屍林で修行するカーパーリカ 宮本神酒男

現在のカーパーリカ、汚さは半端でない

 以前インドの大祭マハー・クンブ・メーラに通いつめたことがある。この祭りの何と言っても楽しみは、インド全土から集まってくるさまざまなタイプのサードゥが見られることである。だだっ広い砂地はシヴァ派やヴィシュヌ派、新手のラーマクリシュナなどセクトごとに分かれ、ぎっしり大小のテントで埋めつくされる。

連日、灰以外は身につけない裸のナガ・サードゥのブロックに通ったので、素っ裸の行者ぐらいでは私は驚かなくなっていた。イチモツがぶらぶらしていても、目のやり場に困るということはなくなっていた。

しかしある一角だけは、ずっと近寄りがたかった。柵越しに覗いても、中にはいりたいとは思わなかった。彼らはナガ・サードゥとおなじく素っ裸だったが、もっと薄汚れていて、石器時代の原始人の集まりのように見えた。ナガ・サードゥは案外小ぎれいにしているのだが、彼らは不衛生であるように見えた。

 彼らはカーパーリカと呼ばれるサードゥだった。カーパーリカ(Kapalika)すなわちドクロを持つ修行者と聞いて、いっそう近寄りがたい気がした。私の頭のなかでは、墓場あるいは火葬場で「人肉や糞をむさぼり食う」「ふしだらな性的関係を享受している」といったカーパーリカに関するさまざまな「伝説」が駆け巡っていた。

しかし小心者の私はびびりすぎていたのだ。ひとりが私に気がついて、意外にもにこやかに、親切そうにこちらに近づき、「おい、こっちへ来いよ」と声をかけてくれたのだが、私は半信半疑の硬い表情をなかなか崩すことができなかった。

 カーパーリカの存在をはっきりと確認できるもっとも古い材料は、600年から630年頃に作られた『マッタヴィラーサ(Mattavilasa)』という寸劇である。これは南インドのパッラヴァ(Pallava)の王マヘンドラ・ヴァルマン(Mahendra-varman)に捧げられたものという。

 主人公であるサティヤソーマ(Satyasoma)という酔いどれカーパーリカは、あろうことか大事なドクロの鉢(はつ)を失くしてしまう。野良犬が肉のこびりついた鉢をくわえていってしまったのだ。それを知らないサティヤソーマは、ドクロの鉢を持っていた仏教の僧に疑いをかけるが、その鉢はまったく別のものだった。カーパーリカのパートナーであるデーヴァソーマ(Devasoma)もまた、ブラフマーのドクロのように神々しいドクロの喪失を嘆いた。

 ブラフマーのドクロというのは、シヴァの神話からきている。かつてシヴァとブラフマーはどちらが強いか争っていた。その争いのなかで、怒りのあまりシヴァはブラフマーの5番目の頭を切り落としてしまう。それ以来シヴァは「ブラフマー殺し(brahma-hatya)」の汚名を着せられることになる。シヴァはこうしてブラフマンのドクロを鉢として持ち、12年間もカパーリン(カーパーリカ)としてさまようことになる。

 カーパーリカの特異な修行法は、このシヴァの故事に由来する「大いなる誓い」すなわちマハーヴラタ(Mahavrata)にもとづいていたのだ。

カーパーリカはそのため社会的通年に反する過激な修行に励む。たとえば墓場、あるいは火葬場という不浄な場所に入り、死体という不浄なものと接する。あえて不浄の世界に入り込むのである。

 カーパーリカはまた低カーストの美しい女とセックスを楽しみ、肉を食らい、ドクロの鉢で施しを受けながら、その鉢で酒を飲む。いうまでもなく、ヒンドゥー教の上流カーストは肉食や飲酒、常軌を逸する性行為を禁止していた。

 またディオニュソス信仰にも似た古代インドのバラモン教のソーマ信仰に源流を発するソーマ・シッダーンタ(Soma-siddhanta)というカーパーリカの教義にも留意したい。『マッタヴィラーサ』の主人公であるサティヤソーマとデーヴァソーマの名にもソーマが含まれている。ソーマはいわば聖なるドラッグであり、これによって神との合一が成し遂げられるのである。

 ヴァーチャスパティ・ミシュラ(Vacaspati Mishra 840頃)によると、カーパーリカはシヴァ派(Shaiva)、パーシュパト派(Pashupata)、カールニカ・シッダーンタ派(Karunika-siddhantin)とともにマーヘシュヴァラ派(Maheshvara)を形成するという。一説にはカールニカ・シッダーンタのかわりにカーラムカ派(Kalamukha)をいれる。これらはどれも大きな意味でのシヴァ派と考えていいだろう。

 カーパーリカはそのなかでもとりわけ過激な一派で、守護神も破壊力抜群のシャムヴァラ(Shamvara)である。シャムヴァラは古代インドの『リグ・ヴェーダ』にも、インドラやアグニの敵として登場する。またダシュ(悪魔とされるが強力な異民族と考えるべきだろう)の首領ともみなされた。このシャムヴァラがのちヒンドゥーや仏教のなかに取り入れられていく。調伏された悪魔は強力な神に成りえるのである。

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