内なる旅 

序 

 ロンドンは一日中肌寒く、雨が降っていた。英国国会議事堂の長くてエレガントな廊下を歩きながら、わたしの心臓は高鳴っていた。わずかな教育を受けただけの、政治的経験のない小さな僧侶が、一国のリーダーたちを前に演説を行おうとしているのである。見上げると議事堂の威厳のある石造りのアーチ天井があった。いっそう自分が小さな存在であることが身に沁み、同時に我が家であるヒマラヤの洞窟からはるか遠くに来ていることを実感した。

 わたしの護衛官は下院本会議場までわたしを案内した。議事堂のビロードが貼られた壁には豪華な絵画が掛けられ、窓は磨かれた、木製の手彫りの枠に収まっていた。議事堂に集まっている人々は、下院議員、上院議員と妻たち、公爵と公爵夫人、市長、尊敬される司祭とラビなどである。演壇に立ち、わたしははじめの言葉を心の中に探った。

 右側のアーチ形の窓を通じてわたしはたまたま見慣れた光景を目にした――ウェストミンスター宮殿の横を優雅に流れるテムズ川である。わたしの目は川を横切る石の堤防を探し、探し当てた。そこに四十一年前、わたしは幾晩も遅くまでひとり坐って、川の深い流れを見つめていたのである。

 当時わたしはとても若く、自分を見失っていた。人生の意味と目的をもとめてわたしはアメリカをたち、ここにたどりついたのである。無一文で、ランビス・ロードの教会の地階の石敷きのフロアにわたしは寝ていた。いま立っているところから見えなかったが、堤防の壁のちょうど裏側にその教会があることを知っていた。

 わたしが絶望的にすべてのことに疑問を抱き始めたのはロンドンでのことだった。わたしの感情は身の回りの世界と反目しあっていた。わたしの内部の深いところから湧き出てくる疑問への答えをわたしは求めていた。その気持ちはあまりに強く、ほかの心配事が吹き飛んでしまうほどだった。

 1960年代の乱気流のような時代のアメリカで、わたしは十代を過ごした。カウンター・カルチャーの理想主義や市民権運動にまっさかさまに飛び込んだ。わたしは女の子と口もきけない恥ずかしがり屋の少年であり、ドラッグにはまることもなかった。それにほとんど一般大衆の中に混じることに興味が持てなかった。だが19歳になったわたしはロンドンで小心な自分を捨て、社会的な世界に解き放たれたかのように、貪欲に飛び込むことにしたのだった。大西洋を越えることでわたしは自分を楽しむことができるようになった。こんなことは今までやろうとさえしたことがなかった。わたしが会った人々はみなわたしを称賛し、勇気づけてくれた。

 しかし毎日一日が終わる頃になると、わたしは自分と向き合い、空疎な感覚を持つようになった。そこでわたしはたびたび堤防にやってきて暗闇の中にひとり坐り、広い川面を見つめた。わたしは黙想し、祈り、泣いた。何かが、わたしがちょうど知り始めた人生から、わたしがあとに残してきた人生から、わたしを呼んでいた。わたしは戦争の狂気が、わたしを取り巻く世界の憎悪と貪欲と偽善が道理にかなっているとは思えなかった。神の名において行われる残虐行為が理解できなかった。わたしはテムズ川の流れに映るビッグベンのさざなみの影を見つめながら、自分自身の人生の川はわたしをどこに導くのだろうかと思いをめぐらした。

 いま、下院本会議場の聴衆を前に立ち、わたしは考えた。四十一年の月日が流れたのか。その間、わたしは世界のあちこちに流され、かつてわたしが「自分である」と考えていたほとんどすべてのものがはぎとられていった。そして川の土手に坐る十代の少年には想像もできない運命へと導かれたのだ。

 わたしは視線を川から議場内に戻し、自分の物語を聴衆と分かち合った。

 人生には思わぬ展開があるものだ。そのすべてがわたしをシンプルな、永遠の真理へと導いてくれた。それは人生の見方を信じがたいほどに変えた。すなわち数えきれないほどの欲望、飽くことのない渇望、はかない満足、ひとつの原因から生じるいつものフラストレーションなどの見方が変わったのである。わたしたちは心の内に眠っている愛を思い出さなければならない。この眠っている愛を見つけること、そしてふたたび目を覚まさせることがもっとも必要なのである。この愛にはもともとものごとを成就させる能力を持っていて、わたしたち自身、まわりの人々、環境に変化を与える触媒となるだろう。

 その愛を再発見するために選んだ道は、古代インドがバクティ・ヨーガと呼ぶもの、すなわち愛のヨーガだった。わたしたちはヨーガを実践するものと考えがちである。しかし言葉自体は「結びつけること」あるいは「結合」という意味である。究極的には、すべてのヨーガ実践の目的は、わたしたちが純粋なスピリチュアルな存在であるという真実と一体化するのを助けることである。

 ロンドンからヒマラヤへの陸路の骨の折れるヒッチハイクの旅を敢行したあと、わたしはバクティ・ヨーガを発見した。この冒険旅行を年代順にまとめ、わたしは回想記『帰郷の旅:あるアメリカ人スワーミーの自伝』を書いた。ヨーロッパ、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、そしてヒマラヤ山脈へとトレッキングの旅をつづけたあと、最終的に北インドのヤムナー川沿いの過疎な村、ヴリンダヴァンにたどりついた。鸚鵡や孔雀、猿、牛でいっぱいのヴリンダヴァンの森や牧草地で、わたしは我が家を見つけたことに気がついた。ヴリンダヴァンの何によってわたしがそのような感情を持つのかわからなかった。わかっているのは、そこで暮らすと、神や世界と調和が取れているように感じることだった。ヤムナー川のほとりの木の下でわたしは眠り、瞑想をした。わたしはホームレスだったが、くつろぎを覚え、ホームレスだとは感じなかった。

 ヴリンダヴァンは古代からある場所で、ひとつの神――世界中のたくさんのスピリチュアルな伝統のなかでさまざまな名で呼ばれる――に捧げられる何千もの寺院の故郷だった。ヴリンダヴァンでは神はクリシュナ、すなわち「すべての魅せるもの」、あるいはラーマ、「喜びを与える者」、またはハリー、「心の泥棒」として知られていた。バクティの教えでは神の女性性が分かちがたく折り合わされている。ヴリンダヴァンでは彼女はラーダ、「愛の住み家」として知られていた。

 1971年、ヴリンダヴァンの森を歩きまわっているとき、わたしはAC・バクティヴェーダンタ・スワーミーと出会った。彼は自分自身を神とすべての生きる者の清貧な下僕(しもべ)と考えていたけれど、彼の弟子たちは彼をプラブパーダ、愛されるマスターと呼んでいた。プラブパーダはバクティ・ヨーガの伝統と哲学の師だった。彼はそれを覚醒した聖者のはるかな過去へと遡る系譜から受け取っていた。わたしはとくに当時の宗教間の争いに敏感だった。プラブパーダは見事にバクティについて説明してくれるのだが、それはわたしが他の宗教から集めた真実ともうまく調和しているのである。世界のさまざまな信仰のことをわたしがほめたたえると、表面上いかなる違いがあろうとも、彼は見事なまでにすきまなく、それらを魅力的なものにまとめあげるのだった。わたしは彼から自己の真の性質とそれが無条件の愛を切望していることについて学んだ。わたしはまた切望が完全に成就されるのは、自己が至高の自己、すなわち神と関係を持つときだけだということを学んだ。ひとたび神と自己との間の愛が目覚めると、すべての生きる者への思いやりというかたちでごく自然に世界へと流れていくのである。それはちょうど水がまず木の根から吸い上げられ、それがすべての枝や葉に流れていくかのようだった。

 旅をしながら、真の精神性の本質的表現として、わたしは思いやりを尊重するようになった。プラブパーダはその思いやりを体現していた。子供時代からわたしを悩ましてきたいくつかの疑問を、彼はシンプルな類推によって解決した。それで何年ものち、美しい聖なる場所で、残りの人生において彼の教えや模範に従うと決めたわたしは、彼をグルとして受け入れた。

 1971年から1980年代半ばまでわたしはさまざまな環境下でバクティ・ヨーガを実践した。ヴリンダヴァンで川辺の修行者として生きたあと、ヒマラヤの洞窟のヨーギとなった。そしてインド・ビザが切れたあと、アパラチア山脈の隔絶した山上のアシュラムに移動し、そこでわたしは牛や羊の牧場をはじめ、簡素な農家寺院を作り、祭壇をもうけた。のちにわたしはふたたび旅を始めた。今回はアメリカ中の大学を回りながら哲学、社会学の講演をし、バクティ・ヨーガのスピリチュアルな実践を教えるというものだった。ヨーガ・クッキングさえ教えた! バクティを実践する喜びを分かち合うのは、わが心の天職だった。あなたがたにも、わたしの体験に意味があり、意義があると理解されることを願う。

 1987年、わたしはインドに戻った。ムンバイの小さな、ボロボロの一部屋だけのアシュラムを任されたのである。アシュラム幹部は苦しみとスキャンダルに巻き込まれようとしていた。人々は内紛の真っただ中にいた。わたしは乗り気ではなかったが、引き受けることにした。わたしは複雑な問題点や不安定な状況に取り組まねばならず、自分自身の金欠問題も対処しなければならなかった。生きかたの模範を確立しなければならなかったが、それは純粋にバクティの崇高なる原理を代表していた。

 神の恩恵によって、あるいは数多の魂の献身によって、ムンバイのアシュラムは何十もの支部を持ち、何百人ものアシュラム幹部を擁し、何万人もの参加メンバーを誇る大所帯のスピリチュアル共同体になった。すべての年代の、すべての社会的背景を持つ、すべての職業の人々が、彼ら自身の精神性を表現するなかで、バランスと調和を発見した。彼らは生活の他の面の外側に暮らし、家族とともに平和にバクティの文化を実践することを学んできた。ほんの数年のあいだにこの人々は協力的に基本となる学校や寺院、エコ村、病院、ホスピス、孤児院、貧窮した学校のための食料配給プログラム、たくさんのマハーラーシュトラ州の村々への奉仕プログラムを確立した。

 こうした奉仕活動のすべては、愛のヨーガのパワーを評価してくれた人々によってもたらされたものである。高次の原理によって結ばれた、あるいは純粋に互いに評価しながら働く人々を見るのはワクワクさせられるものだ。この本であなたと分かち合いたいのはまさにこの高次の原理である。あなたの職業、宗教、精神的な道がどのようなものであろうと関係なく、真の精神性が非凡な人生への扉を開けるというわたし自身の体験があなたに伝わることを望んでいる。内なる旅を喜んですること、また意識変容の時間を超越した方法を開拓すること、これらがこの本で示されることである。潜在的な愛の力を呼び覚ますこと、それが今日まで行われている古代の実践法である。

 最後に、この内側の旅は再団結、つまり存在するすべての究極の源とふたたび結びついて大団円を迎える。多くの思慮深い人々が、その言葉と闘っているのを理解はしているけれども、わたしたちは通常この源を神と呼んでいる。結局、神の名のもとに肥満、憎悪、エゴイズムが人間を分断してきたのである。わたしはなおも無限の愛や美しい至高の存在という概念に対して心を開くようあなたに求めている。

 神とは誰なのか。彼はわたしたちの父であり、母であり、あまたが会うことのできる人物であり、普遍的な存在である。この本においては、わたしはしばしば「神」や「主」、「至高」「彼は」「彼を」として言及する。というのもこれらはみな西欧人の耳には聞きなれた言葉だからである。しかしわたしの言葉でこの驚くべき、全知の至高の存在に限界を与えたくない。この至高の存在は女性であり、男性であり、あなたやわたしが想像する以上であり、わたしたちの制限のある概念や言葉で定義することはできないのである。

 この本によってあなたとバクティの普遍的な教えとの間に橋がかけられることをわたしは望んでいる。このバクティは何千年にもわたって実践されてきたものであり、現在も実践されているものなのである。より深い洞察を得て教えを理解するために、わたしは同時代的な自身の体験の逸話や物とともに、語グルや聖者、聖なる経典の永遠の智慧を加えたい。

 「内なる旅」は冒険を呼んでいる。それは日々の暮らしに中での注意散漫や決まりきったこと、単調さにとらわれるだけでなく、セクト主義の精神性を超えていくことをあなたがたに求めている。わたしはあなたがたに、あなたがたの真の自己の美しさを発見するために、また一瞬一瞬の人生の奇跡を評価するために、心のもっとも深いところから呼んでいるものを探すよう求めている。