心風景 landscapes within 32 宮本神酒男
90年代と2000年代、私がもっともよく歩き回ったのはナシ族やその親類の民族が分布する雲南と四川の境界地域だった。そのなかでもモソ(中国式に言えばナシ族支系モソ人)は文化も、人間も興味深く、私が愛してやまない人々である。
省境の瀘沽湖から歩いて数時間の山中の美しいモソの村で私はこのダバ(祭司)と会った。麗江を中心として分布するナシ族に絵文字経典(トンバ経典)を駆使する祭司トンバがいるように、モソ(自称ナズ)にはダバがいるのである。
トンバとダバは、儀式の内容などにも共通点が多く、五仏冠をかぶり、大きな法鼓を叩きながら鈴を鳴らすスタイルもほぼおなじである。
大きな違いは、ダバが絵文字経典だけでなく、文字に書かれた経典を持たない点だ。伝説によれば、ダバは牛皮に文字を記していたが、あるときあまりにお腹が減ってしまったので、その牛皮を食べてしまったという。それ以来ダバは文字を持っていないが、そのぶん霊感や直感が鋭くなったという。この種の文字喪失コンプレックス伝説は、はるかヒマラヤにも多数見受けられる。
ナシ族のトンバ教やモソのダバ教はボン教(チベットの仏教伝来以前からある固有の宗教)かどうか、という問題がある。トンバ教やダバ教は、ほぼ古代ボン教とおなじか、相当の影響を受けた宗教といえる。祖師の名前であるトンバシャラやティバシロは、ボン教始祖トンバ・シェンラブがなまったものにすぎず、祖師の生涯の物語もよく似ている。主要な神々、たとえばイァマ(チベットの戦神ウェルマ)なども共通している。何といっても、トンバは自分のことをブンブ、つまりボン教徒と呼んでいるのである。
しかしトンバ教やダバ教の儀礼のひとつひとつがボン教の儀礼と同じか、と問われれば、その確証はないと答えざるを得ない。
この写真のなかでダパが読誦しているのは、「口舌是非経」だった。言い争いをしたり、人の悪口を言ったりするのは、口舌是非魔の仕業である。この儀礼によって心と舌が清らかになれば、人と口喧嘩をしたり、文句を言ったり、だましたりすることもなくなるだろう。
近隣のプミ族と同様プリーツ・スカートが特徴的。民俗衣装はルールが厳しく、パターンをはずすことはできないけれど、その範囲内でウィッグや帯のおしゃれを楽しむ。
この60代のダバには、目に入れても痛くない年頃の娘がいた。ダバ自身が案内してくれたのだが、母屋から離れた入り口近くに小さな小屋のような部屋があった。もう少ししたら娘はその部屋に入るらしく、そうすると男が通うようになるのだという。かの有名な通い婚である。
婚姻形式がこのようであると、自然と女性のほうが強くなる。子供の多くは父親がだれであるかわからないという。通う男が何十年もかわらないことはまれで、普通は数年ごとにかわるという。これでは父親がだれであるかわからなくても仕方ないだろう。
部屋の説明をしたあと、ダバは何かにハタと気がついたような不思議な顔をした。
「が、外国人はダメだぞ! モソの男しか通ってはだめだ!」
私は想像すらしていなかったのだが、たしかに当時は自身年頃でもあったので、通うこともできたはずだ。
その何年かのち、外国人ではなく、上海や北京から来た漢族の若者たちが通い婚に挑戦しているという話を聞いた。言語道断、下手すりゃ売春行為ではないか。
ダバの(口伝の)経典には、夢経(ジム・クァ)という不思議なものがある。夢とは、ほとんど死と同義語である。あるいは死の前兆として見る夢である。それはつぎのような不安に満ちたうたである。
夢の中では、青空が倒れかかってくる
天空は限りなく広く、ゆるぎないはずなのに。
夢の中では、足元がぱっくりと割れる
大地は果てしなく広く、堅固なはずなのに。
夢の中では、そよ風が吹くだけで身体がゆらゆら揺れる
人の身体には嵐にも負けない強さがあるのに
このあと夢経は、魔鬼を祓う儀礼をおこなうことをダバに提案する。寿命は尽きているので、魂はすみやかに、祖先が住む世界へ送ってやる必要がある。
ダパの仕事は祝ったり、魔物を祓ったり、癒したり、占いをしたりと、さまざまな祈祷や儀礼をおこなうことである。モソの伝統文化はこのように奥行きが深く、複雑で、生活や人生観を豊かにしているのだ。
杜松の煙で恍惚とする
2000年代の半ば、私は送魂路(死亡時、先祖がいる安息地にして起源地へと亡魂が送られるルート)の伝承や送魂絵巻を求めて、モソのほかナムイ、プミ、イなど多くの民族の村々を訪ね歩いた。
そのなかでも古い文化を保つナシ族の俄亜(オーヤ)村は格別だった。ジョセフ・ロック以降、ナシ文化研究者にとっては神秘的な、あこがれの聖地であり、重要地点だったからだ。昔は行くこと自体が冒険で、初期の中国社会科学院の研究者たちも、途中で崖から落ちて大怪我を負っている。私が行ったときも、激流を一寸法師さながら、ロープを持ち、舟がわりのタイヤに乗って渡らねばならなかった。
その話については後日語るとしよう。
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