心風景 inner landscape 59    宮本神酒男

 完成したばかりの木製の功徳橋 

 中国雲南とミャンマー・カチン州の国境周辺に散見されるさまざまな橋の写真を見るうちに私が思い出したのは、広西チワン族自治区金秀ヤオ族自治県で見た「功徳橋」の儀礼だった。結論から先に言うならば、当時私はこのちっぽけな木造の橋がものすごく気に入っていた。
 もう20年以上も前の話なので、そもそもどういう理由でここに来たのかさえよく覚えていない。この少し前、私は桂林で柳州行の遠距離バスに乗った。このバスのなかでうとうとしていると、何者かにズボンを切られ、10万円もの大金を盗まれてしまった。たまたま近くに日本人の友人が住む中国人の家があったので、無一文になった私は、しばらくの間そこに泊めてもらった。心の傷が癒えた頃に、金秀でおこなわれたヤオ族の大きな祭りを見にやってきたのだった。
 この大祭にあわせて本来別の功徳橋の儀礼がおこなわれたようだった。当時私はこの儀礼の意義や目的がよくわかっていなかった。前日、功徳橋の祭りがおこなわれると記された紙が張り出され、それを見て新しい近代的な橋ができたのだと勘違いした。



 新しいモダンな橋というには、その功徳橋はあまりに小さかった。それはあくまで亡魂を送る儀礼のために架けられたものだった。私はこの橋を見たとき、渡りたくてたまらくなったことを覚えている。橋を渡れば、異なる世界があるように思えてならなかった。そして渡ることによって心が清められ、違った自分になれるような気がした。
 橋を渡ることはできなかった。だれひとり渡ろうとしなかったからである。翌日、「功徳橋」と書かれた大きな額をもった地元のヤオ族の女性たちを先頭に、道公や師公、ラッパなどの演奏者、そして村人たちがつづく行進が最初でなければならなかった。
 記憶違いでなければ、この功徳橋儀礼は60年ぶりにおこなわれたものだった。基本的に10年か12年ごとにおこおなわれるレアな祭りである。祭りの本体自体は、近くの広場にもうけられた祭壇であり、そこで三清や玉帝に祈りがささげられ、踊りが奉じられた。

 
広場の隅の小屋のなかの祭壇 


 こちらの道教的な祭りは、豊作と家畜の繁栄を願う土俗的な習俗だった。私はこの祭壇(黄録壇)に掛けられた三清の像やお面、道公の赤い衣なども気に入った。また音楽のノリがよく、年老いた道公が激しく踊るのも自分の好みにあっていた。このような祭礼のあとは、当分の間気分がいいものである。ヘルスケアという面からも、こうした祝祭の時空間は再評価されるべきだろう。


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