二匹の闘う犬 

 ネイティブアメリカンの智慧の物語に、すべての人間の心(ハート)に住む二匹の犬――悪い犬とよい犬――の話がある。悪い犬は嫉妬、怒り、渇望、貪欲、傲慢、誤解といった下劣な性向を代表している。よい犬は慈愛、誠実、寛容、謙遜、智慧といったすぐれた性向を代表している。この二匹の犬は互いに闘う。どちらが勝つのだろうか。選んだほうにエサをあげよう! 

 わたしたちは選択することによって犬を育てる。慈しみを表現するために、また誠実に生きるために、スピリチュアルなものを追い求めて知性を使い、よい犬を養い、悪い犬を隅に追いやる。ときにはそれは言うほど簡単ではない。わたしたちの多くにとって、悪い犬はゆるぎのないものになり、耳をつんざくような遠吠えがわたしたちの行動をけしかける。その間に、衰弱し、栄養不足になったよい犬は意識の片隅でクンクン鳴いているだけである。

 ヨーガを実践することによってわたしたちは知性を強め、悪い犬を無視するだけの力を得る。しかしながら悪い犬は大きな声で吠えたてるかもしれない。わたしたちは自由によい犬、あるいは聖なる本性を養うことができる。その時々に、わたしたちは選択する機会を与えられる。すなわち無慈悲でいられるか、親切でいられるか、不誠実か正直か、傲慢かつつましやかか、貪欲か慈善的か、復讐か許しか、選べるのだ。わたしたちは利己的な情熱と無欲の献身との間で選択することができる。この世界には制御することのできないものがたくさんある。しかし何かを選ぶことは、制御できないことではない。わたしたちは自由に意識を高める――よい犬を育てる――ことができる。でなければ、意識は下がってしまうだろう。

 驚くべきことに、わたしたちはどちらかを受け入れるというより、どちらを選ぶかということにかかりきりである。それというのも、すべて選択をするたびに、心(マインド)は揺れてきたからである。こうした選択によって、現在の性向や欲望、感覚が形成されてきた。わたしたちの選択は、将来のすべての選択に影響を与えるかもしれない。人は依存症のふるまいの罠にかかるかもしれない。それは欲望を肥大させ、ついには癖になってしまうのである。研究によれば依存症のふるまいは通常、子ども時代にはじまる。理由はどうであれ、心の装置が形成されるのだ。ヨーガの伝統では、こうした習慣パターンはサムスカラ(samskaras)と呼ばれる。定義によれば、依存症はかなり強力で、抵抗することができず、無力さを感じる。それでもわたしたちは自由を得て、新しい影響力を生み出し、ネガティブなサムスカラをよいものへと変え、よい犬に注意をそそぎながら、悪い犬を飢えさせる。スピリチュアルな実践とよきサポートシステムの手助けによって、強い知性を育て、心(マインド)を新しい方向に操縦して、依存症からも解放されることになる。

 

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