ケサル王物語の概要 

 物語は、アヴァローキテーシュヴァラ(観音)、あるいはほかの高位の神によって、チベットのリンの国が四方を敵によって、あるいは4人の悪魔の王によって囲まれていることが発見されることからはじまる。

 それにつづいて、ホメロスの叙事詩のなかでゼウスが神々を招集し地上のことについて話し合うように、天界でも神々の集会が開かれる。この集会で、神聖なる者が人間として転生し、リンの軍隊を率いて四魔王と戦うということが決定される。

 ひとりの偉大なボーディサットヴァが選ばれた。しかし彼は、軍隊の将軍となってともに戦う神の同志が選ばれるまでは、人間の姿を取ることを拒絶する。彼は各ブッダや有名なグル、そしてヒマラヤの神々などの協力を得て、あらかじめ安全を確保したかったのである。

 たとえばハヤグリーヴァとして知られる馬頭のタントラ仏は、英雄の将来の愛馬として転生することを約束した。

そしてチベットの不滅のグルであり守護神であるパドマサンバヴァは、ケサルに適切な母(母胎)と、彼の家族のために仏法に忠実な恐れを知らない戦士の部族を見つけなければならなかった。

 山神は、将来のケサルと彼の部下のために、魔法の甲冑と武器を鋳造しなければならなかった。単純に叔母神(マネネ)と呼ばれる土着の女神は、つねにケサルの前に現れ、親身なアドバイスを贈った。

 ボーディサットヴァが前もって準備したリストは、北東チベットの文化と宗教と、高山の遊牧民部落の生活についてさまざまなことを教えてくれる。

 物語にはつづいて、リンの人々とリンのアニミズム的な神々がどのように降臨を受け入れたかに焦点が移る。ケサルの誕生それ自体が物語のまるごと一巻を成している。多くの点で聖なる英雄の誕生物語は西欧にもなじみ深いものだ。

 実際、著名な仏教高僧の誕生譚はどれも似たり寄ったりである。占い師による来たる誕生の予言、母の特異な地位、彼女の特別な懐妊の夢、誕生のときの奇跡的なしるし、母の部族の特別な投資、救世主が部族に現れたことの喜び、神秘的な化身に対する期待といったことは、どの誕生の話にも見られるものだ。

 誕生のあとはしばらく、子供時代や少年時代のケサルの冒険が、好きな長さに、柔軟に描かれる。この部分は、インドのプラーナ文献の子供のクリシュナの物語を思い起こさせる。この若いトリックスターも扮装した神である。あきらかにケサル王物語はインドの物語の影響を受けている。とくにラーマーヤナの影響は大きい。

 しかしながら、ケサルの青年時代篇の物語のもととなったのは、おそらく中央アジアのテュルク系の遊牧民か部族の戦士の物語である。たとえば、若いケサルはボーディサットヴァから精神的な、あるいは魔術的なパワーをもらう。

しかし同時に彼はシャーマン的な魔術師としての能力も持っていた。つまりパワーのある物体を使う能力、他のシャーマンの魔術的な攻撃をかわす法、だますために姿形を変える能力、そしてシャーマン式エネルギー・システムを会得することなどである。

 このシャーマン式エネルギー・システムは、プラーナ、ナーディ、ビンドゥなどを中核とするインド・ヨーガ式とは異なっていた。

 生まれてすぐ、赤ん坊のケサルは部族の敵を倒す仕事に着手した。たとえば、子宮から出る間もなく、彼は弓矢でもって悪魔を殺した。悪魔はマーモットのような小動物の姿をしていて、その穴とトンネルは遊牧民の羊飼いに疫病をもたらした。

 仏教の神が最初にしたことが、外に出て一匹の動物を殺すことだったとは、奇妙なことだった。実際は一匹どころか、たくさんだった。しかし部族の守護者であるシャーマンと考えれば、その最初のキャリアにふさわしい行為ともいえた。

この点に関して言えば、チョギャム・トゥルンパの思想にケサルがもたらした影響について考えるとき、もっと詳しく見ていこう。しかしいま現在は、ケサル王物語のあらすじをまとめる作業をつづけたい。

 子供時代のわれらの英雄は、実際ケサルという名で呼ばれていなかった。ケサルという高貴な名はビザンチン帝国のカエサル(シーザー)から派生したものである。それはモンゴル人間でケサル(Kesar)と呼ばれ、のちにチベットに入ってゲサル(Gesar)と変化したのである。

 子供時代のあだ名はジョルだった。実際、ジョルは非行少年といってもよかった。しかも彼は奇形の身体の持ち主だった。彼の服は獣の生皮でできていた。彼は発育が遅れ、汚くて、粗野だった。彼は遊牧民の理想の姿である「若き虎」「勇敢な息子」、すなわち優雅で、はつらつとして、強く、思いやりがあり、清潔に生活する若者とは対極の姿をしていた。遊牧民が理想とする若者は強壮で、ハンサムで、勇気があり、独立心があり、一分のすきもなく武装していた。

 一方のジョルは発育遅れの少年で、醜く、身なりは貧しく、牧童が持つパチンコ(石投げ器)以外の武器を持っていなかった。彼は人をあざむき、年長者に反抗的で、下品ないたずらばかりしていた。

 ジョルはたしかに連続殺人者(シリアル・キラー)を装い、チベット人商人を誘拐し、彼らを殺害したかのようだった。彼は生まれたムクポ氏族から追放され、母親とともに、マ地方の人のいない原野を彼らだけで生きのびねばならなまった。

 彼はそこで山神や地方の精霊と触れ合いながら、政治や社会的義務に煩わされることなく、ひそかに育っていった。彼が知るこの世の人間は母親だけだった。彼の親戚や友人は、彼が醜く、社会から追放されていたので、関わりを持とうとはしなかった。

 人類学的見地からみると、若者の時代に神々、あるいは悪魔の、または地方の、先祖の精霊の見えない世界を通ってシャーマンの旅を行い、完成したシャーマンとなった姿を示している。

 リンの際だった登場人物の観点から見た場合、すなわちユリシーズ(オデュッセイア)である大臣のデンマ、ネストール王であるチプン、ヘーレーンであるドゥクモ、アキレウス(アキレス)であるギャツァ・シェーカルから見ると、ジョル(ケサル)はいわば、悟ったグルである。グルが姿を変え、本性を隠すのは、仏性のしるしである。

 部族の観点から見た場合、ジョルはつねに疑惑の対象である。彼の母は竜王の娘であると主張している。しかし彼女は拉致されてムクポ氏族のリーダーの第二夫人とされた身である。あやしい出自の、あやしい血統の女なのだ。ジョルは黒魔術を使う厄介者の若者のように見える。ほとんど悪魔といってもいい。

 仏教徒が口承で伝えるケサル王物語は、こういったものとは異なっている。ケサルは超現実と比較し、この世界を、夢のように実体のないたんなる現象とみなしているので、すべてに対して、親戚や近しい友人に対してさえも、覚醒している神々として、皮肉と謎めいた、奇妙なユーモアをこめた態度でのぞんでいる。その神々は至福のなかにいて、有情の者のことを心配するのであり、その有情は苦悩のなかにいるのである。片や問題にたいして憐みの情を抱き、片や大げさなジョークを飛ばす。

 このようにさまざまな観点が存在するのだ。

 ケサル王物語の第3巻で、ジョルがモンスター少年から輝かしいダルマ王に変身する瞬間がやってくる。リンでもっとも美しい乙女が競馬の「報償」である。レースの勝者は彼女と結婚することができ、またリン国の統治者となるのだ。

 このモティーフは、テュルク系の叙事詩にも見られる。そのなかで英雄はレスリング、死を賭けたアーチェリー、競馬の3つのコンテストに勝たなければならない。

 ケサルは競馬に参加し、勝利を手にしたとき、まばゆいばかりの若くて美しい王子に変身する。彼とともに降臨することを約束した超常的な存在もみな彼のまわりに集まり、それからリンの部落の人々全員でマギャル・ポムラ山の山腹の窪みへと移動する。そこには神々やブッダたちによって置かれた魔法のような兵器があった。

 大きな祝祭が催され、粗野だが正直で、忠実なリンの人々の「目覚めた社会」へと向かう旅がはじまった。

 このように語られる物語の最初の3巻は、超宗派運動の偉大なる哲学者ジュ・ミパム自身が編纂した、現在もっとも人気のある全9巻のバージョンである。

 ミパム版の中核となるエピソードは、リンが4つの方角の大国から、すなわち四方の4つの敵から攻撃される話である。『ラーマーヤナ』と『イーリアス』を思い起こさせるシーンでは、ケサルの愛妃、ドゥクモが拉致される。それぞれの悪魔との戦いは終わることがない。それぞれの勝利はリン国の政治地理学的な拡張を意味し、敗戦国からユニークな文化的宝物や科学的な成果を得ることになった。

 これらの宝物はリンの財産となり、少しずつリンを偉大な、洗練された帝国へと押し上げていった。しかし、ここで留意しなければならないのは、ケサルとリンの人々によって作られる国は、農業大国としての中国やローマ帝国とは異なっていることだ。それはモンゴル人が建てた帝国のように、世界を征服する遊牧民連合体を徐々に作っていこうという話なのである。

 帝国と遊牧民連合体の違いは、ケサル王物語の政治理論を理解する上に置いて鍵となるだろう。

 9巻目、すなわち最後の巻は、「地獄のケサル、大いなる完全」と呼ばれる。ケサルは地獄をかき乱し、亡者どもにチベット仏教の瞑想修行における最高のステージにあるゾクチェンを教える。

 彼らはそうして解放され、サムサーラの輪(輪廻)を脱するのである。

 ケサルもまた死に、彼の意識はシャンバラ国へと移行する。そこで彼は仏教版の黙示録を待ちながら、今日まで滞在しているのだ。

 この最後の巻がケサル王物語全体のなかで占める場所は、インドの『マハーバーラタ』において「バガヴァッド・ギータ」が占める場所とおなじではないかと読者は言うかもしれない。それは戦争叙事詩というよりも、より哲学的で考えさせる内容だからだ。

 ケサル王物語には多くのバージョンがある。中国、チベットの学者たちが収集したものは、刊行されたものだけでも100巻を超える。録音された語り手のパフォーマンスはその何倍にも及ぶのだ。

 『マハーバーラタ』のようにそれは膨大で、手に負えないほどの量を誇る。われわれはトゥルンパ・リンポチェがどの語り手のパフォーマンスを聞いたのか、正確にはわからない。しかし彼が見た書写されたバージョンは、ジュ・ミパム・ギャツォが編纂したものであることはたしかである。トゥルンパは弟子たちに翻訳させ、ミパムが書いたケサルの儀礼歌を唱和させた。

 これから見るように、ミパムは物語のこのバージョンにおいて洗練された、哲学的な内容を創り出した。トゥルンパ・リンポチェは後年、米国や欧州でこの内容をもとに作ったプログラムを広めることになる。

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