延命地蔵と子育て地蔵 

 南千住のJR貨車区や日本運輸の倉庫があるエリアに接して小さな地蔵尊の祠があります。それは延命地蔵と呼ばれていて、その経緯が石碑に書かれているのですが、字が擦り減っていて、内容までは把握していませんでした。

あらためて読むと、「明治三十年四月一日開駅以来過って船渠墜死せられる人方の菩提を弔い冥福を祈り併せて爾今以後一切の災禍を根絶せんか為ここに大地の宝蔵延命地蔵菩薩を建立して一唱一礼功徳現示せんことを翼う 南無延命地蔵尊 昭和九年七月」と書いてありました。

 船渠という文字がかすれて読めなかったのです。これはドックという意味。貨物駅がオープンして以来、荷役作業をしているときに墜落して亡くなる人が多かったのでしょう。昭和9年というと1934年。軍靴の足音がおおきくなりつつある時代、どれだけの人が事故にあってしまったのでしょうか。南無南無……。
 *最近よく読むようになった吉川英治のWikiを見ていると(『三国志』は20年以上前に読みました)、彼は18歳のとき横浜ドックの船具工になったが、船底に転落し重傷を負ったと書かれています。造船業が下火になった今日ではわかりにくいですが、ドックでの転落事故は日常的に起きていたということです。(2014/02/12) 

 またすぐ近くに見慣れた地蔵があります。いままでも写真を撮ったことがあるのですが、手元で見つけることができません。以前はいつも赤い毛糸の帽子や涎かけが着せられていたのに、いまは人から見捨てられたかのようです。石にはいろいろな文字も見えるので、解析できたらまた報告しましょう。