心風景 inner landscape 14 宮本神酒男
シーサンパンナの州都、景洪(ジンホン)の郊外の村に、柑橘の香りが漂う濃厚な夕闇が迫っていた。このフレームには入っていないけれど、ソフトボールよりも大きなザボンが葉陰で橙色に輝いていたのを覚えている。ここは私がよく泊まっていた知人宅のバルコニーだ。家はタイ族伝統の高床式家屋だったけど、この部分だけモダンな感じがするので、ここで記念写真を撮ることになったのだと思う。左端は知人の娘さんで女子高生だった。ほかのふたりは仲良しの同級生のようだ。
私も若かったので、心臓が高鳴るのを隠して平静を装ってカメラを手に持った。彼女たちだってやや意識過剰気味だ。視線をそらしたり、手をこまねいたり、手のやり場がなかったり、ほほえみを浮かべようか迷ったりしているのが、いまだからよくわかる。着るものだってずいぶん考えたはずだ。ブレスレットや首飾りやブローチだって選ぶのに時間がかかったはずなのに、私はいまになってその女心に気づいている。
時間というものは残酷だけれど、中国の発展はそれ以上に暴力的だ。この村も景洪から近いので、寒村というわけではなく、下の写真のように、観光のための施設ができようとしていた。しかしまだ観光村とまでにはいたっていなかった。この家のお母さんも機織りをして民族風の肩掛けバッグを作っていたけど、ほそぼそとしたものだった。
しかしこのあとの十年の間に、想像を絶するほど中国は発展してしまう。景洪には高層ビルが立ち並び、路上の朝市は近代的な建物に押し込められ、こういった周辺の村々は都市の一部になってしまった。のどかな農村がふつうの町に変貌するさまを私はいくつも見た。
かつて景洪の町中に広大なバナナ園があり、そこを抜けるときには毒蛇に注意しなければならなかったのに、いまは舗装された道路やアパートがあってもとの地形がわからなくなっている。ほんとうの少数民族の暮らしはなくなり、あちこちで少数民族ショーが催されている。
翻弄されてきた少数民族の悲哀をわれわれは感じ取ることができるだろうか。
シーサンパンナが800年もつづいた王国であったことをどれだけの人が知っているだろうか。
1160年(鎌倉幕府ができる寸前だ)に建国された景隴金殿王国は、1150年に共産中国によって「解放」されるまで高い文化を維持してきた。象の軍隊だってもっていた。解放されたとき、ラオスと中国に二分され、文化大革命の間に多数の仏教寺院と仏像が破壊された。仏像に安っぽいものが多いのは、古くて質の高いものすべてが破壊されたため、まにあわせで作られたものが多いからである。
一度破壊されたあと、仏教文化が再興されたのはいいけれど、高層ビルがたくさん建てられてちょっとした地方の大都市になってしまった。こんな発展のどこがいいのだろうと思うけど、外国人である自分が文句をいう筋合いでもないだろう。しかし幸福と豊かさとはどこにあるのだろうかと、問いたくもなってくるのだ。
池に渡された回廊状の橋があった。
夕方、その上を散歩していると、向こうから少女たちが走ってきて、足元が揺れた。
私の横を駆け抜けていくとき、彼女らの息づかいが私の頬をこすっていった。