心風景 landscapes within 10    宮本神酒男 

さかまく怒江に架かるロープ橋を渡るリス族女性 

 怒江にはじめて行ったのは、記憶に間違いがなければ1994年のことだった。怒江沿岸の町まで自分が乗った長距離バスの屋根の上にのせて運んだマウンテンバイクにまたがって、怒江を北上し、貢山まで行った。200キロ近い道をさかのぼるのだから、相当にキツかったはずだが、苦しかった記憶はほとんどなく、むしろ解放感を満喫していた。

 怒江に沿って自転車で走っていくと、まず気になるのは教会の多さだけれど(当地のリス族は大半がキリスト教徒)、つぎに気になったのはロープ橋(中国語で溜索)だった。このときは渡る人をあまりみなかったが、2年後、3度目に怒江を訪れたとき(このときの目的地は顔面刺青の女性がいる独竜江)は、老若男女、たくさんの人が渡るのを眺めることができた。

 ロープ橋を渡った向こうには、いったい何があるのだろうか。いくつも村があるのだろうか。そこには美しい山があり、美しい村があって、美しい人々が生活しているのだろうか。私は向こう側に行きたくて、行きたくて、たまらなかった。不思議なもので、なかなか越えられない障壁があると、その向こう側の世界はこちら側の世界と異なっているように思えるのである。



 しかし、世の中にはおなじことを考える人がいるらしい。驚くべきことに、これをテーマとしたドキュメンタリー番組が作られたのである。それはNHKで放映されたのだが、このロープ橋の向こうのリス族の村の生活に焦点を当てていた。惜しむらくは、この番組のよさがなかなか視聴者に通じなかったであろうことだ。ロープ橋でやってくる人々は、それだけでこちら側の普通人がもっていないオーラを放っているのだ。実際に向こう側の村を訪ねると、ありきたりの村にすぎないのだろうけど、それでも何かが違っているのだろうと思ってしまう。

 下の写真は2011年に撮影されたもので、比較的近影である。中国は経済発展して、辺境の村が近代都市に変貌することもあるが、このロープ橋はほとんど変わっていなかった。相変わらず買い出しに行くのにも、このロープ橋を使わねばならなかった。

 
息子を抱いてロープ橋を渡ってきたリス族のお母さん 

 橋というものは、たとえに使いたくなるものだ。苦難の人生のように、苦難の橋を渡る、というように。
 実際、普段は橋を渡るとき、それが近代技術の産物だという意識を持つことはない。人生も何かに守られているのに、それを意識することがないように。しかしここにあるようなロープ橋やつり橋を体験すると、川を渡るのがいかに大変かがわかる。人生も突然病気にかかったり、事故にあったり、人に裏切られたり、大事な人と別れたりすると、人生がとても困難なものに思えてしまうものだ。

 「橋のたとえ」を探してみる。最近の私のお気に入りの作家シェリル・ストレイドがたとえを用いている。
 癒したいという欲望によって建てられた橋を渡って、もっとも幸福でもっともよかった夢の方向へできるだけ遠くまで走れ。 
 これは『敢然として』(2015)というアフォリズム集の「あなたの苦悩からあなたをだれも守ってくれない」にはじまる短文に出てくる一文だ。何をやっても苦悩を追い出すことはできない。セラピーだってあなたを救い出すことはできない。それなら苦悩とうまくやっていくしかない。そこに橋がある。癒し(ヒーリング)なら苦悩を解決できるのではないかと架けられた橋だ。橋を渡って楽しそうな夢の方向へひたすら走れ。結局、根本治療薬はなく、苦悩を乗り越えるという幻想を抱いて生き続けるしかないのだ。

 私は怒江のロープ橋を渡る(ロープを伝うというべきか)ときさえ、不思議な気持ちになった。対岸はこちらとまったく異なるような気がしてならなかったのだ。踏みしめる土さえ違うような気がした。「心風景12」の「功徳橋を渡る」の写真を見てほしい。この簡易な木橋を渡ったとき、新しい世界へ行くような気分になったし、また、心洗われ、清められたような気がしたのだ。


これも一種の橋だろう (雲南省西双版納) 

⇒ ミャンマーのウー・ベイン橋 

 
怒江沿岸の大きな穴があいた山(左、石月亮)と上流のU字型に湾曲した地点 


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