カルマと輪廻転生  

境界のない信仰 

魂の生まれ変わりが繰り返されるという教義がある。何といっても衝撃的なのは、世界のあらゆる地域で、この信仰が何度も現れるという事実である。このように広範囲で、支配的で、不変の影響を人類に与えてきた教義はほかにない。

        ウィリアム・R・アルジャー 

 

 カルマと輪廻転生の信仰は古代、現代を問わず、時空の中を駆け巡って、多くの文化の中に故郷を探しだす。もっとも丹念にカルマと輪廻転生の概念を発展させてきたのは、インドの宗教文化、とくにヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シク教である。

 これらの伝統によれば、魂は彼女が前世で蒔いたよいものと悪いものを魂は刈り取るのである、「ちょうど農民が何かの種を植え、よい行いと悪い行いで収穫物を得るのと似ている」と偉大なるヒンドゥーの叙事詩、マハーバーラタは説明する。ブッダの言葉を収集したダンマパダにはつぎのように述べられている。「今日のわたしたちは昨日の思考から来ている。もし人が不浄な心で話したり、行動したりするのなら、馬車の車輪が馬車を牽く獣のあとを追うように、苦悩が彼を追ってくる。もし清らかな心で話したり、行動したりするなら、彼自身の影のように喜びが彼のあとを追ってくる」

 この事実は多くの西洋人には知られていないけれど、キリスト教が到来する前、輪廻転生は初期のチュートン部族やフィン人、アイスランド人、ラップ人、ノルウェイ人、スウェーデン人、デーン人、初期のサクソン人、アイルランド、スコットランド、イングランド、ブリテン、ガリア、ウェールズのケルト人を含むヨーロッパの多くの人々の精神的信仰の一部だった。ウェールズ人はもともと輪廻転生の信仰をインドに持ち込んだのはケルト人であると主張したほどだった。

 古代ギリシアでは、ピタゴラスもプラトンも輪廻転生を信じていた。ピタゴラスは、魂の多くの輪廻転生は魂にとって浄化し、完璧なものになるいい機会だった。一部のネイティブ・アメリカンは中央アメリカや南アメリカの多くの部族と同様、輪廻転生を信じていた。現在この信仰はアフリカの百以上の部族だけでなく、エスキモーやオーストラリア中央の部族、タヒチ人やメラネシア人、沖縄人を含む太平洋の人々などにも見られた。

 ユダヤ・キリスト教の伝統ではどうだろうか。カルマの法、因果の法はしっかりと伝統に根ざしている。一部の学者たちによると、1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスが書いていることから、パリサイ人やエッセネ派は輪廻転生を信じていた。偉大なユダヤ人哲学者でありイエスと同時代のフィロは輪廻転生について教えていた。3世紀の教会の教父、アレクサンドリアのオリゲネスは輪廻転生がユダヤ人の神秘的な教えの一部であることに気づいていた。

 さらに加えて、輪廻転生はカバラーすなわち13世紀に花開いたユダヤ人神秘主義のシステムによって教えられていた、あるいは教えられている。そして今日の復活を楽しんでいる。輪廻転生もまたユダヤ人ハシディズムの宗教信仰の一部である。それは18世紀に基礎がつくられたものである。

 大事なことを言い忘れていたが、今世紀発掘された古代文書同様、歴史自体、輪廻転生が初期キリスト教の時代には生き生きとしたものであったことを明らかにした。あとでまた見るように、13世紀でさえキリスト教の一部のグループは伝統的なキリスト教の信仰を保ちながら、輪廻転生を信奉していた。


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