心風景 landscapes within 41    宮本神酒男    ムルカン神に痛みを捧ぐ 

 イエス・キリストの受難はよく知られているが、キリスト教だけでなく、あらゆる宗教が「聖なる痛み」をもっている。マレーシアのインド系(タミル系といったほうがいいだろう)の人々のタイプーサム祭でも、神(ムルカン神)に捧げられる至上の献上品は痛みである。



 一月の祭りの日、クアラルンプールから北へ8キロほどのバトゥー洞窟のあたりは、体中に針や棘を刺した人だらけになり、そうでない人々は――私を含めて――不信心者みたいで、なんとなくバツが悪くなってしまう。かといって頬に針を刺したり、背中に鉤(フック)をひっかければムルカン神を信じるようになるわけでもないだろうけれど。

 クアラルンプールのセントラル・ステーションのある地下鉄路線に乗ると、タミル人だらけで驚かされる。かれらはもともとマレー半島のプランテーションで働くためにインドのタミル地方からやってきた。マレーシア人の人口の7%ほどがインド系というから、日本に置き換えれば700万人以上にもなり、たいへんな数である。このタイプーサム祭もタミル人といっしょにインドからもたらされたものだ。

 しかし太古の昔からバトゥー洞窟はパワーを発する聖地だった。宇宙人が最初に地球に入植したときのUFOの基地であると説明されても納得できるようなインパクトの強い直径2マイル(3・2キロ)の大洞窟だ。
 ここにまつわる有名な伝説には「呪われた船」がある。あるマレー人の農民が富と成功を求めて家を出た。彼は大きな成功をおさめ、ある王女と結婚する。しかし地元に凱旋したとき、貧しい母と会っても、恥ずかしさから、母と認めなかった。母は怒って息子と船に呪いをかけた。帰り際、船は嵐にあい、そのとき息子は鷲に姿を変えさせられ、船は巨大な岩となった。これがバトゥー洞窟だという。たしかに洞窟のなかにはいると、巨大な船の残骸のなかにいるような気分になる。

 カヴァティーを背負う 

 タイプーサム伝説の主役のひとりは悪魔イタムパンである。ムルカン神はチュル悪魔群をほとんど殺したが、イタムパンは数少ない生き残りだった。スラッダ儀礼をおこなって死んだ仲間をとむらうイタムパンの姿を見て仙人アガスティヤは感銘を受ける。アガスティヤはイタムパンに、二つの丘をシヴァの地、パラニに運ぶという聖なる役目を与えたのである。しかしその途中、丘が自分のものだと主張する若きムルカンと出会い、戦いとなる。イタムパンは敗北するが、アガスティヤのはからいによってムルカンの下僕となる。
 この祭りで、修行者が背負っているものがカヴァティーと呼ばれるが、これは丘を表わしている。ムルカンの信仰者はカヴァティーを背負うことによって悔い改めた悪魔となり、神である主人に忠誠を尽くすのだ。