エルサレムからカシミールへ 

第2章 聖なる神殿(テンプルム・ヒエロソリュム) 

 

 マリアの両親ヨアヒムとアンナは長い間子宝に恵まれなかった。ヨアヒムはもし神が子供を授けてくれるなら、その子を慈悲深い人間に育てると誓った。女の子だったので、彼らはマリアと名付けた。ヘブライ語のミリアム、つまり長く望まれた子供という意味である。三歳のとき、彼らはマリアを親戚であるエルサレムの神殿の高級祭司のもとへ連れていった。彼はマリアに神への愛を植え付けた。彼女は神殿のそばにある少女のための学院のなかで育った。学校は従順な神殿の従僕を育てるところだった。職務を遂行する人々を助けるのは、エルサレムの官僚の仕事ではなかった。同時に将来の従僕には教育が与えられた。彼らの多くはしばしば王室の柱廊(ストア)に行った。そこで彼女はほかの信心深い女たちといっしょに宗教儀礼を学んだ。両親の死のあと彼らの手引きがなくなり、現実生活に何の関係もない宗教教育を受けて、彼女は性に関する関心も愛情もない生活を送るようになった。だからこそ叔母が――母の姉妹のエリザベスが――ある日、彼女が避けられない状況にあると言ったとき、いつ、どのように懐妊するかの話に彼女はとまどったのである。そのときになって彼女ははじめて理解するようになった。彼女は何か月もの間、自身妊婦である叔母のそばで暮らしながら、不名誉を避けるためにどうすればいいかずっと考えていた。叔父のゼカリアはエルサレムの近郊アイン・カレム村にいた。実際彼女は姦通の罪で死に至る石打ちの刑を食らう可能性があった。彼女は叔母の心にしみるアドバイスを受けて、ナザレから来た男やもめの有名な大工、ヨゼフと結婚することにした。ヨゼフ、ヤコブ、ユダ、シモンという息子たちと、リディア、リシアという娘たちがいるヨゼフはあわてて結婚しようとは思わなかった。しかし最終的には合意したのである。彼らは皇帝ガイウス・オクタヴィオス・アウグストゥスが支配18年目を全うした年に結婚した。マリアはそのとき16歳で、ヨセフは18歳年上だった。彼はフィアンセが妊娠四か月の妊婦であることを知った。五か月後、彼らは皇帝の発布した法令に従って、納税帳を刷新すべく、ナザレを出発し、ヨセフの出生の地ベツレヘムへ向かった。

 ポンペイのレギオン(軍隊)によるエルサレム征服から半世紀余り、パレスチナにはおよそ百万人のユダヤ人が住んでいた。彼らはローマによって強いられた平和のもとに存在した。残酷でずる賢いヘロド大王はユダヤの地を支配していたが、彼はユダヤ人ではなかったので、民衆から嫌われた。しかしローマはパレスチナにおける平和に満足していた。恐怖と不安を通じてヘロドが確保した平和ではあったが。彼が権力の座について最初に行ったのは、ユダヤ人の最高法院サンヘドリンのメンバー75人のうち45人を処刑することだった。地位を脅かされた彼は、陰謀の恐怖から年長の二人の息子を絞殺させた。そして息子たちの母である妻マリアムもすぐに処刑した。彼は命令を発してもう一人の息子アンティパトロスも殺させた。彼自身の死の五日前のことだった。人生の終わりにこのアルコール依存症の支配者はふたりの人気あるラビ、ユダとマタイを40人の信奉者とともに生きたまま焼いた。

 支配の全盛期において、彼は大衆を少しでもなだめるためにエルサレムの神殿の再建にとりかかった。立ち入り禁止地域に平民が入り込まないよう、彼は千人の祭司を石工や大工として訓練した。神殿の再建は記録破り的なわずか18か月という速さで完成した。しかしながら再建はヘロドの誇大妄想を満足させるには十分ではなかった。そこで彼は神殿を拡張するためにパレスチナ中から八万人もの労働者をヘロドの死後も長く続いたプロジェクトに集めた。大工および石工の棟梁だったナザレのヨセフは神殿の建築現場で何年も働いた。今や彼は老人だったが、それでもよく知られた専門家でありアドバイザーだったので、ガリラヤだけでなく、フェニキア、デカポリス、サマリア、ユダヤの神殿や宮城の建築現場にたびたび呼ばれた。ユダヤ年の3761年、キスレフの月の24日の冬至の日の直前、彼はふたたび再建現場にいた。王室グランド・マスターの建築家の要求に応じてそこにいたのである。彼はケンスス(国勢調査)が実施されるため、エルサレムから妻マリアと下僕のルツが待つベツレヘムへ戻る途中だった。石柱の上に作られる木製の円天井の建築はきつい仕事で、棟梁ヨハンナンが管理していた。しかし彼もまた三日の休みを取り、ケンスス(国勢調査)実施のためエリコへ向かっていた。ヨセフは仕事の依頼に有頂天になっていたわけではなかった。というのも妻マリアは妊婦であり、いつ生まれてもおかしくなかったからである。

 しかしながら彼は最後には折れて受託した。だから今まででもっとも巨大な柱が完成したとき、彼はそこにいたのである。ヘロデ王は完成を記念して優秀な棟梁たちひとりひとりにロケットつき首飾りを授与した。王のかわりにグランド・マスターがヨセフにロケットを与えたとき、ヨセフは神経過敏になっていた。というのも彼はマリアとルツにルツの叔母の家で会う約束をしていたのである。彼らはエルサレムのこの家にすでに三日間逗留していた。

 ヨセフは儀礼が終わり、暇乞いしたあと、急いで妻のもとに向かった。グランド・マスターは野菜運搬用の馬牽きの荷車を彼に貸した。それはちょうどナザレに戻る途中だったのである。

 ナザレからの一週間の旅用に借りていたロバ車と比べると、馬牽きの荷車は坐り心地がよかった。ヨセフは亜麻布の毛布でマリアを包み、ルツとともに荷車に乗り込んだ。彼らは水入れの皮袋、ワイン入れの皮袋、替えの衣服、平パン入りの革袋、乾燥ヤギ肉、チーズ、乾燥イチジク、ナツメなどを摘み、出発した。神殿からベツレヘムまでの旅はおよそ4(ローマ)マイルの、年長の牡馬で二時間を要する、おだやかな、上り坂を行くものだった。

 シオン門を抜けて町から離れ、ヘブロン路にぶつかると、雹が降り始めた。ベツレヘムに入るとき、マリアはヨセフとルツに子供が日光を求め始めていると告げた。ヨセフは頑丈な杖で馬をたたき、急がせた。彼らは宿から宿へ、家から家へと回ったが、どこもケンスス(国勢調査)のため町に来ていた人々で埋まっていた。ようやく心やさしい人々のおかげで彼らは救われた。宿の管理人、アプサファルは宿の後ろの岩を刻んで作った馬小屋にわずか数銭(タレント)の銀貨で彼らを泊めた。藁床の上に分厚い亜麻布の毛布を置いたところで、マリアは産気づいた。ヨセフとルツは雪がやんだことさえ気づかなかった。赤ん坊の元気あふれる泣き声が馬小屋の中に響き渡ったとき、尋常ではない明るい星がすんだ夜空に現れた。

 マリアは最初の息子を産んだ。彼らはその子をヨシュア・ベン・ヨセフと名付けた。ヨセフの息子、救世主ヨシュアという意味である。息子の誕生の記念としてヨセフは当時国王から授かったすばらしいロケットを妻に贈った。それは珍しい金属からできていて、表面には六芒星が描かれ、裏面には二本の柱(コラム)をつなぐアーチが描かれ、その上にかろうじて判別できる文字でテンプルム・ヒエロソリュム、すなわちエルサレムの神殿と書かれていた。それは冷えた馬小屋の中でマリアの手を温めてくれた。

 徴税官吏プロアスははなやかな、豊かな装飾が施された衣服を着た三人の神秘的なよそ者を洞窟に案内した。彼らは新生児を訪ねにやってきていた。彼らがベツレヘムを通過するおびただしい数の隊商からやってきたのか、子供を見るために来たのか誰にもわからなかった。彼らは馬から降りると、飼い葉桶のところまで歩いてきて自分たちがペルシア、エジプト、インドから来た賢者だと名乗った。

 カスパールと呼ばれる者(本名はゴンドパレス)は贈り物を冷たい床の上に置き、二人の仲間にしかわからない言葉で話した。

「私たちははるか遠い国からあなたの息子さんに贈り物を差し上げるためにやってきました。その贈り物はこの世界の人間の生における三つの価値あるものを表しています。事物のシンボル、黄金。心のシンボル、乳香。精神のシンボル、没薬。息子さんが取ることになる道のお供にしましょう」

 マリアは訪問者たちが子供を腕に抱いてあやすのを許した。まずヒマラヤに抱かれた遠くの町タクシャシーラから来た聖人ゴンドパレスは、その温かい腕の中でせわしなく揺り動かしてあやした。このやさしい男が子供の小さな手のひらに没薬を一滴垂らすと、子供は泣き止み、すやすやと眠った。この場面を見たバルタザールとメルキオールは互いを見てほほえんだ。彼らは謎を理解することができたのである。そして彼らはゴンドパレスと子供の前で敬意をこめてお辞儀をした。マリアは贈り物を受け入れて感謝の念を表した。賢者にどのように報いたらいいかわからず、彼女はヨセフのロケットをただ彼の手に握らせただけだった。

 

 

 


⇒ つぎ