心風景 landscapes within 9 宮本神酒男 
人生の縮図トラック (ミャンマー) 

Photo: Mikio Miyamoto

 じつはこの写真は何年も倉庫の中に眠っていた。すっかりその存在が忘れられていたのである。あるときルーペで覗いたら、思いのほかいい写真で(自画自賛)、それからは何度も、矯めつ眇めつした。

 場所はミャンマーのどこか。マンダレーからバガン方面に向かっているときだろうか。隣には水木さん(水木しげる氏)。この古いトラックの動きがおかしかったので、車を止め、ふたりで外に出て「おおっ」と驚いているのである。

 時速5キロくらいで走行している。数百メートル、せいぜい数キロ離れたところで作業をするため、必要なものを積み、作業をする人々も載せていこうとしている。トラックの側面にしがみついているのは少なくとも5人。ひとりだけ上を見て「何を騒いでいるんだ?」と不思議な様子。ほかの4人は我関せず。「人の不幸などどうでもいい」というもっともな反応だ。同情して、声をかけたところで何の得がある? そもそも不幸というほどでもないだろう。

 トラックの上にいるのは少なくとも6人。そのうち2人は高い木の枝に弾き飛ばされそうになっている。水中から突き出た枝に弾かれて筏(いかだ)から川に落とされ、流された経験を持つ私は、枝の強さを知っているつもりだ。人は容赦なく飛ばされてしまう。2人にとってこれは深刻な危機であり、場合によっては生命の危険すらあるのに、誰にも理解してもらえない。声を出して運転手に止まってもらうしかない。

 運転席には人がいないように見える。上の人の声が届いて運転手はどうなっているかを見るために外に出て、トラックの後ろに回ったのだろうか。助手席には2人が静かに坐っているように見える。運転手が戻ってきたら「いったい何があったんだ?」と聞くつもりなのだろう。

 まるでミャンマーの縮図のようなトラック共同体だ。まずは枝に引っ掛からなかった自分の「運」に感謝する。仏教を信じていればそんなに悪いことは起こらないのだ。他の人々に同情はするものの、あまり深く関わらないようにしよう。助けてあげることができないのに、同情したところで何かいいことがあるだろうか。まずは目をそむけること。これが処世術というものだ。