内なる旅
意識的に生きること、死の技術
この努力には少しの無駄も退歩もなく この道をわずかに進むだけでも
もっとも危険な種類の恐怖から 心身を守ることができるのだ
バガヴァッド・ギーター 2.40
逝去したふたつの偉大な魂
どうかわたしのふたりの親友の人間的には痛々しいが、精神的には美しい物語を聞いてほしい。彼らは愛と解放の状態で、多くの人から人生でもっとも恐ろしい入口、死を通過して歩いたと見なされている。
わが友クンティはふたりの子を持つシングルマザーだった。彼女の人生は困難をきわめたが、彼女は親切で、元気いっぱいで、人生の終わりまで、愛に満ちあふれていた。彼女は癌を患っていた。最期のステージで彼女の腰から下が麻痺していた。体はやせ細り、青ざめていたが、笑顔の光が照り輝いた。その時期、彼女に会いに来た人はみな彼女から光と希望をもらったと言っていた。
彼女は特別な存在である。彼女のことは口コミでアイダホのテレビ局に伝わった。テレビ・プロデューサーたちは彼女と会い、死を受け入れた彼女の威厳を目撃し、テレビ・シリーズを作ることに決めた。精神的に困難な時期に、彼女がいかに平和、智慧、喜びをもたらすことができるかを番組で見せたかったのである。
クンティを慰めるためにやってきた人々はむしろ彼女によって鼓舞されることになった。彼女はおだやかで、自然の方法で彼らを目覚めさせた。それどころか、あたかも彼女自身の問題が未解決であったかのように、彼ら自身の問題を解決する手助けをした。彼女はクリシュナの名を唱え、聖典、とくに『バガヴァッド・ギーター』や『バーガヴァタ・プラーナ』を読むのが好きだった。彼女は自分の子供たちのために集中的に祈りに時間を費やした。言葉や例示を通して彼女は娘の心に触れた。そして当時二十代だった娘は最期までベッドサイドで彼女に寄り添った。
ある朝、陽が昇る頃、わたしはクンティを見舞いに行った。彼女は声を上げた。「人生で与えられたものすべてに対して感謝しています。とくに、いまがそうです。人によっては、わたしが死の床にあると考えるかもしれません。しかし愛する主の手によって祝福されていると感じるのです。グル(訳注:プラブパーダのこと)の本を読むとき、すべての言葉が直接わたしの心に語りかけているように感じるのです。わたしはグルの愛を、クリシュナの愛を感じます。このようなことは今までありませんでした。わたしは自身の愛がこの世界のすべての痛みや悲しみを洗い流すのを感じます。それはとても美しいのです。わたしはいつまでも主とともにあります」。彼女の言葉を聞きながら、わたしは彼女が誰もが求めているものを得ていることがわかった。つまり希望と喜びを。
娘に残したクンティの最後の遺志は、人々を神に近づけるために、彼女の美しい声を利用するというものだった。クンティは威厳と美徳と愛をもってこの世界を去った。彼女に触発された娘のカルナムリタはよく知られたキールタン歌手になり、世界中で活動した。彼女はファーストアルバムを母に捧げた。
神はときおり彼を愛する人々を通して世界に知恵を与える。2005年、友人のバクティ・ティルタ・スワーミーが電話をかけてきた。クリーブランドのゲットーにジョン・フェイヴァースとして生まれた彼は1960年代に公民権活動家になり、プリンストン大学を卒業し、のちに出家して、アフリカ系アメリカ人として最初のヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ)バクティ派のスワーミーとなった。彼はたくさんの著書を書き、知識とインスピレーションをシェアするために世界中を旅行した。彼の精神的ガイダンスを求める数千人の称賛者のなかにはネルソン・マンデラやモハメッド・アリ、アリス・コルトレーンらがいた。いま、ペンシルベニアの田舎の小さな家で、彼はメラノーマで死にかけていた。わたしに電話をかける頃までに彼の足は切断され、体は腫瘍だらけだった。彼の人生の最後の二か月間、わたしは彼のベッドの横に坐った。わたしたちは覚醒、哲学。そしてスピリチュアルな物語について論じあい、心を分かち合った。最期の週のある日、彼は強い痛みに襲われ、彼のやせ細った体はコントロールがきかないほど震えはじめた。彼は論議に集中できなくなったので、わたしはやさしくクリシュナの名を唱え始めた。
そしてわたしの目の前で彼の顔は輝き、目はきらめきはじめた。彼は破顔一笑した。「これは今まででも最高だね」
「どういう意味だい?」わたしはたずねた。
「その名前を口にしている間、今日はクリシュナの愛を深く感じているんだ。これから行こうとしている美しい場所をわたしは見ることができるし、感じることができるんだよ。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ」
数日後、彼が体から抜け出して祝福された聖なる家へ移動しようとしているとき、わたしは彼の手を握っていた。何百人もの彼の友人や生徒が家の中でやってきて、みなでとなえたり、泣いたり、祈ったりしていた。それはわたしの人生の中でも、もっとも美しい体験だった。部屋は愛で満ちていた。
彼のベッドの横で過ごした八週間、わたしたちの唯一無二の目的は、互いに愛と感謝の念を持って、クリシュナを記憶するのを助けることだった。その間、聖なる者への愛が友情の中核にあるとき、友人たちは想像もつかないほど愛し合うことができるのだとわかるようになった。わたしは彼が恋しくてたまらない。輝かしい生と死として――それは痛みなしにはありえなかったし、また痛みを超越するものでもある――描かれるものによっていつまでも鼓舞されつづけるだろう。