ユダヤ教瞑想術
アリエ・カプラン 宮本神酒男訳
序章
「ユダヤの瞑想」という言葉を聞いて、人は驚かずにはいられない。多くのラビや学者を含む知識人のユダヤ人でさえ、そのようなものが存在することすら知らないのだ。ユダヤの瞑想について描かれた箇所を見せられると、それはユダヤ教の神秘主義やオカルト的側面に属するものであり、ユダヤ教の本流とは関係ないではないかという反応が返ってくる。
それゆえ瞑想について書かれた最近の多くの本がユダヤ教に触れなかったとしても、驚くべきことではない。大半の著者がユダヤ教のなかに神秘主義的な要素があることに気づいていながら、カバラーやハシディズムについて論じることは禁じられているのだ。瞑想に関する本の多くは東洋の実践について、ときにはキリスト教の瞑想について詳しく述べている。しかしユダヤ教の実践的側面については無視している。
瞑想の研究者は重大な見落としをしているといわざるをえない。ユダヤ教は瞑想のより重要なシステムを生み出しているのだから。ユダヤ教の瞑想を無視することによって、せっかくの研究もだいなしになってしまう。ユダヤ教は西欧に伝播した東洋の宗教のひとつでもあり、その瞑想実践は西欧人にも適合するものである。ユダヤ教の瞑想実践の知識がなければ、東西の重要なつながりは失われてしまうだろう。この手抜かりはユダヤ教神秘主義者がイスラム教スーフィー(神秘主義者)と対話をしてきたこと、またインドの諸学派のことを知っていたことがあきらかななかで、意味を持ってくるのだ。
ユダヤ人にとってはしかしながら、怠慢は深刻な問題である。ユダヤ人はもともとスピリチュアルな人々であり、多くのユダヤ人は人生のなかに、とくに神秘主義的な側面に、積極的にスピリチュアルな意味を探し出そうとする。何世代も前、非常に多くのユダヤ人はフリーメイソンのような神秘主義的な伝統に惹かれていった。現在でも、多くのユダヤ系アメリカ人は東方の宗教に引き込まれていく。アシュラムに滞在する信仰者の75%がユダヤ人だという統計もあるほどである。かれらのうちのかなりが超越瞑想(TM瞑想)のような修行を実践している。
私がこれらのユダヤ人と話をし、なぜ自分自身の宗教でなく、他の宗教を探求しているのかとたずねると、ユダヤ教には深みがなく、霊的に満足させるものがないからだとこたえた。ユダヤ教だけでなく、ユダヤ教の本流においても瞑想や神秘主義の確固とした伝統があることを伝えると、かれらは不審そうな目で私のほうを見るのだった。かれら自身が豊かな霊的伝統をもっていることに気づくまで、ほかの「牧草地」を探すのは無理からぬことだった。
数年前私はニューヨーク州の小さなシナゴーグで講演を依頼された。その晩天気が悪く、20人しか集まらなかったので、レクチャーのかわりにみなを集めてサークルをつくり、そのなかで話をすることにした。大半の人がユダヤ教の知識をほとんど持っていなかった。話の中で私はシェマについて、そしてそれがいかに瞑想として使えるかについて論じ始めた。(第3章参照)参加者のひとりの女性が私に実際にやってみてくれませんかとたずねてきたので、私は快諾した。
瞑想全体で要した時間は10分か15分程度だった。ふだんそれにはもっと長い時間が必要だったが、この状況では長い時間見せることはできなかった。しかし最終的に、私自身を含めて文字通り息を切らしてしまった。集団としてわれわれは意義深い「スピリチュアル・ハイ」(精神的高揚)を経験したのである。
「なぜ儀礼のときに、このようなことができないのでしょうか」と参加者のひとりがたずねた。その問いに私は答えることができなかった。そして論議のテーマはシナゴーグの儀式がいかに冷え切っていて、霊的に不毛であるか、またグループのなかではうまくいくこのようなテクニックがいかに儀式を無限に意味のあるものにするかに移った。同時にわれわれはシナゴーグの儀式がそもそも瞑想体験といえるかどうか問いただした。
霊的な意味を見つけるのがむつかしいのは一般のユダヤ教徒だけでなく、正統派のユダヤ教徒にとっても同様である。私に近づいてきたのはイェシーバー(研究院)の学生たちだった。かれらはユダヤ教の儀礼を観察していたのだが、瞑想の実践がいかにかれらを高揚させるかについて理解することはできないでいた。より大きな火種となるのは超越瞑想(TM)のような修練をするようになった多くの正統派ユダヤ教徒だった。かれらの大半はこうした実践を通じて心の不安を表現しようとした。恩恵は危険を上回っているとかれらは感じた。こうした体験をなぜユダヤ教のなかに探さないのかと問われたとき、かれらは一般のユダヤ教徒とおなじ回答を返した。すなわちユダヤ教のなかでこのような体験をすることができることに気づかなかったのである。
このテーマについての私の最初の本『瞑想と聖書』が1978年に発行されたとき、各所でユダヤ教の瞑想への関心が急速に高まった。大半の人はユダヤ教の瞑想が存在することさえ知らなかったのである。著書に引用した厖大な素材は活字になったものがほとんどだったが、それらはヘブライ語から翻訳されたことがなく、熟達したヘブライ語学者だけが利用できるものだった。それだけでなく、素材の圧倒的多数は瞑想の実践をおこなったことがある者でなければ理解するのが困難だった。この素材と接しやすくするために、理解の鍵となるものを見つける必要があった。この鍵となるものの大半は古代の未刊の文献のなかにのみ存在した。
ユダヤ教の瞑想に関する重要な文献の多くが、ヘブライ語でさえ未刊であるのは意味あることだった。もっとも重要な著作は図書館や博物館の書庫のなかに鍵をかけられて保管されているのだった。この本、そしてまたつぎの著作『瞑想とカバラー』のリサーチのために文献がどこにあるかを特定しなければならなかった。このリサーチには学術的なジャーナルや図書館のカタログも含まれていた。ひとたび文献が見つかるとコピーを取らなければならなかった。しかしたとえばモスクワのレーニン博物館のような場所に特定するのは簡単なことではなかった。文献の多くは何百年も前に書かれたものであり、すたれた文字で書かれていた。文字を解読するのは並大抵の努力ではすまなかった。しかしながら努力が報われればよかった。ユダヤ教の瞑想の重要な鍵はこうして発見された。
ユダヤ教の瞑想に関する出版物があまりにも少なかったためか、それがユダヤ文学のはぐれもののように主張する人も多い。出版する価値がなかったのではないかと言うのだ。カバラーの瞑想法に関する著作はたくさんあるものの、ほとんど出版されてこなかったのはたしかだ。しかし出版されなかったのは、実践が危険を伴い、大衆向きではなかったからだ。それでもこれらの著作は、出版されたユダヤ教本流の著作のなかに見いだされるあいまいな部分に光を当てているといえる。それがなければユダヤ教の本質が理解できないパズルの一コマなのだ。いくつもの謎に頭を痛めはじめたとき、私にはあきらかなことのように思えたのは、ユダヤ教本流の過去の先導者たちが頼ったのは、さまざまな瞑想テクニックだったことである。
『瞑想と聖書』の出版によってユダヤ教の瞑想への関心が高まっていった。ルバビチャー・レベ(伝説的なラビ、メナヘム・シュニルスン1902−1994)でさえ、ユダヤ教の瞑想を探求すべきだという指令を出した。その結果ユダヤ教の瞑想を教え、実践するグループが米国とイスラエルに誕生することになったのである。私の著作がこれらのグループの形成に一役買ったのだと自負している。
残念なことに、ユダヤ教の瞑想と銘打っているグループの多くは、ユダヤ教とはまったく別物の何かを実践している。かれらは東洋の実践をユダヤ人の参加者に教えたり、ユダヤ化した東洋の教えを紹介したりしているのだ。これらのグループがユダヤ教の瞑想に惹かれているのはまちがいないが、それを教えているということにはならない。
ユダヤ人の精神病医や心理学者とともに、私は文学のなかに現れる瞑想テクニックの実験をはじめた。ともに瞑想状態の内宇宙を探求した。参加者には故デーヴィッド・シェインキン、シーモー・アップルボーム、ポール(ピンチャス)・ビンドラーが含まれる。その他重要な貢献をしてくれたのはアーニー&ロズ・ゲルマン、ミリアム・ベンハイム・サークリン、シルビア・カッツ、ジェフ・ゴールドバーグ、ジェラード・エプスタイン、パール・エプスタイン、その他大勢である。
われわれの重要な発見のひとつはユダヤ教の瞑想を扱う著作の大半が、読者は一般的な瞑想テクニックに慣れ親しんでいると仮定していて、それに詳細を加えているということだった。詳細は魅惑的だが、それらを訳して実践に移すとき、情報が多すぎるとかえって多くを失ってしまうことをわれわれは発見した。基礎的な知識なしに上級のフランス料理を作るためにクッキングの本を用いるようなものである。レシピはそこにある、しかし初心者はそれを使うことはできない。ユダヤ教の瞑想の場合、素材はそこにある、しかしそれらをごっちゃに使ってしまうと、なおざりになり、こじつけになってしまうのだ。
ある程度は二つの瞑想の著作のなかで謎解きはできたと思う。しかし両書とも実践的なガイドとして書かれたものではなかった。多くの人は一般人のための専門用語抜きのユダヤの瞑想のガイダンスを必要としていた。こういった要望からこの書は誕生することになったのである。
この本はユダヤ教の瞑想のもっとも基本的なもの、とくにユダヤ教主流のなかで論じられているものを提示している。ユダヤ教にせよ、瞑想にせよ、読者には特別なバックグラウンドを要求することはない。私の願いは少なくとも読者にユダヤ教の遺産の霊的な面を洞察していただくことである。
アリエ・カプラン 1982年12月17日