自然の法則に情け深さを見いだす
カルマの法を含む自然の法則を理解することによって得られる実利とは、理解が適応されて人生の質が改善されたときに認識される。自分や他者を評価したり、互いの苦悩を覆い隠したりするためのものではない。ここに瞑想というものがある。自然の法則のもともと持つ情け深さについての古代の聖人の悟りから引き出されたものである。この瞑想は心地よい、明確な見方を提供してくれる。それによって世界の厳しい現実を超えていくことができるのだ。
カルマの法は熱病のように振る舞う。カルマの反作用は、世界の不健康なものを追い出す。ちょうど体内の熱が有害なバクテリアを滅ぼすように。もしカルマの法を理解したいなら、世界の表面の下を見なければならない。
カルマはたんなる機械的な法則ではない。それは敏感で、精力的なもの、すなわち健康を回復する際の自然の方法である。罰のように感じるものは、実際究極の恩恵である。この自然の法則は本質的に母なる自然の愛の表現であり、わたしたちがうまいぐあいに応じたなら、究極的には癒されたということである。
いかに表面上、冷酷な、不正なものしか見えないにしても、カルマの法を、目前の心と体に影響を与えるものしか見えない目で判断してはいけない。大局的見地から見る必要があるのだ。わたしたちは治癒が必要な永遠の魂であり、健全な精神を取り戻すために集中しなければならない。