ケサル王ラダック版 A・H・フランケ 宮本神酒男訳

ケサル誕生の物語 

1 

 ある日、アグ・パルレ・ゴドポが山羊の世話をしていると、白い丘から白い鳥がやってきた。また黒い丘から黒い鳥がやってきた。両者は激しく闘った。朝は黒い鳥が優勢で、正午はいい勝負になり、夕方になると白い鳥が優勢になった。

 翌日、白い丘から白いヤクがやってきた。また、黒い丘から黒いヤクがやってきた。朝、白いヤクが優勢だったが、正午には、いい勝負になり、夕方になると黒いヤクが優勢になった。

 黒いヤクが悪魔にちがいないと思ったアグ・パルレは、投石器で黒ヤクを殺し、右の角を破壊し、18片に分解しようとした。これらはワンポ・ギャプシン(dBangpo rgyabzhin)、母ギャブドゥン(sKyabs bdun)、ナーガ王ジョクポ(lJogpo)、ケルドン・ニャンポ(sKyer rdong snyanpo)、クルメン・ギャルモ(bKur dman rgyalmo)、18のアグ、リン城の頂、黄金の丘、トルコ石の丘、ツァンギャの泉、ドマ平原、パルマイ・アタク(dPalmai astag)、ビチュ川、狩猟場プロト・ナンマ(sProtho nangma)、父トンパ、母ンゴンモ、ブルグモ、石の倉庫、そして彼自身に分配された。

白いヤクはワンポ・ギャプシンの化身だった。黒いヤクは悪魔チュルルグ(Chu ru lu gu 北の魔の巨人)の化身だった。

 そして、白い丘から1ヤードほどの背の(これもワンポ・ギャプシンの化身である)子供が現れた。[訳注:高さ1khruは1ヤードよりも小さいはず] 

 子供は宝物すべてと所有地の半分とお城を、祭祀をよくやってくれたとして、感謝のしるしにアグに与えた。アグは受け取りを拒否したが、そのかわりに天界の王の3人の息子のひとりを首領のいないリンに送ってほしいと頼んだ。天界の王は七日後に約束の言葉を地上に送った。

 

2 

 ワンポ・ギャプシンは天上の神々の領域に戻ると、布団に頭を突っ込んで寝た。彼の長男ドンデンは、食事とお茶を運びながら、父の悲しみの原因をたずねた。父は息子のひとりを地上のリンの国に送ると約束したことを打ち明けた。

「おまえが行ってくれないだろうか」

「どうして神々の子が人間世界に行かなければならないのでしょうか? 食事でもしてください、お父さんが好きなら。もし嫌いなら、残してもいいですよ!」

 2番目の兄ドンヨドも同じことを聞かれたが、同様に拒絶した。

 3番目のドンドゥプも同じことを聞かれたが、彼は快く引き受けた。

「ぼくはどこへでも行きます、お父さんがお望みでしたら。そこで死んだり行方知らずになったりしてもかまいません」

 それから父は食事を取り、お茶を飲んだ。

 

3 

 翌日、(天界の)王は3人の息子に言った。

「息子たちよ、矢筒と、矢の刃(やいば)でいっぱいの篩(ふるい)を持て。馬に乗って降りるとき、矢の刃をばらまけ。昇るときには、矢尻を集めて柄につけよ。この競技に勝った者はここに残っていいぞ。負けた者は、地上の人間世界に降りねばならぬ」

 競技は一番下のドンドゥプが勝った。ひとつの矢尻さえ失うことのない完勝だった。

 翌日、王は3人の息子に芥子の種でいっぱいの枡(ます)を与えて言った。

「馬に乗って降りるとき、種をばらまけ。そして昇るときにそれを集めよ」

 この競技もドンドゥプが勝った。一粒の芥子の種も失わない完勝だった。

 怒りで顔を真っ赤にしたふたりの兄は言った。

「よかろう、おれたちが首領になってリンの国へ行けばいいのだな! ドンドゥプはここに残るがいいさ!」

 勝者はドンドゥプひとりだった。つまり二人がかりで兄たちは彼を襲い、高い木の上にくくりつけることができた。そして彼の戦利品を奪って彼らは帰宅した。

 しかし父はドンドゥプがどこにいるのかたずねなかった。

 丘からひとりの男が現れた。彼の身体の上部は白、中央部は赤、下部は黒だった。彼はドンドゥプに言った。

「おまえは父母にさからったのか? 人か犬を殺したのか? それとも何か盗んだのか? でなければ木にくくりつけられたりしないだろう」

 ドンドゥプはこたえた。

「そうです。ぼくはあなたが言われたことすべてをしました。それでこのザマです」

 彼はそう言いながら木を引っこ抜き、家の戸の前に植えた。それは父母に陰を与えるためだった。

 後日、三兄弟は狩猟に行かされ、三男だけがたくさんの獲物を取ることができた。ドンドゥプは深い穴に投げ捨てられたが、今回はトカゲのしっぽをつかんで助かった。長い穴を、しっぽを持ったままずっと引きずられたので、彼の身体も皮膚もすりむけて、抜け落ちてしまった。しかし彼が「トゥ、トゥ」と言うと、身体と皮膚は元通りになり、さらに変じて鋼になった。

彼は穴を両側からふさいだ二つの石を持って家に戻った。そしてその石から父母のために2つの玉座を作った。彼の祈りの言葉によると、玉座の下に不死の泉が現れ、あらゆる果物の木々に囲まれた。

 

4 

 アグ・パルレはワンパ・ギャプシンの約束を忘れないために、羊たちの耳に小石を結びつけた。実際彼はすべてを忘れていた。しかし彼の妻が山羊の乳を搾っているとき、小石が山羊の頬に当り、驚いた山羊が後ずさりしたために乳がこぼれた。このとき彼は約束を思い出し、天上の神々の国へ向かった。神々の王は太陽の光の中に寝ていた。パーレは恭しく挨拶をして、白いカタ(スカーフ)を捧げたあと、馬を売ってもらえないかとたずねた。その答えというわけではないが、心づけとして黄金の魚をもらった。

 それから彼は下ってナーガの王国へ行った。そして太陽の光のなかに寝ているジョクポ王と会った。そして白いカタ(スカーフ)を捧げたあと、馬を売ってくれないかとたずねた。その答えというわけではないが、心づけとしてトルコ石の魚をもらった。

 さてパルレは、今度は中間の確固とした地へ行った。そして母キャプドゥンに白いカタ(スカーフ)を捧げたあと、馬を売ってくれないかとたずねた。彼女は、馬の毛一本にたいし1ジョ(zho)ほど払えば、とこたえた。パルレは、リンの国で自分は山羊、羊、馬、ヤク、牛を買ってきた。自分で世話をすればそれぞれが100の値になった、と言った。これらすべての家畜とできるだけたくさんの銀を母は要求したが、彼はそれをそろえて、駿馬のンゴロク・ポンポン(sNgorog pon pon)を手に入れた。

 それからアグ・パルレは馬に乗り、折れた刀を腰に巻きつけ、神々の国に戻った。それから彼は屋根の上でドンヨド、ドンデン、ドンドゥプの妹と会った。彼は彼女に、王の家はどこかたずねた。彼女はこたえた。

「王にどんな用事があるのですか? お好きなところへ行けばいいでしょう!」

 アグは言った。

「そなたは私がだれかご存じか? 馬はンゴロク・ポンポン。私はパルレ・ゴドポ。刀は石をも切る刀。この刀は3年間、氷、水、土に置いて硬くしたものである。もし王の家の場所を教えてくれないなら、そなたの上半身は空へ、下半身は地下へ、切られて飛ばされるだろう」

 少女は一目散に走って父親のところへ逃げた。彼はすぐに見知らぬ男がアグ・パルレであることがわかった。彼は飛び出して、アグと握手をした。パルレは彼が嘘をついていたことを非難したが、七日後にドンドゥプを送ることで同意した。

 

5 

 ドンドゥプはケサル王として降臨する前にリンの地を見たいと考えた。彼は美しい鳥に変身し、アグ・クライゴ・クルトゥン(Agu Khrai mgo khru thung)の家に行った。このアグは、妻に、弓を持ってくるように、またスープを作るために熱湯を沸かすようにと言った。彼らは鳥を射止めて食べようと考えたのである。しかし鳥は逃げ、大きな糞だけが残った。

 ほかのアグたちはみな親切だったので、アグ・パルレは食べ物や杜松の木を持ってきた。ドンドゥプが天上世界に戻ってくると、乳はリンの国の印象についてたずねた。ドンドゥプは、すべてがよかったが、ただアグ・クライゴ・クルトゥンだけは悪い男です、とこたえた。

 

6と7 

 ドンドゥプは父親に、母、城、馬、兄弟、弓と矢、やかん、山羊、耕牛、守護神と女神、妻なしに、どうやってリンの国へ行くことができるだろうかとたずねた。それにたいし父はこたえた。

「おまえの母は、ゴクサン・ラモ(Gog bzang lhamo)となるだろう。おまえの城は、リン城となるだろう。おまえの馬は、キャンビュン・ベルパ(rKyang byung dbyerpa)となるだろう。

おまえの兄弟は、セルバル(gSer sbal)とユバル(gYu sbal)となるだろう。おまえの矢はトンカル(lTong dKar)、弓は鋼のギャシュ(Gyad gzhu)、槍はパルジャム(dPal jan)となるだろう。

おまえのやかんはサンブ・カヨン(Zangsbu Kha yon)、鍋はカマル(Kha dmar)となるだろう。おまえの山羊はラケ・ケマル(Ra skyes skye dmar)、耕牛はカンカル(rKang dkar)となるだろう。

おまえの守護女神はクルメン・ギャルモ(dKur dman rgyalmo)となるだろう。そしておまえの妻はブルグモ(’Brugmo)となるだろう」

 天界の王の子供たちの命はそれぞれ一杯の乳に頼っていた。王は自分の娘に母乳をドンドゥプのお椀にそそぐよう命じた。その瞬間ドンドゥプは死んだ。

 さて、地上には、強大な嵐が吹き荒れていた。そのとき、アグ・パサンデン・ラキェ(Agu Pasang ldan ra skyes)は布を織り、ゴクサン・ラモは糸をつむいでいた。

 雹の玉がひとつゴクサン・ラモのお椀に飛び込んできた。アグはそれを食べるように助言した。それは神々からの贈り物のように思われたからだ。

そのあとしばらくして、彼女は子供を授かった。人々はゴクサン・ラモにケサル王が誕生したと言い始め、彼女の二人の妹は嫉妬した。

 彼女たちはひそかに、ゴクサン・ラモのおさげのひとつを炉床の鉄(五徳?)に結びつけた。そして山羊を一匹部屋に放り込んだ。彼女たちは叫んだ。

「たいへん! 部屋に入った山羊を追い出してちょうだい!」

 ゴクサン・ラモがあわてて山羊を追い払おうとしたとき、(結び付けられていた)おさげが切れてしまった。そして乳が(お椀から)こぼれてしまった。このとき以来、彼女の体にはいくつかの潰瘍(やけど?)が残っている。

 誕生する日、子供は母親の内部から叫んだ。

「ぼくは3つの丘の頂上から生まれます! そこへ行って、3つの石を置き、3つの梁(はり)を用いて、珊瑚の棒きれと真珠のように白い小枝を施し、バターと小麦粉で屋根を固めてください!」

 母は言われたとおりのことをすると、その声は言った。

「ぼくは丘に住む鹿ではありません! 3つの谷へ行って、おなじような家を建ててください!」

 それから、湖岸にも、さらには荒野の真ん中に、おなじような家を建てるように声は命じた。母親はそのとおりにしたあと、彼女の家の戸の後ろへ行かされた。それから家の中の高いところに行かされた。

 そしてその声は、頭のある部分を取って、そこから出てくると言って脅した。また、肋骨の間から、あるいは足の裏から出て来るぞと言って脅した。ついに子供は本当のことを話した。

「献上品として、食べ物と杜松の枝を持ってきてください。ほかのさまざまな生き物といっしょにぼくは生まれます」

 最初に太陽と月が生まれ、空へ昇って行った。それから山羊が生まれ、岩へ行った。トルコ石の鬣(たてがみ)を持った獅子が生まれ、氷河へ行った。野生のヤクが生まれ、牧草地へ行った。鷲が生まれ、丘の頂上へ行った。黄金の目をした魚が生まれ、湖へ行った。小さな鳥が生まれ、木へ行った。そしてワンポ・ギャプシンが予言したすべての財宝と城が生まれた。

 これらのあとに、小さな首の上に大きな頭がついたトカゲのような者が生まれた。母はそば粉をその口につめ、その上に大きな石をのせた。

 それからクル・マンモ(bKur dmanmo)が生まれた。彼女は身体のないところから声が聞こえたとき、母にたずねた。

「どんな種類の子供があなたから生まれるのですか」

 ゴクサン・ラモはこたえた。

「たくさんの生き物が私から生まれ出ました。でもみなこの窓から出ていきました。すべてが出そろったあと、最後に生まれたのがトカゲです。それはいま石の下にいます」

 クル・マンモは小言を言いながら石をあげた。その下から現れたのは、神のようなケサル王の姿だった。

 

8 

 嵐がやってきたとき、アグ・パルレがパチ・パル・ドン城から持ってきた宝や生き物の上に、雹の粒が降った。

彼らはゴクサン・ラモと同様に妊娠した。このケサル誕生の日、これらすべての生き物から子供が生まれた。

赤い口の壺には、長い首の壺が生まれた。曲がった口のやかんには、壊れた口のやかんが生まれた。白い月の斧には、鋼の斧が生まれた。多彩な色の縄には、1クル(khru)の長さの縄が生まれた。白い「千を持つ」袋には、色とりどりの袋が生まれた。雌馬ツァラン(Thsa langs)には、キャンゴ・ベルパ(rKyang rgod dbyerpa)が生まれた。曲がった角のゾ(ヤクと牛の中間種)には、白い脚のゾが生まれた。白い脚の山羊には、赤い首の山羊が生まれた。羊のドモ(Dromo)には、羊のポルゼが生まれた。白い口の黒ロバには、茶色のロバが生まれた。白い雌犬には、黄色の狩猟犬が生まれた。黒猫には、さまざまな色の猫が生まれた。

 

9 

 小麦粉を固めた供え物がトカゲに捧げられた。アネ・クル・マンモは子守唄をうたい、神々の地、大地、ナーガ(竜)の地に賛歌がうたわれた。そして彼女は子供を母親のもとに戻し、この子をだれにも渡さないように助言した。

 上半身が悪魔で、下半身はリンの人々と変わらないラ・チン(lHa cin)と言う名の悪魔がいた。その息子、アグ・カロン・デンパ(Agu bKa blon ldanpa)は、東部のシャルランドレ・バランドレ(Shar ran dre Ba ran dre)の人々に言った。

「リンのケサル王がゴクサン・ラモから生まれた。われらは彼を火に投げ込まねばならない。なぜなら彼はわれらにとって大きな災いとなるからだ」

 この悪いアグはそう言って、南へ行った。

 これらシャルランドレ・バランドレの者たちは、ラマの姿を取り、ゴクサン・ラモの家を訪ねた。彼らは小麦粉(ツァンパ)もバターも食べず、仏法を教えるのにちょうどいい子供を欲しがった。彼らは七日後に子供を返すと約束した。

 彼らはそこを去ったあと、リンの国で、少年や少女、鍛冶師などを一堂に集め、棘(いばら)、(燃焼のための)バター、釘などを持ってくるように言った。すべてのものが集まると、4つの方角に釘を打った。つまり縄を張って子供(ケサル)を押さえつけた。それから大量の棘が堆く積もるほど、投げ込まれた。子供は棘の中央に置かれた。

 アネ・クル・マンモはカル・ティクマ(dKar thigma)の姿を取って、子供(ケサル)に何が起こっているかを見に行った。子供が炎の中央で焼かれているのを見て、彼女は思わず叫んだ。

「乞食に食べ物の施しをするのは、ごく普通の習慣のはずよ! ゴクサン・ラモは食べ物のかわりに子供を恵んだのだわ。私にどうやって子供を取り戻せというの?」

 星々が太陽と月に、若いライオンが氷のライオンに、若い鹿が老いた野生の山羊に、小魚たちが親魚たちに守られているように、庇護されていたのに、父母は彼を失ってしまったのだ。子供(ケサル)は言った。

「4つの方角に縛られたのは、4つのリン(の部落)がぼくによって征服されるということを示しています。火はぼくの両手を温めるだけです。バターは溶けて塗油をするだけのことです。さあ、ぼくのお母さんを、あなたがた、リンのすべての少年少女を見てください。ぼくは3人のシャルランドレ・バランドレを炎に投げ入れてみせましょう。ぼくはライオンのように飛び出してみせましょう!」

子供は言った通りのことをして、恐くなった人々はいっせいに逃げ出した。子供とカル・ティクモはそれから家に帰った。

 

10 

 子供を生む前、ゴクサン・ラモはライ病に襲われた。ある日、子供は母親に言った。

「もしお母さんが髪を洗いたいなら、ほかの女の家に行かないで、その女にこの家に来るように言ってください。さもないと、ぼくが薪を取りに出ている間に、泥棒がこの家に侵入するかもしれませんから」

母親がほかの女の家に行ったとき、子供は走って家に戻り、すべてを隠した。そして砕けた壺の破片の上で、砂と穀粒を混ぜてしまった。それから子供は、薪を探しに丘へ行った。

背負い籠いっぱいに薪を載せて、子供は家に戻り、母親を呼んだ。そして家を離れたことを非難した。というのも、あきらかに泥棒が侵入していたからだった。

「何か食べさせて!」と子供はねだった。

しかし何も残っていなかったので、子供は、その手の上で、砂と混じった穀粒を炒ろうとした。なぜなら手以外に容器がなかったからだ。母親は子供の手のかわりに自分の手を使うことを提案した。彼女は手にいっぱいの赤く熱した穀粒を握りしめた。

しかし子供は、父親がだれなのか言うまで、離すことを許さなかった。手には大きな火傷ができてしまった。しかし子供がフー、ハーと息をふきかけてやさしく撫でると、全身のライ病の痕跡ごと消えたのである。