レムリアの記憶 リチャード・シェイヴァー 宮本神酒男編訳
第2章 芸術から胎生学まで
サテュロス(ギリシャ神話中の半神半獣)の足をもつ少女の名前と住所を記したディスクを懐にしまったときから、私は情熱的な芸術家ではなくなった。つまり彼女が知っていることを知りたくなった。彼女が学んでいることを学びたくなったのだ。
アールが少女の名前だった。少女にふさわしい、簡潔で聞き心地のいい名前だ。それにしっぽを振る少女の姿も名前同様忘れ難かった。
彼女にいざなわれて私は医学校のなかにはいり、彼女の教師に紹介された。私はすぐにクラスの生徒になった。私はすでに自分が授業に出席していることに気がついた。
クラスの主役は髭を生やし、角を持ったタイタン人の教師だった。彼はテクニコン・トレーニング法の三段論法によって教えていた。教師が話せば話すほど、私の知識は増し、人間力がパワーアップされていった。
とまどう要因がひとつあった。シビュラ(巫女)のなかに奇妙な、深く埋もれた、秘密の恐怖を私が感じ取ったように、この偉大なタイタン人の心の中に継続的に存在する不快な何かを認めたのだ。ここティーン・シティでは恐怖は一種のにおいだった。私は理解が悪く、教師が教えたことの一部は吸収できなかった。私がどれだけ吸収しているかどうか教師は気にしていた。私を見る目が不満そうなときがあったのだ。私は全神経を集中してもう一度教師が教える内容に耳を傾けた。
「宇宙に大きな冷たい球が掛かっています。かつてそれは力強い、生きた惑星でした。それは雲に覆われ、一度も見たことのない死んだ太陽のまわりを重々しく揺れながら動いています。それから太陽は消え、死に至らしめるテル(レムリア語で寒さ)が表面を硬直させ、生命は輝かしい死を迎えます。
濃密な惑星の森は霧を絞り出しながら、ずいぶん長い時間をかけて、はかりしれないほどの深い炭層を形成してきました――惑星の石質の中核まで。火はこの森に触れることがありませんでした。というのも深い霧が火をはねつけたからです。
宇宙におけるもっとも近い隣人、地球よりずっと小さい金星は、このような星なのです。金星で起きたことは、知られざる惑星でも起きるでしょう。
宇宙に掛かったこの死んだ球体は潜在的にはたいへん大きな熱を持っています。というのも、とてつもなく厚い外殻はほとんど純粋な炭素でできているからです。
このようにかつては太陽でした。あなたの太陽であり、私の太陽でした。ムーの太陽は娘なのです。
それから宇宙のどこかの太陽からこの冷たい球体に向かって、輝く隕石が燃えながら激しい勢いで飛んできました。それは炭層に深く突っ込んだのです。炎はまたたくまに広がりました。それは永久的な崩壊の炎であり、一時的な激動の炎ではありませんでした。そしてわれわれの太陽が命を与える炎のなかに生まれたのです。
炭素の炎はクリーンな炎であり、ラジウムやチタン、ウラン、ポロニウムといった重金属は含まれていません。太陽のなかの崩壊による発散は老齢や死をもたらします。というのも微細な粒子は蓄積することがなく、永遠の炎を体内に運び、時間をかけて殺すからです。
太陽の熱はとてもクリーンです。生命はその娘に夢中になって飛び込みます。ムーの表面ですね、そこは。この生命は死にませんでした。食べられたときのみ死はやってくるのです。そのとき生命は老いに悩むことはありませんでした。なぜなら、原因というものがなかったからです」
教師は一呼吸おいた。私は学ぶべきことがいかに多いか痛感した。生き生きとした興味深い何かが私の心の奥にまで達したかのようだった。もっとも私の好奇心をくすぐったのは、教師がときおり発する「そのとき」だった。私は質問が口をついて出てくるのを抑えることができなかった。
「なぜあなたは、そのとき生命は老いに悩むことはなかった、なぜなら原因というものがなかったから、とおっしゃるのですか。いま、原因というものはあるのですか」
あたかもタイタン人の目のなかの隠された恐怖の下にかがり火を置き、突然衆人のもとにさらしたかのようだった。しかしすぐに鎮圧されてしまった。クラス中のすべての生徒が驚いて私のほうを見た。どうやら私は一線を越えてしまったようだった。しかしアールの目には私が肯定の光を認めたように見えたようだ。私は萎えそうな勇気を何とか持ちこたえた。
教師は私を見た。私は彼の目に思いやりの心を見た。
「ミュータン・マイオン、あなたは来たばかりなんだ。だからアトラン人が恵み深い太陽のもとの新世界に移民するプロジェクトについて聞いたことがなかったとしても不思議ではない。
若きロウよ、ここには原因があるようだ」
教師は私の問いに答えながらも、それは私だけへの答えではなかった。それは講義の一環だった。
「私は炭素の炎がクリーンな炎だといいました。これによって炭素の粒子が崩壊するとき体に吸収され、生命の成長を促進するイクスド(exd)と呼ばれるエネルギーの灰を生み出すのです。しかしながらこの灰を生み出すのは炭素だけではありません。先に述べた重金属をのぞくすべての元素もそうなのです。これらの重金属は永遠の炎のなかで崩壊をはじめます。またわれわれは年齢の原因に当たることになります。
ラジウムの原子とその他放射性金属は毒性があり、細胞組織の老化を引き起こします。これらの分子はすべての老いた太陽によって、部分的に、あるいはすべて燃やされ、漏れ出します。そして崩壊し、太陽の核の重金属に届き、とらえるのです。われわれの太陽は毒性のある大量の分子を出しはじめます。それらは継続的な洪水となってムーに落ちていきます。そして生きている細胞組織に入り、放射物質に汚染された病気をうつします。それをわれわれは老齢と呼びます。
何年もの間、何世紀もの間、これら毒性のあるものは惑星の土壌に蓄積しつづけました。そして雨によってそれらは洗われ、その汚染された水はムーにたまっていったのです。これらの水は飲まれ、毒性のものが体に蓄積されていきました。それはすべての成長をさまたげました。さらに悪いことにはイクスドを効果的に使用することができなくなりました。それはすべての統合されたものの食べ物だったのです。
もちろんテクニコンたちは老齢化の毒の蓄積からわれわれを守ろうとしました。しかしこれらの努力がすべて功を奏したというわけではありませんでした。年をとりつつある、死につつある太陽のまわりをまわる世界にわれわれが住んでいることがあきらかになりました。死の影にわれわれは住んでいるのです。年を重ねるたびに、つまり最終的に死がわれわれを倒すまでその影は巨大化していくのです。もし生き残ることができたとしても、生活をつづけることは困難でしょう。何世紀も、何世紀も、失われていくのです。究極的に、成熟の第一歩さえ得ることができないのです」
私はあえてもうひとつの質問をぶつけてみた。
「テクニコンたちはどういう仕掛けを考えたのでしょうか」
「とてもシンプルです。複数回浄化した水をわれわれは飲み、それを使って風呂に入るのです。浄化されない水は遠心分離機を使います。それによって老齢化の毒性を除去するのです。ベン油ジェネレーターはベン油エネルギーの磁気フィールドをつくります。空気遠心分離機は空気中から毒性を除去します。でも私が強調したいのは、すべての老齢化の毒性から身を守ることはできないということです。わずかずつそれは水の中に沈殿していくように、われわれの体に蓄積されるのです。もしわれわれがムーにいつづけるなら、われわれは年を取り、いずれ死んでしまうでしょう」
私は感服して教師の目を真正面から見つめた。そこにある種の輝きを見た。彼は視線を私に返した。
「あなたが恐れているのは年齢の毒性ではないようですね」私は問いただした。
彼はだまって私を見た。すると力の洪水が私の中を流れるように感じた。それは私を鼓舞し、守り、警告しているようだった。シビュラから受け取ったのとおなじような感覚だった。
「生徒諸君、こちらに来たまえ」紳士然として彼は言った。「胎児ラボラトリーに行くとしよう」
ラボラトリーに入る前にわれわれは栄養薬を受け取った。それは生徒たちが受け入れやすくなるよう、また、よって教師が研究しやすくなるよう、タイタン人によって処方されたものである。われわれはこの水薬を定期的に服用するようにと言われた。 はじめての服用のせいか、わが頭は湧き出る新しいアイデアと奇妙なイメージではちきれそうになった。想像を超えて私はうきうきした。わが熱狂はとどまることを知らなかった。私はアールの手を取り、ラボラトリーのほうへ行進していった。
このラボラトリーほど驚くべきすばらしい場所を見たことがなかった。私はあたかも巨人族の宝物の屋敷に入れてもらったかのように感じた。ここには知識を越えた、マインドパワーを作り出すところなのだ。私は好き勝手にできる自由を与えられた。すべてのものにアクセスすることができた。自由に学び、そして望むなら将来の生活や仕事のなかで知識を使うことが許された。
ラボラトリーは奇妙なマシーンでいっぱいだった。それらが何をするのか私は推量することしかできなかった。しかしこれらのマシーンでさえこの巨大なラボラトリーのなかでは、真の科学の脇役にすぎなかった。ここはたくさんの人間の胎児を化学作用によって、あるいは電子制御によって栄養を与え、成長させるために設計されていた。封印されたボトルのなかの胎児は合成され複製された血液のなかで動き、育っていた。
アイコル、すなわち神々の血液と呼ばれる生命液を供給するヘソの緒のような管に胎児たちはつながれていた。成長した胎児は蹴ったりぐいと引いたりしていたが、これは健康のしるしでもあった。タイタン人のレクチャーのテーマはこの血液だった。
彼は胎児とおとなの両方においてこの液体を保持し、準備するようにと言った。困難でかつ重要なのは(とくに私にたいして注意を促しながらことばで強調するが)老化を引き起こす放射能の毒のわずかな痕跡を検知し、除こうとするプロセスだ。
私は研究し、学んだ! 惑星ムーに健康を与え、他の種族よりもわれわれに、老化をもたらす太陽のもとで暮らすようにさせるプロセスがあった。またわれわれに多産を与える生命の方法があった。つまりアトランの種で何千世紀もの間、宇宙に人口を増やすということである。こういったことのすべてを私は知りたかった。
タイタン人老大師にアトラン人の生命の基本的過程について吹きこまれた私は、生命の真の創造に熱狂した。その成長には無限の可能性があった。どんな絵描きだって描くことができないほど想像を絶していた。はじめに統合されたものが解体され、超瞬時にデリケートな操作によって生まれるものがある。これらを混交し、統合されたものがエレメントの原子となる。これらの原子を混ぜ合わせることで物質の分子が生まれる。これらはアイコル、すなわち合成血液の精製に使用されるのである。こうした段取りはまさに芸術的手腕といえる。しかしながらタイタン人の天才が考える子供のようにシンプルに作られるのである。
もう一度タイタン人はムーからの移住について発言した。そしてその話題を講演に織り込んだ。そのことを繰り返し発言する動機には、二重の意味が隠れているように私には思えた。二重の意味というのは「恐ろしいこと」と精神的に結びつけることである。すなわち何かほかのことであり、話すべきでないほかのことである。秘密にしなければならない何かの恐怖があるという事実のようである。
われわれの(彼が言うところの)年老いた太陽はますます多くの太陽の種子を放出している。それらは小さいが濃密で、活発な分解した分子だった。テクニコンにとって、アトラン人に若さを保ちつづけさせるのは非常にむつかしいことがわかった。私はコーディネーター役とロディテ(生活パターンをシンクロさせる係)が新たに生まれた太陽へ移住する計画を持っていること、また船の準備を進めていることを知った。生命の条件を設定し、エネルギー摂取をしたため、エクスド(宇宙空間を満たす灰のようなもの、エーテル)は限界いっぱいだった。統合はさらに速いペースで進んだ。有害エネルギーを出すロボット化や人間に有害なエラーをもたらす感染はここでは起きていなかった。
胎児ラボラトリーの講演が終了したあと、われわれは列をなして教室に戻った。そこでタイタン人はテレイェスを制御するスイッチをぽんと押した。このテレイェスはホーム・テレセットにコースを提供している。さて、我々はまだ退出を許されなかった。私は他の生徒たちの顔に困惑の表情を読み取った。これは通常のスケジュールとは異なっていたということだろう。
タイタン人はしばらくじっと我々の顔を見つめた。とくに私の顔を。そして彼は話し始めた。
「今日、このクラスで物事が語られ、見られ、論じられた。クラスではきみたちが取るためにやってきたコースを直接扱わなかったけどね。きみだ、ミュータン・マイオン。もっともせっかちだったのは」私は顔を赤らめた。彼は急いで付け加えた。「いや、ミュータン。きみが先を急ぎすぎているという意味で言ったんじゃない。ぼくの怒りよりももっと大きな危険にきみが身をさらしているという意味なんだ」。怒りという言葉を口にしたとき彼の目がきらりと光った。しかし実際はそれほど危険でないことを私は知っていた。「ぼくが言いたいのは脅威によって恐怖が生まれたということなんだ。きみはぼくのなかにこの恐怖を見たんだ。おそらくティーン・シティのほかの場所でほかのタイタン人のなかにこれを感じ取ったのだろう。いや、たしかにそうだ。だからこそきみはぼくに異議を唱えるんだろう。
そう、ぼくのなかに恐怖はあった、そして今もある。われわれみなが秘密にしてきたのは恐怖だ。というのも恐怖を示すわれわれはまたそれが知識でないかという疑念も示しているからだ。それは死刑執行令状にも等しい。われわれはスパイ光線を浴びている。ふるいにかけられる瞬間、それはわれわれの知識を探し出すだろう。そして進行していることへの効果的な対抗措置を講じる前にわれわれを破壊するだろう」
「進行していることって何ですか」私の息づかいが荒くなった。ますます好奇心がそそられた。
タイタン人は大きく息を吸った。「アトラン人のいくつかのグループは移民プロジェクトに反対しています。また最近数人の重要人物が消えたことはこの話に色を添えています。もちろん一部のユニットだけがどんなことでもできることは知っています。それは準アトラン人と中央ムー人の鍵となるロディテ(シンクロさせる係)です。なかには有害なアイオーンが流れる厳しいフラッシュバックに見舞われた者たちがいます。そのため彼らの意志は有害な催眠状態に置かれているのです。どのロディテの地域がチェックされずにそんな腐敗した状態にあるのでしょうか。ぼくには理解できない。しかしチェックされるまでわれわれは危険な状態にあるのです。このことだけはたしかに真実です。
だからあなたがたはかすかに何かがうまくいっていないことに気づいています。そのことに気づくのはあなたがたの権利です。だから不用意な言葉があなたがたを傷つけるということはないかもしれません。われわれはこのことと戦わなければならないのです。われわれみなが戦うのです。あなたがたは自分自身が移民のための道を開く情報を探しにムーの規律ある生活に替わることを考えているかもしれません。それが終わるまで恐怖にさいなまれます。それはぼくにとって新しいことではないのだけど、あなたがたにとっては今までにないことでしょう。どうぞ行ってください」
彼の巨大な姿を見ながら私は教室をあとにした。彼は心の底から楽しんでいるようだった。その表情からは、われわれを信じ込ませようとしている以上に恐怖の連続であることが読み取れた。内なる理性も同様に感じていた。恐怖をタイタン人の心に、またすべてのムーと宇宙の超越的な存在の心にもたらしたのは悪意だった。