心風景 landscapes within 61 宮本神酒男 
いかにして風景を心に焼き付けるか ウー・ベイン橋 (ミャンマー) 


ウー・ベイン橋 Photo: Mikio Miyamoto

 作られたときの意図とはまったく異なるイメージを持つ存在がある。たとえばマカオのポルトガルの要塞跡、メラカ(マラッカ)や台南のオランダの要塞跡の砲台がそうだ。当時は最新の武器だったはずで、遠目にこの砲台を見ただけで敵は震えあがったはず。しかし現在は「兵(つわもの)どもの夢の跡」であり、感傷的な気分にさせられる。ミャンマー・アマラプラのウー・ベイン橋にも、じつはそういった側面があったのかもしれない。 

 この木橋が作られはじめたのは1849年で、完成したのは1851年だという。第二次英ビルマ戦争が勃発するのは1852年なので、微妙な時期ではあった。アーサー・ペイアーが馬に乗ってこの橋を渡ったのは1855年だった。橋の長さは1200メートルに及び、1086本の木材が用いられた。都がアマラプラに移されたとき、アヴァやザガインの木造寺院の廃材(ティーク材)を再利用して建設した。この廃材の再利用というのは、当時にあっては斬新で、ある意味テクノロジーの最先端をいっていた。建設を担当したのは、ミョーウン(知事)のバイ・サーヒブの官吏であったウー・ベイン(ウー・マウン・ベイン)である。この二人はムスリム(イスラム教徒)だった。サーヒブという名称からすると、インド人ムスリムである。英国はまだビルマ全体を支配下に置いたわけではなかったので、彼らはイギリス人が連れてきたのではなく、ビルマの都がすでに国際都市になっていたということだろうか。

 観光客は少なかった。 Photo:Mikio Miyamoto 

 私がこの写真を撮ったのは2000年頃だったかと思う。マウンタウン湖に浮かぶ小舟に乗った私は恍惚とした気分に浸っていた。大自然の美しさに畏怖の気持ちを抱くことがあるが、人工物に魂を奪われることもあるのだ。私はなんとかこの光景を記憶にとどめたいと思った。美しい風景の記憶というものは時の移ろいとともに失われていくだろうから。


「ウー・ベイン橋の恋の物語」と名づけたくなるが、もちろん偶然撮れた写真。Photo:Mikio Miyamoto 

 それから十余年後、予期した以上にウー・ベイン橋は変わっていた。まず、人が多い。観光客だらけで、観光客目当ての仕事をしている人々も大幅に増えている。橋に近づくに従い、雑踏の中をかき分けて進まねばならなかった。橋の上も人であふれていた。がっかりさせたのは、橋の老朽化が進んだためだろうけど、補強工事によって橋脚の部分にX字の補助材が副えられていたのである。これだけで興ざめしてしまった。もちろん見物客の勝手な言い分にすぎないけれど。