心風景 landscapes within 1 宮本神酒男 
水牛の本性 

 
左は中国雲南元陽の棚田。右はミャンマー・ラカイン州のカルダン川の川岸。Photo:Mikio Miyamoto 

 アフリカ、ウガンダ。昔の私は歩くのが好きで、このときも滞在している町を出て、さらに荒れ地のようなところを歩いていた。しばらくすると、少し離れたところに立っている地元の人がこちらに向かって何か叫んでいるのに気づいた。聞き取ることができなかったので、私はその人のほうへ歩み寄った。ようやく何と言っているのかわかった。「逃げろ!」と叫んでいたのである。

 私はそのときはじめて黒い塊が地響きを立てながら迫っていることに気がついた。バッファローの群れだった。慌ててもといた方向へ身をかわすと、茶黄色の粉塵に包まれた黒い塊が目の前を怒涛のように過ぎていった。あやうく大群に踏みしだかれるところだった。これが「暴走するバッファロー(水牛)の群れ」との最初の出会いだった。このバッファローはアフリカスイギュウである。アメリカの「野牛」バイソンが、正確にはバッファローではないのに、間違われてしまうのは、バッファローのように集団で爆走するからである。

 中国や東南アジア、南アジアでは、今も水牛は農耕において欠かせない労働力だ。左上の雲南省元陽の有名な棚田でも、田んぼの泥水の中で水牛は犂を牽いている。下の写真は雲南省西盟のワ族の村で会った水牛に乗った少年。水牛はすっかりペットと化している。おとなしい水牛に慣れた人々は、水牛が集団になると暴走する動物だと聞くと、驚くだろう。

 水牛のこの隠された性質をはじめて認識できたのは、ミャンマー・ラカイン州のムラウーめざしてカルダン川を遡上する船に乗っているときだった。川岸を眺めていると、少なくとも離れた場所の三つの水牛の集団が、目的は不明だが、爆走していたのである(写真右上)。一種の憂さ晴らしなのか、メスを取り合ってオスたちが能力を示しているのか、あるいは急ぐ何か理由があるのかわからないが、ともかく巨体を揺らして集団の皆が全速力で走るのである。

 私はふと考えた。労役に就いているおとなしい水牛たちは、自分の中に集団になれば暴走する性質があることを知っているだろうか、と。牛ももしかすると同じ性質を持っているかもしれない。家畜化されたために、その性質が消えてしまったのかもしれない。水牛でないバイソンが荒野をいつも集団で走っているのは、バッファローと同じおそらくウシ科の性質を持っているからである。

 いや、牛に限らないかもしれない。死の行進で有名なレミングも、集団暴走する自分たちを押しとどめられなくなったのかもしれない。人間だって、集団になると暴走する傾向を持っている。独裁者のせいにされることが多いが、独裁者の独裁を許してしまうのは、おのれの中にバッファロー的な集団暴走の性質があるからかもしれない。


水牛に乗ったワ族の少年。ちなみに画像中央真横に走る線は、村の「水道」の竹樋。
Photo:Mikio Miyamoto