8位 遊女投げ込み寺の怨念パワー   宮本神酒男

遊女らの怒りや悲しみや苦しみを慰撫する新吉原総霊塔

 浄閑寺(三ノ輪、1655年創建)の外観がモダンで瀟洒であるため、門から中庭に入り、内壁に沿って歩くまで、地蔵や古い石碑だらけであることに気づかないかもしれません。それから墓所に入りますと、一般の墓石に混じって、吉原の遊女らの共同墓や山谷(さんや)の労働者の霊を鎮めるお地蔵さんがずらりと並んでいることに驚かされることになります。

 1855年、安政の大地震によって吉原にも大量の犠牲者が出てしまいました。このとき多くの遊女がこの三ノ輪の浄閑寺に投げ込まれたため、「投げ込み寺」と呼ばれるようになりました。しかし安政大地震や関東大震災のときだけでなく、足抜けしようとしり、密通したりした遊女も処刑されたあと、裸にされ、むしろにくるまれてこの寺に文字通り投げ込まれました。

一般の墓所スペース 

 霊能者なら、新吉原総霊塔の前に立ったとき、そこから発せられる強烈な怨念パワーによって、脳内の理性回路が破壊されてしまうかもしれません。ここでは、世の中の理不尽さや愛憎劇、自然災害に巻き込まれた不運などにたいする遊女たちの恨み節が聞こえてくるのです。

山谷の労働者のために建てられたひまわり地蔵尊 

 また新吉原総霊塔に向かい合うかのように、多数のお地蔵さんに囲まれたひまわり地蔵尊があります。これは山谷の日雇い労働者の死者の魂を慰めるために、1982年に建てられた地蔵尊です。ドヤ街としての役目を終え、日雇い労働者の姿もまれになりましたが、高度経済成長期には山谷は労働者であふれ、不幸な最期を遂げることも珍しくはなかったのです。吉原の遊女と山谷の日雇い労働者とでは時間的にズレがありますが、両者とも本人の意図に反して不遇の境遇にあったことでは共通していました。

 しかしもちろん、浄閑寺に来れば祟られたり、呪われたりするわけではありません。これらの不幸な魂を供養し、慰撫することによって彼らの分まで力強く生きていけるのなら、これほどありがたいこともありません。
ひまわり地蔵尊を囲むお地蔵さんたち 



⇒ NEZT(第7位)