心風景 landscapes within 58 宮本神酒男
ラダック白人村伝説
ニューヨーク州に初雪が降りました……て感じだけど、ここはラダックのダー村。
何度かインド・ラダックを訪ねると、しばしば、とくに西欧人から「白人の住む村があるらしい」という噂を耳にしていた。あるとき、どうしても気になるので、村に直接行って確かめることにした。最近は観光地化が進んでいるダー、ハヌー村である。
Photo:Mikio Miyamoto
近くを流れるインダス川上流。破氷混じりの瑠璃色の川面が美しい
村に入ると、子供たちが駆け寄ってきた。たしかにどう見ても白人の子供だ。おとなたちを見ると、中央アジア(多くはテュルク系だ)の人のように見える。アフガン人のように見える人々もいる。彼らはダルド人と呼ばれる。パキスタン北部のギルギットをはじめ、各地に分布しているが、カルギルやこのダー・ハヌーなどにも飛び地のように居住地域がある。パキスタン北西部のチトラル南方に分布する(ギリシャ人の後裔とも言われるが)カラシュ人とも関係が深いようである。
たしかにギルギットで以前、12歳くらいの金髪の女の子を見かけたことがあった。ダルド人の見かけが白人っぽいのはたしかだ。私はダー村の青年にいろいろと話を聞いてみた。村一番のインテリの彼に言わせれば、世には誤解が多く、どの学者も十分に民族の源の謎を解いていないという。彼らは非常に古くからここに住んでいるのであって、この数百年の間にやってきたのではないという。
簡単な基礎語彙チェックをやってみた。なにしろヒンディー語さえ十分に学習していないので、ダルド語の特徴をすぐにつかむことはできなかったが、ヒンディー語やサンスクリット語によく似ていることはすぐにわかった。青年も認めているように、いわば古代ヒンディー語だった。
ヴェーダとともに、アーリア人がインド亜大陸にやってきたのは3500年前くらいと言われてきた。実際、アーリア人の軍隊がやってきて、インドの原住民を征服した、といったことは起きなかったかもしれない。千年、二千年、あるいは五千年の間にゆっくりとやってきたのかもしれない。
しかしダルド人だけがあまり現地のインド人と交わらずに、アーリア系白人の特徴を残しているのはなぜだろうか。やはりインドにやってきたのが、ほかの部族と比べ、遅かったのではないかと思う。といっても、二千年以上はたっているのだろうけど。東側のアーリア人がインドにやってきたのに対し、西側のアーリア人はイランへ行った。それよりは少しあとだが、山岳地帯にとどまり、平地のインド人とは交わらなかったのだろう。
大ボロール国(バルチスタン)、小ボロール国(ギルギット地区)とダルド人の分布はだいたい一致する。大小ボロールは兄弟国で、ダルド人の国だったのかもしれない。8世紀に大ボロールはチベットの支配下になり、その後いくつかのテュルク系の部族が入ってきたようだ。バルチスタンで小学校の子供たちを見ると、半分くらいの生徒の瞳は茶色だった。おそらく現在のバルチスタン人にはダルド人、チベット人、テュルク人の血が混じっているのだろう。
ちなみに彼らはチベット仏教徒で、ダライラマ法王の講話の際には踊りを献上することがあった。彼女らは舞台の上でわれわれ一般客のほうを向いて踊りを披露するのではなく、ダライラマ法王に向かって披露するのであった。つまりわれわれは後ろから踊りを眺めるわけで、それは奇妙な光景だった。
ラダックの首都レーの郊外でナッツを売っている女性もダー村出身。若い頃から美貌で知られていた。
ダライラマの講話が行われたとき、ダー村の女性らの踊りが献上された。