カーラチャクラ略史
ジョン・R・ニューマン 宮本神酒男訳
スチャンドラ
スチャンドラ以前のシャンバラの歴史はほとんど記録が残っていない。スチャンドラの父母の名がスーリヤ・プラバとヴィジャヤであること、そしてシャンバラ王朝がシャキャムニ・ブッダを生んだシャカ一族とおなじ家族であること、しかしそれ以外のことはわかっていないことをわれわれは教えられた。しかしながらスチャンドラがカーラチャクラを取り入れる前、シャンバラの宗教がインドのヴェーダ学に属していたことはその後のできごとからわかる。
スチャンドラ王はウッディヤーナのインドラブティ王のように、ヴァジュラパーニの第十世代のボーディサットヴァの化身だった。これは意義深いことである。なぜならヴァジュラパーニはヴァジュラヤーナの教義の主要な校訂者だからだ。ヴァジュラパーニとそのさまざまな化身は、ヴァジュラヤーナの教義を伝授するにおいて、ブッダと一般の人々とのあいだの仲立ちをつとめた。
上述のように、ダニヤカタカでブッダがパラマディブッダを教えたあと、スチャンドラと諸侯たちはシャンバラにもどってきた。それからスチャンドラはシャンバラの言葉を用いて、パラマディブッダに関する6万行に及ぶ論考を書いた。カラパの南にカーラチャクラ・マンダラを作り、スチャンドラはイニシエーション儀礼をおこない、シャンバラの9億6千万の村の住人にカーラチャクラの教義について説明した。これらの教えが好きな人々は耳を傾け、唱和し、記憶にとどめ、ほかの人々にも伝えた。タントラを教えたつぎの年、スチャンドラはさまざまな奇跡的なできごとをあきらかにした。そして彼は喜びの身体(サンボーガカーヤ)を使い、有情が成就を得た結果として、現われの身体(ニルマナカーヤ)がやってきた場所へともどった。