シャンシュン国 

 古代の歴史的文献に引用されるシャンシュン王国は3つの地域から成っていた。すなわち外シャンシュン(sgo pa)と内シャンシュン(phug pa)、中央シャンシュン(bar pa)である。

 これらの地域がどこを含むか、さまざまな異なる意見があるが、私見ではダトゥン・カルサン・テンペ・ギャルツェン(dBra ston sKal bzang bstan pa’i rgyal mtshan)のニェルコイ・ナンバ(Nyer mkho’i snang ba)の分析がもっとも当を得ている。

彼の論文によれば、内シャンシュンにはカイラス山(Ti se)から歩いて3か月の距離の地域まで含むという。そして当地域は32の区域から成り、メサク(Me sag)のパルシク(Par sig)やバダクシャン(Bha dag shan)、バラク(Bha lag)などが含まれるという。

 中央シャンシュンは実際の地域トゥンガリ・コルスム(sTod mNga’ ris skor gsum)、あるいはンガリ3区に相当する。これは湖区のマルユル(Mar yul)、スレート山地域のグゲ(Gu ge)、雪山地域のプラン(Pu hrang)のことである。

 外シャンシュンはメキシェレギャカル(sMad kyi she le rgya skar)として知られるキュンポ(Khyung po)地区とアムド・トゥパ(A mdo stod pa)からングザガン(rNgu rdza sgang)にかけての地域である。

 内シャンシュンと外シャンシュンはシャンシュン国の支配下にあり、シャンシュンという名が冠されているにもかかわらず、古代文献に引用される都や支配者の玉座のある場所は、中央シャンシュンの地域内に位置する。有名な「角(つの)の冠をかぶった18の王」の都、すなわちカイラス山の前のギャンリ・ユロ・ジョンパ(rGyangs ri g.yu lo ljong pa)の要塞やキュンルン、プマルレン(Pu mar hreng)、ツィナ(Tsi na)、タロク(Ta rog)、タゴ(sTag sgo)、カユク(Kha yug)、ルトク(Ru thog)、ラダク(La dwags)などはみな中央シャンシュンにあるのだ。こうしたことから中央シャンシュンは王国全体のなかの核となる地域であり、歴史的にもきわめて重要であることはまちがいない。

 古代より中央シャンシュンは3つの地理的特性で知られていた。たとえば「水晶のストゥーパ」カイラス山のような、さまざまなサイズの雪を冠った山々に、あるいはタクリダボ山(虎模様の山 sTag ri khra bo)のような、さまざまな高さの山々に、もしくはマナサロワル湖(Ma pham)のような、さまざまな広さの湖(gang ri mtsho fsom)に飾られていて、その特性から「雪を冠った峰々、山々、湖群の地」と称されてきた。

 とりわけカイラス山は世界の中心と考えられ、マナサロワル湖は4つの大河の源とみなされてきた。河は西や東へ、そしてインドへと流れた。古代の物語はこの山が人類の起源地であり、無数の文化発祥の地であると謳ってきた。この地がそれほどまでも重要であることはあきらかだった。