心風景 landscapes within 5  宮本神酒男 
マト僧院の強力シャーマン僧のパワーに押しつぶされそうになる (インド・ラダック) 


ネチュンなどとも共通する典型的なチベットの託宣僧のいでたち。Photo:Mikio Miyamoto 

 ミイラ獲りがミイラになる。そんな感じで、私はマト僧院の祭りで神がかりそうになり、あやうく「シャーマン獲り(取材)がシャーマンになる」ところだった。言うまでもないことだが、関係者でもない人間が神がかっても意味はない。台湾でタンキーを追っていると、参列している普通の若者がお香の煙を嗅いで神がかるのをよく見かけた。インド北部でご神体を持って一か月近く村から村へと歩いたとき、やはり突然いっしょに歩いていた村の若者が神がかって、痙攣しながら何かをうわごとのようにしゃべりだすこともあった。しかし私が神がかるのは一種のルール違反だ。ネパールの山中の村で、ジャーンクリ(シャーマン)の導きで意図的に神がかってみたことはあったが、通常は、観客が舞台に上がって演じてはいけない。

 ラダックは小チベットと呼ばれるように、チベット文化圏の一翼を成しているが、チベット中央部のラサ政権の支配が及ぶことはほとんどなかった。だからダライラマを頂点とするゲルク派の僧院は少なく、最大多数がブータンに多いドゥク派で、つぎがニンマ派である。マント・ゴンパ(マト僧院)は非常に珍しいサキャ派のゴンパ(僧院)である。

 創立者はドルジェ・パルサンという学者僧で、チベット文化圏の東の端から西の端まで歩いてきて、1410年にマト僧院を建てた。その際に彼は聖なるカワカポ(中国人や日本人には梅里雪山として知られる)からロンツェン・カルマルという護法神を連れてきた。このロンツェン兄弟(カルマルは紅白という意味)がたいへんなパワーを持った憤怒神なのである。

 ロンツェン[シャーマン僧は憑依する護法神の名で呼ばれる。私が一般的なシャーマンを表わすラパと呼んだら、お坊さんに叱られた]は四年ごとに選ばれた。チベット暦の十月十五日、選定の儀式がおこなわれ、名前が書かれた紙片の入った壺が振られる。そのとき飛び出してきた紙片に書かれた名前の僧侶がロンツェンに選ばれたことになる。つまり普通の若い僧侶がシャーマン僧になるのである。けっして巫病(シャーマニック・シックネス)を患わねば資格がないとうわけではない。


宗教仮面劇の一こま。主役ドゥパの子供が屍林主ドゥルダの縄で遊ぶが、死んでしまう Photo:M. Miyamoto 


 チベット暦十一月十四日から、翌年一月十日まで、厳格な篭りの修業がおこなわれる。この期間、ふたりはへーヴァジュラの瞑想をおこなう。一月十日、彼らはマハーカーラ祠堂の前で神がかった状態で人々の訪問を受け付ける。人々が何か質問すると、彼らは答える。

 十一日、ロンチェンは高僧や高官と会う。彼らはロンチェンにさまざまなものを贈る。

 十二日、十三日は神がかって一般の訪問者と会い、質問を受け付ける。

 十四日、ナグラン祭が始まる。ロンチェンは道鏡を胸に下げた典型的な託宣僧のいでたちで、チャム(宗教仮面劇)の踊りに参加する。しだいにロンチェンは憤怒神の正体を現して、刀を持ったまま走り回り、ついには屋根の上ですさまじい形相で暴れまくる。


刀を持って屋根の上を走り回るロンチェン。Photo:Mikio Miyamoto 

 このあとロンチェンが中庭に降りてきて、憤怒神らしい激しい剣の舞いを踊ると、そのまわりを群衆が囲んだ。憑依しているときのロンチェンはほんとうに危険で、以前は撮影しようとした人のカメラを取り上げて、地面に叩きつけたという。

 しかし私はカメラの心配をする以前に、自分の体の調子が悪くなっていくことに気がついた。体中が痛く、同時に体が痙攣を起こしそうになった。これはまずい。癲癇患者にでもなったみたいだ。私は人の輪をはずれて、物陰でしゃがみこんで波が去っていくのを待った。


真っ黒なのは、マハーカーラでもあるからだろう。Photo:Mikio Miyamoto 

 ロンチェンたちは、沐浴したあと、全身を墨で真っ黒に塗り、虎模様のスカートをはき、かつらをかぶり、黒い布で顔を覆い、胸と背中に憤怒相を描く。手にはでんでん太鼓とガンデと呼ばれる杖を持つ。前日とはまったく異なるいでたちだ。

 数日後、静かになったマト僧院を私は訪ねてみた。あの恐い面持ちだったロンツェンは、ごく普通のおだやかな青年僧になっていた。実際ロンチェンを「卒業」したあと、彼らはまったく平凡な僧侶に戻るという。