魂
ヴェーダの世界観をよく表しているのは、生きている存在を体に宿る魂ととらえる考え方である。魂はアートマー(ātmā)、あるいはジーヴァートマー(jīvātmā)と呼ばれるが、それに意識が付随しているとみなす。体は、なじみのある物理的要素からなり、微細な体は、心、知性、間違ったエゴとして知られるエネルギーからできている。これらのエネルギーは現代の科学的機器では計測することができない。このため科学的見地からすると、これらは存在しないということになる。しかしながらヴェーダの理解のしかたによれば、これらのエネルギーは物質と互いに作用しあうのであり、適切に扱えば、それらは強力な影響力を発揮することになる。
魂と微細な体は、ある体からほかの体へと移動することができる。また体から一時的に離脱することができる。移行のプロセスは、宇宙の法則に則っている。そしてヒューマノイド的存在は、このプロセスをコントロールすることに関わっている。意識の進化もまた、自然のプロセスである。このプロセスにおいて、魂はより高次の体を次第に獲得していくのである。
意識のもっとも高いレベルにおいて、魂は微細な体から解放される。そして物質世界からも解き放たれる。解放の状態、すなわちムクティ(mukti)のとき、魂は完全なる超越的な領域に達しているのである。広い意味では、解放には二種類ある。すなわち(1)ブラフマン(Brahman)、あるいは超越的な一(いつ)なるものの体験と(2)精神世界であるヴァイクンタ(Vaikuntha)の惑星において、至上なるもののために多様性をもたらす活動をする体験である。
ヴェーダの哲学によれば、すべては至上なるものからあらわれる。至上なるものにはたくさんの名前がある、たとえばクリシュナ、ゴーヴィンダ、ナーラーヤナ、ヴィシュヌなどである。個々の魂は至上なるものの一部と理解され、大いなる炎のなかの閃光にたとえられる。彼らは極小のレベルにおいても、至上なるものエッセンスを少しずつ持っているのである。このことから、彼らは互いに密接な関係にあるといえる。解放された魂は精神的にすぐれたものを見せるが、物質的な体にとらわれた魂は、物質的な力の影響下にあるので、ねじ曲がった姿しか見せることができない。
UFO遭遇の事例を見ると、霊魂や転生、対外離脱などに言及されることが多い。これらについてはあとの章で論じたい。ブラフマン体験もまた多く報告が寄せられている。このトピックについてもあとで俎上に載せたい。