いかに心から唱えるか
シュリー・チャイタニヤは詩篇を成した。彼はバクティ・ヨーギたちの人生と魂について歌い、また心をこめたマントラの唱え方について述べている。この意識を持つということは、そこでマントラの詠唱が十分に祝福されているということだ。
自分自身が草の葉よりも下等と考える者、木よりも我慢強い者、個人的な栄誉を望まないが、いつも他者に敬意を払う者は、いともたやすく、そして定期的に神の聖なる名前を唱えることができます。
シュリー・チャイタニヤ、チャイタニヤ・チャリタムリタ:
アンティヤ・リラ 20.21
自分自身のスピリチュアルな探求の途上、肉体的、感情的、精神的にそれが必要なとき、わたしは何度もハレー・クリシュナ・マハーマントラに救われた。ずっと昔、それが何を意味するか、どこから来たのかさえ知らなかった。しかし今なお、わたしが真摯に唱えたとき、その力を感じるのである。
バクティによって心は変容する。わたしたちそれぞれの心の奥深くに、芽を出し、その潜在能力を発揮するのを待っている聖なる愛の種子がある。神の名を唱えることは成長を助けることになる。種子は眼を出し、またたくまに成長し、聖なる愛の不滅の花を咲かせるのである。