかには、地球外の、あるいは高次元の存在の階層と定期的な外交関係を持っていたものがあったという。

 これは事実である。とくに古代インドのヴェーダ社会がそうである。この社会を描く文献は大量に残っている。そしてこの文献によって、人々がどのように生活していたか、そしてより大きな超人類的社会にどのように対応してきたかがかなりわかるのである。この章では、私は古代ヴェーダ社会の見方を短くまとめて紹介したい。現代のUFO現象の特徴が、人間と他世界の人間もどきの種族との接触を描いたヴェーダ文学のなかに見いだせることを示したい。そして古代ヴェーダの人々の社会組織がいかに高次元の存在との定期的な接触を認めていたかを示したい。

 あたうかぎり、私はヴェーダ時代の伝統的見地を熟知した人々が理解するヴェーダ文献の材料を提示したい。西欧文明のバックボーンを持つ人からすれば、これらはとても奇妙に映るかもしれない。人によっては、宗教的、科学的立場から、留保したくなるかもしれない。しかしながら、ほかの文化を理解する唯一の方法は、その文化の中に生きる人々の実際の世界観の中に入っていくことなのである。私がアドバイスするなら、判断を下すのは先延ばしし、シンプルにヴェーダ文献のありのままのものを評価してほしいということである。付録2で、私は詳しくヴェーダ文学の解釈へのアプローチについて論じている。

 イントロダクションで指摘したように、現代のUFOの説明には奇妙なものが多い。だから高次の存在と定期的に接触する人々の話や言い伝えが奇妙に思えたとしても、驚くべきではない。それらは我々が奇妙な宇宙を理解する一助となるかもしれないのだから。奇妙な宇宙には、より大きなリアリティにおける小さな部分としての我々自身の知識や文化のシステムも含んでいるのである。