インドにおけるバクティの歴史 

 バクティはインドの精神文化の中核であり、その教えはヴェーダ時代にまでさかのぼる。しかしインドの歴史の流れにおいて、低カーストというレッテルが貼られた人々を差別していると誤解されたシステムは、即物的な儀礼をおこなうことによって、重要なものとなった。個人的な信仰に焦点を当てたバクティの伝統と神のブラフマンとしての一面を強調した苦行派の両方がこの誤解に疑念を持った。

 6世紀のはじめ頃、バクティ復活運動は、儀礼とカーストの形式を弱め、ヴェーダの精髄を抽出しようとしていた神秘主義者の筆から生まれた。こうした神秘主義者のほとんどは南インドにいた。彼らは哲学、歌、詩を通して親密な愛や神への思いを表現した。彼らの信仰上の啓示は弟子たちによって徐々に広がり、組織立てられて、ラマヌジャ(10171137)やマドゥヴァ(12381317)、ニンバルカ(11世紀)、ヴァアラバ(14791531)、チャイタニヤ(14861533)らの学派となった。

 秩序だった儀礼における意図の純粋性と性質の変化に集中しながら、尊敬すべき師たちは、今もなお成長を続けるムーブメントの先駆けとなった。1960年代、バクティ・ムーブメントは最終的にわが師、AC・バクティヴェーダンタ・スワーミー・プラブパダによって、インドを去ることになった。わたしたちは世界中の国々の岸辺に到着したのである。

 バクティ・ムーブメントの発展は歴史の1ページを飾ることになるだろうけれど、バクティ自体は永遠に生きるだろう。至高なる者への愛はすべての魂の、つまり愛は本質的に実践するバクティである、ということを信奉者に気づかせようと努めるすべての宗教や哲学の永遠の本性である。

 

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