心風景 landscapes within 4 宮本神酒男 
90歳と72歳の母娘に永遠の絆を感じた (四川) 


羊毛を圧縮した帽子と挿した鶏の羽根が特徴的。アメリカのネイティブみたい Photo: Mikio Miyamoto 

 甘粛省側の白馬チベット族の新年の祭りを見たあと、四川側の平武県の白馬チベット族の村を訪ねた。ここは一種の観光村で、もともとの村はダムを建設したため、湖底に沈められたようだった。十年前に滞在した村はもうなくなっていた。私が沈めたいと思った記憶ごと、今は湖底に眠っているのだ。

 白馬チベット族は起源がはっきりしない興味深い民族だ。起源どころか、彼らは自分たちは「チベット族ではない」と言う。古代羌人の子孫ではなく、古代氐人の末裔だと主張する。たしかに彼らの言語は厳密にはチベット語でなく、ギャロン族をはじめとするチベット語に近い別のチベット・ビルマ語を話す12の民族の一つである。彼らは仏教徒ではなく、ボン教徒(ポン教徒)である。これに関しては語り始めたら止まらなくなりそうなので、ほかの場所で論じることにしよう。

 私が湖底に沈めたかった記憶とは、その村でリンチに遭うという冗談ではすまされないできごとのことである。しかしそれについて語る前に、当時私のコンディションが最悪であったことを言わねばならない。

 その一か月前、私は広西チワン族自治区北西の山中のヤオ族の村に行こうとしていた。彼らの祖先が日本からやってきたと言われていたからである。前年に一度村を訪ね、もう一度祭りのときに(このとき重要な儀礼が行われる)来ることを約束していた。山村に入る手前の公道沿いの安宿に泊まっているとき、私の身に何かが起きて、瀕死の重傷を負った。

 私は長らく意識を失い、目覚めたときは自部屋の冷たいコンクリの床の上に転がっていて、動かせるのは指先だけだった。腰を激しく打っていたので、脊椎の下あたりを損傷していたのだろうと思う。意識を失っていたのだから、頭を打っているはずなのに、私はそれには気づいていなかった。私にとって唯一の記憶はUFOに拉致され、いろいろと調べられ、宇宙の秘密を教わったというものだったが、あとで考えるとそれは臨死体験に近かったのかもしれない。

 私は町(田林県)の病院に入院し、本当は退院できる状態まで回復していなかったが、無理して一週間で病院を出て、夜行バスで雲南省の昆明に到達した。じつはそのあと徐々に頭の状態がおかしくなり、統合失調症か、あるいは記憶力がかなり失われたので、痴呆症の患者のような症状が出ていた。

 そんな状態で白馬族の村へ行ったので、健常な人とはあきらかに違っていただろう。祭りのとき、私は子供たちとうまくやっているつもりだったけど、ケガをしている腰を子供たちが面白がって触ってくるので、「触らないで」と言ったら、子供のひとりがわっと泣き出してしまった。きつく言ったつもりはなかったので、私自身驚いたのだが、白馬族の若者たちは「子供をいじめた」とみなし、私に対して集団暴行を働いたのである。

 その日の夜、リーダー格の若者らが私の宿の部屋までやってきて、謝罪した。外国人に対して暴力をふるうのはさすがにまずいと思ったのだろう。実際、たいしたケガを負わなかったので(手加減したのだろう)私はそれほど気にしていなかった。今考えると、公安局に届けたなら、場合によってはたいへんなことになっていたかもしれない。あるいは「生かしてはおけない」ということで川に流されていたかもしれない。

 白馬族のこの粗暴な感じは、ゴロク人(青海省の荒々しいチベット族として知られる人々)やチベット族のカムパ、イ族とも共通している。チベット・ビルマ語族の特質だと私は肌で感じている。

 私はその後雲南に戻り、保山ではふらついていたところを暴漢に襲われて角材で殴られ、入院し(医者に夢遊病と言われる)、そのあと大理で幻覚を見ながら数日間さ迷い歩くなど、苦難のときを過ごした。ささやかな部類に入る平武県のリンチ事件のことは思い出すこともあまりなかった。しかしこうして十数年ぶりに戻ってくると、当時の記憶があざやかに蘇ってきたのだった。

 複雑な思い出にあふれた白馬族の村で出会った90歳と72歳の母娘に、私は感銘を受けた。いったい何十年、この二人は炉べりで語り合ってきたのだろうか。時がとまってほしいと、このときほど強く思ったことはなかった。もうこの光景はないのだろうけど、それは私の心に焼き付き、永遠に消えることはない。