ケサル王ラダック版 A・H・フランケ 宮本神酒男訳 

プロローグ 

 
 カラコル(Kalakol)の地に先祖のタシシ(bKrashis shis)と妻が住んでいた。彼らは小さな畑を持っていて、他の人から借りた種をまいて畑を耕した。

 そのなかから成長した植物はひとつだけだった。彼らが水をたっぷりと注いだところ、それは一本の木になった。この木から(おそらく世界樹)彼らは小麦や大麦などの豊かな実りを得た。それぞれの穀粒は鳩ほどの大きさがあった。それから彼らは納屋を建て、そこに穀物を蓄えるようになった。

 
 ある春の日、先祖が納屋に穀物を見に行くと、穀物すべてが芋虫に変わっているのを発見した。それから芋虫は互いを食い合った。そして最後に巨大な芋虫が一匹だけ生き残った。この芋虫は納屋がはちきれそうになるほど大きかった。

七日後、先祖が納屋に芋虫を見に行くと、それは世にも美しい子供になっていた。子供はあまりにも華奢だったので、太陽のもとに置くと融けてしまいそうだった。もし日陰に置いたら、凍ってしまいそうだった。子供の金色の垂れ髪は、額から胸に垂れ下がっていた。また銀色のおさげは、腰まで垂れ下がっていた。

 
 先祖は、子供にどんな名前をつけるのがいいか聞くため、師匠(ロポン)のツェグ(
rTse dgu)が住む寒い谷の庵を訪ねた。師匠は子供をドン・スム・ミラ・ンゴンモ(Dong gsum mila sngonmo)と呼びなさいとこたえた。

 
 少年ドン・スム・ミラ・ンゴンモは、2匹の犬を連れて狩猟に行くのが好きだった。かつてこれらの犬が、庵の後ろにある岩の上で、9つの頭を持った鬼(羅刹)を捕まえたことがあった。鬼は殺さないでくれと懇願し、戦争や競技のときには手助けすると約束した。どうしたらいいかわからなかった少年は、師匠のもとを訪ねてそのことについて聞いた。

 
 師匠は、鬼(羅刹)を殺すべきだ、と言った。するとその身体からリンの国が現れるというのである。

鬼を殺すと、その4つの頭はリンの城塞を囲む4つの壁になった。また別の4つの頭はリンの城塞の4隅(塔)になった。残りの1つの頭は、城塞の床になった。

 そして脚は大きな梁(はり)に、腕は小さな梁になった。指は屋根の支え棒となり、あばら骨は屋根を作る小枝に、身体の臓腑は、屋根を作る土になった。肺は黄金の丘になった。心臓は白銀の丘になった。反芻胃は、すべての平原のなかでも第一の平原であるドマ平原(
Groma)になった。内臓は峡谷のなかでも第一の峡谷であるギュマ峡谷(rGyuma)になった。胃は狩猟場であるスポト・ナンマ(Spotho nangma)になった。

 目はツァンヤ泉(
Thsang ya)に、鼻はケニャン・リンブ(Skad snyan glingbu)に、腎臓はギャプテン岩(rGyab rten)になった。


 
 これらが終わるまでに7日が経過した。そして7日目、少年ドン・スム・ミラ・ンゴンモと彼の犬たちは、腹をすかして先祖と彼の妻のところへ戻ってきた。

彼女は、少年が長い間帰ってこなかったのは、嫁を与えていないので怒っているのではないかと考えていた。そこで先祖は師匠のもとへ行き、嫁がどの方角からやってくるかを占ってもらうよう頼んだ。

師匠は彼に、通りで18人の少女を呼ぶことをすすめた。彼女たちはみな羊の年の生まれであるべきだという。

バンリ大祭のとき、多くの客が集まった。そのときすべての羊年生まれの少女が別々の部屋に入れられた。少年もそれぞれの部屋に入れられた。

 
 少女たちはみな、少年を見るやいなや、彼の子供をほしいと思った。そして9か月と10日後、最初の子供が生まれた。

しかしすべての者が驚いたことには、子供の頭は人間ではなく、羊の頭だった。

少年ドン・スム・ミラ・ンゴンモは師匠のところへ行き、子供の名は何がいいかたずねた。彼が子供のことを羊頭の低カーストと呼ぶと、師匠は低カーストのことは言うな、と諭して、子供をパサン・デンラキェ(Pasang ldan rva skyes)と名付けた。

彼が家に戻ると、また子供が生まれていた。その子の頭はトカゲの頭だった。これもまた悪いカーストだと思われたが、師匠は違う考えを持っていた。師匠は子供をアンガル・ツァンパ(Angar ltsangspa)と名付けた。

そして師匠は少年に、もうここに来る必要はない、と言って、残り16人の「アグ」の名が書かれた紙を渡した。

 
 18人の「アグ」が生まれたとき、彼らは生まれた順に並んで行進し、家を建て、妻を娶った。

彼らは富を持っていなかったので、パチ・パル・ドン城を探しに行く旅に出た。そこには富があったからである。

鍛冶師の娘を母に持つアグ・パーレ・グーポ(Agu dPalle rgodpo)はたいへんな愚か者と思われていた。彼は一番最後に出発した。

小川を渡るとき、水から出られなくなったキツネがいた。キツネはアグの馬に飛び乗ってもいいかとたずねた。彼が喜んで馬に乗せてやると、キツネはお礼のしるしとして城へ行く道を教えた。

こうしてアグ・パーレはお城に一番乗りすることができた。ほかのアグたちは道に迷ったり、茨(いばら)に引っかかったりしていていたのだ。


 
 それからしばらくしてアグ・パーレはお城に住んでいる祖母に、お城にはどんな宝があるのか聞いた。祖母はこたえた。

「リンの地には、父トンパと母ンゴンモから、ブリグマ(’Briguma ドゥクモ)という娘が生まれるんだよ。

リンのお城には、先祖のタシ(bKrahsis)に3人の娘、カル・ティクモ(dKar thigmo)、ナク・ティクマ(Nag thigma)、ゴク・サン・ラモ(Gog bzang lhamo)が生まれる。

天界の神のもとには、3人の息子、ドン・デン(Don ldan)、ドン・ユー(Don yod)、ドンドゥプ・カルポ(Don grub dkarpo)が生まれるのさ。

この3人目の息子は天界で死に、ゴク・サン・ラモの子として生まれ変わり、リンの国の首領となることになっている。

鳥のク・ユグ・ギャルポ(Khu yug rgyalpo)から生まれるのは、鳥のオン・ドレ(’Ong ldore)だ。そしてこの鳥から生まれるのは、鳥のニマ・キュンルン(Nyima khyung rung)なんだよ。このニマ・キュンルンだ、ケサルを倒したのは。

そしてケサルが生まれ変わるまで、空に(地平線に)太陽と月の辺境の印をつけることになったのさ。

それからケサルの弟の鳥(コウモリ)のソ・ミク・マル(So mig dmar)が生まれる。そしてケサルが生まれるか生まれないか、ともかく、知らせが来るまで、高い岩の上で待つことになったんだ」

 するとパーレは言った。

「しかしどんな種類の宝があるというのですか」

 すかさず祖母はこたえた。

「口の赤い壺と曲がった口のやかんがあるよ。白い月は斧。数色のギャタク(rGya stag)の縄。千を持つ白い袋。ツァラン(Thsa langs)と呼ばれる一番の駿馬。ゾモ・ル・ヨン(mDzomo ru yon)と呼ばれる一番のお城。ラ・カルモ(Ra dkarmo)と呼ばれる一番の山羊。ドモ(Dromo)と呼ばれる一番の羊。ナクポ・カカル(Nagpo kha dkar)と呼ばれる一番のロバ。カルモ(dkarmo)と呼ばれる一番の雌犬。ナクモ(Nagmo)と呼ばれる一番の猫。口の中に炎を持つ去勢馬。弓。金と銀の炉床の石。真珠のように白い子羊と銅の色の犬。真珠とトルコ石の碾き臼……」

 アグ・パーレはこれらの宝物すべてをリン城に運び、倉庫に入れた。彼が去ってから七日後、ほかのアグたちがやってきて、金、銀、銅などを持ち去った。すべてが持ち去られると、ペチ・パルドン城は粉々になり、あとには何も残らなかった。