ジャンとリンの戦争(梗概) 

 リンの南に黒ジャンという国があった。国土は広く、18万戸の人口を擁していた。王の名はサタムといった。サタム王は武芸に秀でるだけでなく、邪法妖術にも通じていた。国内においては暴虐のかぎりを尽くし、隣国に向ってはつねに侵略を繰り返したので、小国の人々は夜もおちおち寝ることができなかった。

 ある日サタム王は家臣全員を集め、また巡邏して国内の穀物、牛・羊、金銀、財宝などを眺め、その数が多いことを確認し、悦に浸った。しかしふと何かが足りないことに気がついた。何が足りないかわからなかったので、守護神である魔神を呼んだ。紫色の三本脚の騾馬に乗った魔神はやってくると、耳元でささやいた。

「ジャン国には金銀も、牛羊も、えさの草もあります。ないのは塩です。塩がないので、食事も味がなく、お茶も香りがないのです。しかしリンにはアロンコンソンという塩湖があります。大王様はこの塩湖を奪って、ジャン国のものとすべきです。恐がることはありません。黄金から作った甲冑を差し上げますので、これで大王様をお守りすることができるでしょう」

 サタム王は3人の大将軍のほか、王子ユラ・トクギュルを先鋒隊の隊長に任命し、すぐにリン国に向けて部隊を送った。

王妃ペマ・チュードンはこのことを聞いて、諌めた。

 

 大王よ、戦いはつねに死をもたらします。勝利することも、失敗することもあります。ほかの国を占領すべきではありません。理のないことをするべきではないのです。ジャンには富が十分にあります。大王も家臣も食べきれないほどの食べ物があるのです。なぜほかの国を攻めて、災いをもたらそうとするのでしょうか。

 

 内大臣はこれをもっともだと思い、将来に禍根を残すことになるので、慎重に考えるべきだと提言した。しかしサタム王は受け入れなかった。

「この塩湖は本来ジャン国が持つべきものである。それを奪取することの何が悪いというのか」 

 王妃は、サタム王が聞く耳を持たなかったので、5歳の王子を説得することにした。しかし王子ユラ・トクギュルもまた、戦うことを好んだ。

「ぼくは左手で雷をつかみ、右手で岩山を倒し、吟じて青竜と競い、叫んで天雷を轟かすことのできる英雄なおです」

 ユラは母親の諫言をふりきって、塩湖に向った。

 一方ケサルはホル王との戦いのあと、新しい王宮を建造し、そこに住みながら、リン国を平和に統治していた。そんなある日、天空に彩雲が出現し、そこに白馬に乗った白梵天があらわれた。

「わが子トゥパガワよ、よく聞け」

 そして白梵天はケサルに、ジャン国の兵が攻めてきて、塩湖を奪おうとしていると告げた。ケサルがただちに出征しようとすると、「あわてるでない」と白梵天は言った。

「今回はシェンパ・メルツェを用いよ。そして王子ユラを生け捕りにせよ」と命じた。

 メルツェはケサルとリンの30人の英雄に先んじて、塩湖へ向かった。

 塩湖に着くと、メルツェは多くの兵士を引き連れた大将を見かけた。メルツェはこの男が王子ユラにちがいないと考えた。しかし規模は小さく、とても大軍を指揮しているようには見えなかった。メルツェは一計を案じた。近寄って話しかけた。

「私は黄ホルの内大臣シェンパ・メルツェと申します。ホル王の書信を持って、サタム王を訪ねようとしているのです」

 メルツェは、ホル王の8歳になった王子とジャン国の王妃を娶せようとしているのだ、と告げる。すると王子は大笑いして言った。

「メルツェどのは頭がおかしいのか。ホル王はとっくにケサル王に降伏し、ホルの30人の英雄もケサルに殺されたのではないのか」

「王子どの、ひとのたわごとを信じてはなりませぬ。ホル王がなぜ降伏するでしょうか。現にホル王の書信を私はここに持っているのです」 

 王子を信じかけたが、その目でたしかめたいと考えた。王子は千里馬に乗って実際にホルへと向かったのである。メルツェはあわてて天神に助けを求めた。

 王子がホルに着くと、王宮やその周辺、また30人の英雄が鍛錬に励んでいる姿は往時のままだった。それで王子はすっかりメルツェのことを信用するようになった。

 しかし王子は、姉と結婚するのは簡単ではないと言った。実際、インドの大臣の王子やタジクのノル王もたくさんの贈り物をもって求婚したが、姉は応じなかったという。ではどれだけの贈り物が必要か、と問うと、つぎのように答えた。

「黄金の馬18頭、銀の羊18匹、玉の象18頭、鉄人18体、白水晶の侍女18人、さらに、毛色のよい100頭の馬、首つきのよい牛100頭、体つきのよい驢馬100頭をそろえてください」

 メルツェは、ホルは豊かな国なので、これらをそろえるのは容易なことであるとこたえた。そして彼らは酒をかわしながら歌をうたった。

 しばらくすると王子が酔っぱらって眠ったのを確認し、牛毛で編んだ縄で手足をしばり、鉄の檻に閉じ込めた。

 目覚めたとき、鉄の檻に閉じ込められていることを知った王子はメルツェを罵倒した。しかし王子の話に同情したメルツェは、檻から解放したのだった。メルツェは王子ユラが英雄であることに気づき、尊敬の念を持つようになった。

 ふたりはリンの王宮に到着し、王子はケサルに謁見した。ケサルは心配するユラ王子に対し、弟のように扱うことを約束した。

 

 メルツェの計略によってジャン国王子ユラを生け捕りにしたあと、師子王ケサルが率いる軍はリン国を出発した。そして塩湖からそれほど離れていない場所に宿営した。

 シェンパ・メルツェがまた単独で塩湖附近に来たとき、3人の大将と出会った。メルツェは言った。

「私はメルツェといいます。われらのホル王はかつてリンの王妃ドゥクモを連れ去りましたが、そのためかえって雪山の山頂でリンの兵士に殺されてしまいました。120万人のホル兵も殺されましたが、私ひとりかろうじて抜け出したのです。そしってジャン国に投降しようとしたとき、王子ユラに会ったのです」

「何を言っているのだ?」と大将のひとりドゥツァ・ペデン・ガポは怪訝な顔をし、「それで王子はどこにいるのだ?」と聞いた。

「私と王子は途中で9頭の野生のヤクを殺しました。しかしふたりでは動かせないので、兵士の助けが必要だということになったのです」

 メルツェの話に一理あると考えたドゥツァ・ペデン・ガポは、ギャルワ・トゥゲルに、いっしょに行くよう命じた。ふたりがムロン地方にさしかかったとき、青い馬に乗った畏怖堂々とした将軍と会った。しかしメルツェはこの人物はたんなる羊飼いだと説明した。結局この将軍デンマとともにこのジャンの大将を取り押さえ、首をはねた。首級をもってかえった二人にたいし、ケサルは茶や酒で慰労した。

 ケサルは残りのふたりの大将を殺せば、ジャンの軍隊は成立しなくなり、戦わずして勝つことになると考えた。

 しかしメルツェが何度も足を運ぶと、あやしまれるのではないかと総監は言った。それでも結局メルツェはもう一度ジャンの宿営地へ行った。3人の大将のひとりは、やはり王子や大将のひとりがもどってこないことをあやしんだ。

 逃げ出したメルツェを追っていくと、野生のヤクと出くわした。多数の矢を放ったが、牛には当たらなかった。牛はケサルの化身だったのだ。

 王子とふたりの将軍を殺されたジャンは、ツェマ・カギル率いる180万人の部隊をリンへ送った。一方やはりリンも、グンガ・ジクメ率いる180万人の部隊を送り、その結果、両者はぶつかることになった。

 とくにリン国の将軍テンマとジャン国のグンガ・ジクメの一騎打ちは熾烈をきわめた。グンガ・ジクメの鉄弓から炎とともに発射された毒矢はテンマの甲冑に当ったが、その矢は甲冑を貫くことができなかった。そしてテンマの青鋼刀はグンガ・ジクメの首を落とした。このためジャン軍は総崩れすることになった。

 ケサルと英雄たちは塩湖の湖岸に宿営した。その夜、女神がケサルの夢のなかにあらわれた。

 

 おおトゥパガワ(ケサル)よ。あす日が昇るとき、サタムを見なさい。彼のもとに妖魔が現われます。その口からは雷がとどろき、背は天に達するほど高く、頭頂からは火と煙が出ていて、髪は毒蛇なのです。この妖魔と戦っても勝ち目はありません。サタムは王宮を出て、山を越えて湖までやってきます。湖を見て喜び、彼は水を浴びることでしょう。そのとき小さな子供であるあなたは、金眼の魚に変身して湖中を泳ぎます。サタムが水を飲んだとき、魚も飲み込んでしまいます。魚はおなかのなかで、千の輪に変身します。それらは彼の内臓を破壊してしまうのです。

 

 女神の言葉を実践し、ケサルはサタム王を調伏することができた。ジャン国の兵士たちはサタム王の死体を湖辺に発見し、それを王妃にすぐ報告した。しかし王妃はむしろ泰然とそのことを受け入れた。これも運命だというのである。

 ジャン国の最後の将軍ツェマクジは、金銀財宝の入った宝庫を焼き払ってから王宮を出て行った。投降する意思もあったが、リンの将軍テンマと出くわし、戦うことになった。その結果、テンマに斬られ、まっぷたつになった。

 ケサルは王妃と息子ふたりを受け入れ、リン国東方の赤い珊瑚の城に住まわせることにした。そしてテンマに命じて、ツェマクジが焼き切れなかった金銀財宝や絹、食べ物などを運ばせた。それらはリン国の民に平等に分配された。