シャンシュンのできごと
シャンシュン王国で起きたできことを正確な年代記に編纂するためには、この国を起源とするボン教の歴史的な資料をもとにする必要がある。これらの文献中、繰り返し強調されるのは、シャンシュンの文をはじめて書いたのはボン教の創始者シェンラプ・ミウォチェ(gShen rab mi bo che)であり、彼が登場する時代からシャンシュンの歴史が記述されはじめたということだ。それゆえシェンラプ・ミウォチェが生きた時代のできごとをシャンシュン国の歴史のはじまりよりも前にもってくることはできない。
『シャンシュン口伝』(Zhang zhung snyan brgyud)に記された成就者たちの伝記や歴史をもとに、あるいは『シャンシュン・メリ行法』(Zhang zhung me ri’i sgrub skor)や寺院の法統史、シェン一族の法統を参考に、ボン教創始者が生まれた時代から現在まで流れた時間を計算したくもなるものだ。これらの資料を比較していけば、もっとも真実に近い歴史像が見えてくるはずだ。
ボン教の古い文献のほとんどに記述されている重要なできごとがある。それは「リシュ・タクリン(Li shu stag ring)の誕生から2500年後、法王(ダルマラジャ)チソンデツェン王によるボン教弾圧がはじまった」ことである。
もしこの伝承を基本とするなら、シェンラプ・ミウォチェの誕生から今年(執筆の年の1993年)、すなわち「女・水・鳥」の年まで3910年経過したことになる。
このできごとにおいて、シェンラプ・ミウォチェの基本的守護者はチウェルセルギ・チャルツェン王(Khri wer gser gyi bya ru can)だった。彼は「角のついた王冠をかぶった」18王のうちの最初の王である。このことからシャンシュンのはじまりがシェンラプ・ミウォチェの登場と軌を一にしていると推測することができる。