アイランドマージーの魔女裁判
シェーン・コクレイン 宮本神酒男訳
1711年2月22日の夜12時、アン・ハトリッジ夫人は痛みのあまり叫び声をあげた。彼女はノウヘッド・ハウスに息子とその家族とともに住んでいたが、その晩は地元の長老教会の牧師と教会の長老二人、そして数人の隣人がやってきていた。ハトリッジ夫人が叫んだとき、家にいたすべての人は彼女のために祈っていた。彼らが夫人の寝室に駆けつけたときには、彼女はすでに死亡していた。通常の意味における病気ではなかったが、この数か月、彼女は奇妙な痛みに苛まれていた。
それは前年の9月からはじまった。ハトリッジ夫人が台所でひとりで坐っているとき、突然無数の石がぶつけられたのである。この老いた婦人が夜、ベッドに寝ているときも、見えない石が投げつけられた。それにつづいて寝ているベッドから枕やブランケットが引っ張られた。ときにはそれらによってベッドの形が作られることがあった。それは死体の形のようでもあった。ときには寝室から寝具そのものが完全に消えてしまうことがあった。いずれのときも部屋にいるのは彼女ひとりだった。
奇妙な少年が家にやってきた。ぼろぼろの服を着て、顔を何かで覆い、窓を割り、家族のものを盗んだ。少年ははじめ夫人にだけ見えたが、のちに夫人の孫たちや使用人たちにも見えるようになった。彼らにはその少年が悪魔の幻影に見えた。召使いのひとりがあるとき、少年を締め出そうと扉を閉めようとすると、少年が言った。
「ぼくはどんな小さな隙間からでも、猫やネズミみたいに家の中に入ることができるんだ。悪魔はぼくが喜ぶことなら何でもしてくれるよ」
ハトリッジ夫人が原因不明の苦痛に悩まされているという話は、アントリム県の隔絶した半島にあるアイランドマギーの狭いコミュニティーのなかではすぐに広まった。そして症状が悪化すると、近隣の多くの人が集まり、回復を願って祈りを捧げた。集まるようになってから6か月後、夫人が死ぬと、多くの人は彼女が呪いをかけられて死んだと信じるようになった。
1711年2月27日、ハトリッジ夫人のいとこ、17歳のメアリー・ダンバーがベルファストからアイランドマージーにやってきた。アン・ハトリッジが死んだあとの家族を助けるためである。しかし彼女は、はからずもノウヘッド・ハウスの奇妙なできごとの渦中の人物となる。
メアリー・ダンバーの苦悩
彼女が着いた日の晩、居間の床の上に前掛けが落ちていた。それはまるめられ、5つの結び目で結ばれていた。家族はそれを見てぞっとした。ある種の呪いだと彼らは思ったのだ。それが何であるか調べるのはメアリーの仕事だった。
彼女はまるめられた前掛けをあけ、フランネルの帽子を発見した。それがハトリッジ夫人のものであることは、家族にはすぐにわかった。彼女の死後数日、その帽子は消えたり現れたりしていた。このような仕方で発見されるということは、これは本当に呪いに違いないとメアリーは確信した。
翌朝、メアリーは腿に突然鈍い激しい痛みを感じた。その日は一日中、痛みが何度もぶり返した。また、痛みが体中を移動しているようにも思えた。おなじ痛みが、背中や頭の中、また胸にも現れたのだ。この痛みは午後3時までつづき、それから最初の発作に襲われた。
メアリーは発作に襲われている間、だれかに祈祷されているように感じた。まただれかと話をしているようにも思えた。このことについて質問されると、彼女は発作の間、ベッド上に数人の女が現れたと答えた。この発作を起こさせたのは彼女たちだった。彼女たちはメアリーを殺すと脅した。
メアリーは数週間、発作に苦しみつづけた。彼女がひとりきりでベッドに残されるということはなかったが、これらの女たちを見たのは彼女だけだった。彼女が主張するには、女たちがやってくるときには硫黄の匂いがするという。
発作やヴィジョン以外にも、メアリーはさまざまな現象を経験した。これらの現象に襲われたとき、彼女は寝室から離れることができなかった。実際に肉体を使ってドアから外へ歩くことができなかったのだ。なんとかドアにたどりついても、そこで彼女は意識を失った。
メアリーの体に結ばれた紐(ひも)が現れるようになった。まず8つの結び目をもった黒い紐が彼女の腕に結ばれた状態で現れた。それからしばらくして5つの結び目を持つ青い紐が現れた。そして腰に結ばれていたのは9つの結び目を持つインクル(布巻尺)だった。それらは目撃者の目の前で、どこからともなく現れるのだ。
空中浮遊という現象も起こった。ベッドに横たわったメアリーの体が「説明のつかない仕方で」ずれていき、ゆっくりと床の上に着地するのを見て、人々は肝をつぶした。まるで見えない何者かによって支えられているかのようだった。
メアリーはまたしばしば、だれかがいる隣で鳥の羽根や毛髪、ヘアピン、ボタンなどを吐いた。これらはヴィジョンに出てくる女たちのひとりが彼女の喉に入れたものだとメアリーは主張した。
メアリーはノウヘッド・ハウスでもっとも注目されていたが、奇妙な体験をするのは彼女だけではなかった。ハトリッジ家の人々は依然として、目に見えない者による石の攻撃にさらされつづけていたのだ。衣類がよく消えてなくなった。着けている前掛けの紐に突然結び目が現れることもあった。たくさんの亡霊が目撃されたが、なかにはハトリッジ夫人が見た少年も含まれていた。奇妙な騒音、笑い声や笛の音がどこからともなく聞こえてくることがあった。この家の訪問客のなかには、こういった目に見えない者から攻撃を受けることがあった。
魔女の呪い
メアリーによるとヴィジョンに現れる女たちを彼女は知らないという。しかし彼女らの何人かは、登場したときに名前を告げている。3月1日、そのひとりの名をメアリーは明かした。ジャネット・カーソンである。カーソンの娘はそのときちょうどノウヘッド・ハウスにいた。この告発を聞いて彼女はすぐにシンクレア牧師のところへ助けを求めに行った。シンクレアは、母親はメアリーのところへ行くべきだと言った。
説得されたジャネット・カーソンはともかくもハトリッジ家に行った。彼女が来ることは知らされていなかったが、その少し前にメアリーは恐怖におびえていたとその場にいた人はのちに報告している。カーソンとは会ったことがないとメアリーは主張しているが、彼女が部屋に入ってきた瞬間、「ああ、ジャネット・カーソンよ!」と叫んだという。
その日遅く、メアリーは発作のときに現れる二人の女性について述べた。ジャネット・リストン、とその娘エリザベス・セラーの名が挙げられた。ふたりとも魔術と関係しているという噂が立っていた。リストンとセラーはメアリーのもとに呼ばれた。メアリーはふたりを認識すると、発作に襲われた。
数日後、キャサリン・マッカルモンドがノウヘッド・ハウスにやってきた。彼女もメアリーが描いた人物像とマッチした。メアリーはマッカルモンドを見た瞬間、発作に襲われた。メアリーは彼女と会っている間、何度もつかみかかろうとした。しかし見えない何者かによってメアリーは引き離されたとその場にいた人々は考えたようだ。それはまるでマッカルモンドに触らせないようにしているかのようだったという。
メアリーはさらにふたりの名を挙げた。ジャネット・メインとジャネット・ラティマーである。ふたりもノウヘッド・ハウスに連れてこられた。彼らと会ったときもメアリーはおなじような反応を見せた。
1711年3月5日、カリックファーガスの市長はジャネット・カーソン、キャサリン・マッカルモンド、ジャネット・リストン、エリザベス・セラーに対する逮捕状を発行した。午前10時までに全員が逮捕され、カリックファーガスの刑務所に送られた。
3月6日、和平裁判所はアイランドマージーの事件に関する容疑者全員に逮捕状を出した。言い換えるなら、メアリーが口にした名前の全員が逮捕されたのである。
3月14日朝、カリックファーガスの刑務所にいるはずのジャネット・メインがメアリーのもとに現れた。刑務所を調べたところ、メアリーのもとに現れる前にメインの拘束が解かれていたことが判明した。
ジャネット。ミラーという女の逮捕された。家宅捜査したところ、人間の毛髪やハーブのかたまり、そしてそれに針が刺さっているのが発見された。これが証拠として彼女は有罪になった。
メアリーはまだミセス・アンという女が彼女に取りついていると主張した。一部の人はそのミセス・アンが近くのキルルートに住むマーガレット・ミッチェルに似ていると考えた。ミッチェルはノウヘッド・ハウスに連れてこられた。おなじような魔女の被害を受けたことのある男性がミッチェルと会うようにとりはかることができると主張した。メアリーは彼女と会うのを恐れたが、意識を保ったまま会うことができた。そして彼女がミセス・アンと呼ばれる魔女であると断定した。この直後にメアリーは鳥の羽根を吐いた。ミッチェルが逮捕されるまでこの症状はおさまらなかった。
裁判
1711年3月31日午前6時、8人の女の裁判がはじまった。ベルファストからやってきた英国国教会の牧師ウィリアム・ティスドール師はカリックファーガスにやってきて、裁判を傍聴し、できるだけ「今日のできごと」としていきいきと描写しようとした。しかしそんなに簡単ではなかった。裁判にはアプトンとマッカートニーというふたりの裁判官がいた。しかし弁護士はいなかった。順序立てて証拠が示されることはなかった。事件の時間と場所も混乱していて、審理が終了したとき、ほとんどの人はアイランドマージーで実際何が起きたか理解していなかったのではないかとティスドールは感じた。
この混沌ぶりに加えて、被害者と証人とも証拠を提出することができなかった。メアリー・ダンバーはカリックファーガスへ行く途中にも、何度も発作にみまわれたと主張した。この発作のひとつで、ひとりの男とふたりの女が現れ、法廷で話す能力を失うことになると脅してきたという。このあと1時間以内にメアリーは話す能力を失った。
ティスドールによると、被疑者たちは彼らの性格を値踏みされたという。女たちはひとりずつ聖書の祈りを唱えられるかどうかだけでなく、勤勉であるかどうかが調べられた。彼女らはなんとか聖句を唱えた。アプトン判事はこの様子を見て、彼女らが悪魔に仕えているとは思えないという印象を持った。しかしながらティスドールは、彼女らが獄中で学んだという疑いを持った。
ティスドールは外部者だが、この事件を描写するときに色眼鏡を通じて見ていたことはあきらかである。自称被害者のメアリー・ダンバーはあけっぴろげで、純真な表情をしていたと書いているのだ。また被疑者たちに不利な証拠を提供するのは「高潔で理解力のある、善良で立派な人々」であると述べている。一方で被疑者たちは邪悪な顔つきをしていて、まさに魔女のように見えると記している。
8時間にわたってつぎはぎだらけの証拠が陳述されたあと、アプトン判事は結審のための判断を示さなければならなかった。アプトンはこのノウヘッド・ハウスの事件の背後に何か邪悪なものがあることに疑いの余地はないと感じていたが、この女たちにその責任があるとは思えなかった。「苦痛にさいなまれる人のヴィジョンの証言だけ」では被疑者を有罪とすることはできないと理性的に語った。
しかしアプトンの同僚であるマッカートニー判事はこれらの女たちが有罪である充分な証拠があると主張した。結局8人の女たちは、12か月の禁錮と4回、さらし台にさらされるという刑が言い渡された。
魔女犯人説
一般的にアイランドマージーのできごとは、歴史上の珍奇な事件とみなされている。土着のスコットランドの迷信とスコットランド長老教会のピューリタン的な環境との衝突によって引き起こされたと考えられるのである。
スコットランド人は1610年にアイランドマージーに到着しはじめた。そのとき彼らは小さな、隔絶した地域には不釣り合いな数の立石が並んでいるのを発見した。空気は妖精の音楽に満ち、大地は黒犬の姿をした悪魔が彷徨していた。1642年頃までには、アイランドマージーはスコットランド人入植者であふれ返った。定住者の大半はスコットランド低地から来ていた。彼らとともにもたらされたのは、長老教会主義ともいうべきキリスト教と当時本国で猖獗をきわめた魔女の恐怖だった。しかしこの事件を詳しく見ていくと、いくつもの考え方が出てくる。
ノウヘッド・ハウスで観察された現象は、1711年に魔女事件が起きた証しであると解釈されるが、ポルターガイスト事件であったと解釈することも可能である。目に見えない石投げ事件は、古くは530年にあったという方国があるのだ。アイランドマージー事件にはたくさんの悪ふざけのような現象が起きていた。たとえば奇妙なにおいや亡霊などである。さまざまな種類の騒音もそうである。ひっかく音、バンと叩く音、どこからともなく流れてくる口笛、笑い声などが聞こえた。当時それらが魔術とみなされたのは、まさにメアリーの苦悩のヴィジョンによるところが大きかった。興味深いことに、1682年のデヴォン・ポルターガイスト事件では被害者は苦痛を与える者の姿を見ている。それは年老いた女だった。
同時期のスコットランドの2つの事例は、いかさま魔術の可能性があることを思い起こさせてくれる。1676年、ジョージ・マクスウェルは呪いをかけられて自分が死のうとしていると信じた。ひとりの少女によってそう信じ込まされ、6人が魔術をおこなったという確信を持った。少女の話が嘘であることがわかったときには、6人のうち5人がすでに処刑されていた。
そして1697年、11歳の少女が憑依されたふりをした。このイカサマが引き金になって25人が逮捕されることになった。しかしこのときも、少女の嘘がばれるまでに5人が処刑され、ひとりが自殺していた。
メアリー・ダンバーがアイランドマギーで意図的に詐欺を働いた証拠はない。しかし彼女がやってきたとき、ハトリッジ夫人が死亡したばかりで、コミュニティー全体がハイな状態にあったことはまちがいない。このことが心理学的にどうメアリーの精神に影響を及ぼしたかは推測するしかない。とくにだれもが魔術の犠牲者と考えていた女のものである衣類の包みをほどいたのはメアリー本人だったのである。
1830年代、英国陸地測量部で働く役人は、アイランドマージーの人々の大半が魔術をいまも信じていることに気づいた。そしてメアリー・ダンバーを苦しめたかどで告発された8人の女の有罪を信じて疑わなかった。しかし被害者がメアリー・ダンバーであろうとアン・ハトリッジであろうと、8人の女が彼らに呪いをかけ、害を与える動機が見つからなかった。
現象の背景になにがあろうと関係なく、アイランドマージー魔女裁判はアイルランド史上もっとも奇妙な事件であったといえるだろう。この種の裁判としてはこれがアイルランドでは最後だったが、魔術に対する弾劾はつづいていた。しかし長老教会のコミュニティーでは、こうした告発は断続的に調査された。カリックファーガスで弾劾された8人の女に関して言えば、刑期を終えて釈放されたあとどうなったか、記録が残っていないのではっきりとはわからない。