ラクシュミーの神話中の物語 宮本神酒男訳
トゥルシの木になったラクシュミー
ずっとずっと昔、ダクシャ・プラジャパティの後裔であるクシャドヴァジュは、ラクシュミーを娘とするため、厳しい苦行を敢行しました。そしてその願いはかない、女神は彼の娘として生まれたのです。
生まれてくるときに彼女は尊いヴェーダの呪文を唱えたので、ヴェーダヴァティと言う名で呼ばれるようになりました。子供のときから彼女はヴィシュヌにたいして信心深い少女でした。成長すると、ヴィシュヌの妻となるべく苦行を重ねました。
静かな森の中で祭祀活動をしていると、世捨て人の姿をしたラヴァンがやってきました。森の中で苦行を行う隠者を大切にするのは習慣だったので、彼女は喜んで訪問客に花や果物を捧げました。訪問客のために気を配る美しい少女を見て、ラヴァンは心惹かれ、肉体関係を持ちたいと思いました。
少女は拒絶しようとしましたが、彼は圧倒的な力で彼女を征服しようとしました。どうしようもなかった彼女はラヴァンに呪いをかけました。
「あなたはかよわく抵抗できない女を力ずくでものにしようとしています。ですから女によってあなたが最期を迎えるように呪いをかけます」
そう言うと彼女は火が燃えさかる穴に飛び込みました。何度もシータとして生まれ変わり、ラヴァンに死と没落をもたらしたのは、ヴェーダヴァティだったのです。
つぎの転生で、彼女はダルマドワジ王の娘で彼の妻でもあるマダヴィとして生まれました。この美しい娘はトゥルシと呼ばれました。前世の記憶があったので彼女はヴィシュヌを崇拝しました。そして賢者ナラドの教えしたがって、ヴィシュヌの妻となるためにとても厳しい修行生活を送りました。しかしナラドはまずブラフマー神の祝福を受けるべきだとアドバイスをしました。彼女の願いを知ったブラフマー神が彼女の前にあらわれて宣言しました。
「愛すべき少女よ! シュリー・ラーダー・ジの呪いによって、クリシュナ神の慈愛の一部から生まれたゴープ(牛飼い)のスダーマーは、シャンカチューダ王としてこの世に生を受けた。おまえの数ある人生のひとつで、おまえたちは深く愛し合ったことがあるのだ。しかし社会のタブーを犯さなければ、おまえたちは二度と会うことはできないのだ。満たされない情熱的な欲望を除き、ふたたび敬虔になるために、この世でははじめにシャンカチューダ王と結婚することが運命づけられている。それから過ちをとがめられたおまえは、女神サラスワティによって木に変えられるだろう。そのときにのみおまえはナーラーヤンの妻となることができるのだ」
ブラフマー神からこのメッセージを受け取り、トゥルシはヴィシュヌと会うことが運命づけられた日の来るのを待ちました。ある日、じつは予定通りなのですが、森の中でシャンカチューダ王と出会いました。この申し分にない環境のなかで、はじめて相手を見たとき、ふたりは互いに強く惹かれあいました。するとブラフマー神がすぐにその場に現れ、ヴェーダの儀礼をおこなって結婚の契りを結ぶように言ったのです。トゥルシはシャンカチューダ王とともに王城へ行き、そこで幸せに暮らしました。
幸運に恵まれた妻のおかげで、王はとんとん拍子で国力を高めることができました。小さな王国は大帝国になったのです。まもなく彼の王国は神々の国や悪魔の国、ガンダルヴァの国、キンナル(緊那羅)の国、その他すべての民族に脅威を与えるようになりました。彼らがブラフマー神やシヴァ神のもとに駆けつけると、神々は問題調停者として名高いヴィシュヌ神に会うようすすめました。ヴィシュヌ神は彼らの懇願を辛抱強く聞いてやり、問題解決の道筋を示してあげました。
ヴィシュヌ神が示したプラン通りに、シャンカル神がプシュパダンタを使者としてシャンカチューダ王のもとに派遣し、限界を超えて版図を拡張しないよう警告しました。しかしこうした警告にも耳を貸さず、王は神々の領域にまで攻め込んでいったのです。シヴァ神は軍隊やスカンダ率いる精鋭軍に準備を命じました。恐ろしげなゴブリン軍を率いるヴィールバドラは戦闘開始の合図を待ちわびました。
シャンカチューダは神々の怒りに恐怖を覚えました。ある日王は彼と神々との間の誤解を解こうとしました。
「わしは本当に恐い。神々はわしなど簡単にひねりつぶすことができるだろう」
「私がそばにいるかぎり、何も起こらないでしょう。献身的で貞節な妻であるかぎり、お守りする力は無限大なのです。妻が貞節で正直者である夫には、何も悪いことは起きません。心配はしないでください。できるだけ人生を楽しみましょう」
そう言ってトゥルシはシャンカチューダを寝室に連れて行きました。
翌朝、シヴァに率いられた軍隊が国境に到達したと聞いたとき、シャンカチューダもまた軍の準備を完了させていたのです。そして臆することなく神々の軍を破るべく自軍を国境に進めました。妻も夫の精神力を信じていました。
ついに両軍は激突し、戦闘の火蓋は切られました。それはあまりに激しく、百年は決着しないのではないかと思われたほどです。神々はシャンカチューダ王の比類のない剛勇ぶりを見て、当惑しました。シヴァやスカンダでさえ王を打ち破ることができなかったのです。シャンカチューダ王の剛勇さを見た神々はあわててヴィシュヌのもとにやってきました。ヴィシュヌはアドバイスを与えました。
「心配することはない、神々よ。王の剛勇さは妻の貞淑なふるまいによってもたらされた無限のパワーなのだ」
そしてシヴァ神はつづけて言います。「妻の夫への貞節ぶりをかき乱す方法はないものか? もしうまくいかなかったら、悪魔の力が神々の領域にまで及んだことになってしまうぞ。神々よ、何か手を打たねばなるまい」
決着をつけるときが近づいていることを理解したヴィシュヌは、トゥルシに会い、願いをかなえてやることを考えました。ヴィシュヌは神々に、まもなくすると暴君の悪魔を騙すことになるだろうと発表しました。
翌日、戦闘が激しさを増すなか、シャンカチューダ王の前に年老いたバラモン僧がやってきて、自分の願いを王によって何でもかなえさせてほしいと頼みました。戦闘中で興奮していた王は「タターストゥ!(そうであれ)」と叫んでしまいました。しかし目の前の老人が何を望んでいるかは知りませんでした。
じつはこの老バラモン僧はヴィシュヌだったのです。何でも願いがかなうと聞いた王は、果樹園の修理を頼みました。一方トゥルシは忙しく信仰活動をしていました。そのとき突然夫がひとりで現れたのでびっくりしました。その表情には、神々と戦っている緊張のあとが感じられませんでした。
それからまもなくして、勝利を告げるラッパと法螺貝の音が鳴り響きました。神々の軍がシャンカチューダ軍の優越性を認め、撤退したことをトゥルシは聞きました。この知らせを聞いたトゥルシは歓喜し、夫の大きく開いた腕の中に飛び込みました。
しかし彼女が夫だと思った者は、じつはヴィシュヌでした。夫ではなかったので、この瞬間、妻の貞節は破れてしまったのです。このとき突然、シヴァ軍と戦っていた夫のシャンカチューダ王は弱くなり、シヴァの三叉鉾によって首を落とされてしまいました。
ヴィシュヌにだまされたことを知ったトゥルシは(トゥルシはラクシュミーの生まれ変わりでした)ひどいショックを受けました。彼女はヴィシュヌに呪いをかけようとしました。
「神よ、あなたはどうしてそんな非情なことをなさるのですか? 私はあなたに呪いをかけて、つぎの時代になったら、あなたの妻が悪魔にさらわれるようにして、苦しみを与えてしまいます」
ヴィシュヌは自身の身分を明らかにしました。「おお、女神よ。私はヴィシュヌである。あなたは私の妻になりたいと言ったではないか。あなたに悪いことをしてしまったが、これも神の摂理である。私はおまえと永遠にともにあるであろう」
「ああ、神様、そういうことでしたのね」とトゥルシ、ことヴリンダは言いました。「でもあなたは神々に勝利をもたらすため、心を固くし、私の貞節心を汚してしまいました。私はあなたに呪いをかけて、石にしてしまいます」
こうして彼女自身は変身して小さなバジルの木(トゥルシの木)になり、ヴィシュヌ神は彼女の呪いによってシャリグラムと呼ばれる小さな石になり、トゥルシの木の近くに残ることになったのです。ブラフマー神がすぐに現れ、彼らの結婚を厳かに認め、ふたりが永遠にいっしょにいられるよう取り計らいました。
ヴリンダ、あるいはトゥルシの姿のラクシュミーは植物の姿を取り、ヴィシュヌは石の姿を取ったのです。このとき以来ふたりは離れ離れになることはありませんでした。