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 至高の恋人としてクリシュナは、利己的な欲求や渇望から完全に自由な、純粋かつ自我のない愛を分かち合う。それは肉体的な情欲によって汚されていない愛である。間違ったエゴの痕跡が少しでもあるなら、そういった愛はありえないものである。神の純粋な夫婦愛は完全に解放された魂によってのみ表現される。何世紀にもわたって聖人、学者、覚醒した賢者は、これが神の恩寵を通してのみ理解されうる精神的愛の完全に純粋で、すべてを含む形であることの究極的な愛情表現であると言ってきた。ヴリンダーヴァンのゴーピたち、すなわち牛飼いの乙女たちは、神の愛し合う夫婦の完全な模範である。

 クリシュナと乙女ゴーピたちの間の純粋な、無私無欲の愛の報いは、ラサ・リラ、すなわち『バーガヴァタ・プラーナ』の第10章や多くの他の経典にはっきりと描かれた楽しい祭りの歌や踊りである。

 ラサ・リラは精神世界の永遠のヴリンダーヴァンで、あるいはクリシュナが降臨したとき、物質世界の地上のヴリンダーヴァンで演じられる。クリシュナは魅惑的な八月の満月の夜、ヴリンダーヴァンでラサ・リラを開催する。ヤムナー川の畔のバニヤン樹の下で祝福されたフルートを吹きながら、乙女のゴーピたちを呼ぶのだ。ゴーピたちはすべてをなげうって、すぐに求めに応じてやってくる。『バガヴァッド・ギーター』は、完全に捨て去ることは至高者への完全な服従であるという。ゴーピたちは、この無私無欲の愛は、彼らの行動がもたらした堕落やその時代の一般社会から消されるのではないかという恐怖について懸念することなく応じたものであることを示している。彼らはモラルを放棄したのではない。むしろ彼らは至高者への純粋な愛に無私無欲の服従をするために世俗的な因習を超越したのである。ラサ。リラの間、クリシュナとゴーピたちはおしゃべりをし、歌い、踊り、魂の忘我の愛を堪能する。彼らの関係が世俗的な恋人たちの関係と似ているとしても、それは異なるカテゴリーに分類される。鉄と黄金はおなじ金属だが、鉄は一般的で、黄金は貴重なものである。ゴーピたちの無条件の愛の本質は、愛する主に一瞬の喜びを与えるだけなら、彼らは永遠の苦しみを味わうということである。喜びを与えるのは、最大の楽しみである。そしてゴーピたちに幸福の頂点を与えるのは、クリシュナの無限の愛の本質である。これぞ最大の楽しみ。

 このような純粋な愛はいとしい主の心を射止めないのだろうか。クリシュナはゴーピたちの無私無欲の愛に恩義を感じて、彼女らに言う。

 

あなたがたの奉仕はすばらしくて、わたしは報いずにはいられません。千年間、宇宙のすべての富を差し上げても、あなたがたの愛に十分報いたとは言えないでしょう。あなたがたの愛自体で、どうか満足してください。

   バーガヴァタ・プラーナ 10.32.22

 

 信仰面で、バクタから捧げられた愛の性質と段階にしたがって、クリシュナは何百万回も自身の愛を提供することで報いた。これが愛の頂点である。無限の、超越的な愛はバクタの心を征服し、バクタの無私無欲の愛は神の心を征服する。でなければ、神の心が征服されることはない。

 

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