英雄叙事詩における政治的権威 

 

 英雄叙事詩における政治的権力というテーマに関する私のアプローチの仕方は、著名なロシアの学者ジルムンスキーが、中央アジア(それと西アジア)の英雄叙事詩、すなわちキョロール(KorogluGorogli)について論文で語っていることとほぼ一致している。ジルムンスキーは、物語の民族別のバージョンがいかにそれを創った人々の歴史的な社会構造や心理傾向、社会の理想像に影響を与える独自のキャラクターを持っているかについて特記している。(チャドウィック、ジルムンスキー1969) 

 

 (アゼルバイジャンのキョロールは)ロビン・フッド・タイプの高貴な匪賊である。封建的な社会から追放された彼は社会に対して、ハーン、ベイ、パシャ(以上は称号)に対してゲリラ戦争を仕掛け、隊商に襲いかかって略奪し、驚くべき馬ギラットに乗って英雄的な活躍を見せ、扮装して敵方のキャンプの内部まで入りこみ、歌や輝かしい手柄を披露して、美しい少女たちをかどわかし、連れ去った。人々の意見では、キョロールは強盗や追いはぎではなく、強者や金持ち、有力者に対する闘士であり、同時に不幸な人々の守護者でもあった。(チャドウィック、ジルムンスキー1969) 

 

 それと対照的なのが、キョロール英雄物語のウズベク・バージョンである英雄ゴルグル(Gorogli)である。

 

 (ゴログルは)高貴な匪賊ではないが、トゥルクメンとウズベクのベック(Bek)は高貴な生まれであり、チャムビル(Chambil)の都市と国の支配者である。それはカール大帝、アーサー王、キエフのウラジミール、キルギスのマナス、カルムイクのジャンガルなどと同じく、英雄譚の有名な王である。

 彼は賢明で力強い支配者であり、英雄譚のヒーローだった。異国の侵入者やハーン、ベックなどから人民を守る守護者だった。物語の大衆的な性格とあわせて、ゴログルの姿は庶民のために、とりわけ不運で、抑圧された人々のために尽力する家父長的君主の姿を体現している。一方で伝説的な「ゴログルの時代」と彼の国チャムビルは、有名なユートピアと似てくる。ユートピアというのは、賢明な君主のもとで、社会的正義の永遠の夢が現実になった世界のことである。(チャドウィック、ジルムンスキー1969) 

 

 チベット文化におけるリンのケサルは、ジルムンスキーがアゼルバイジャンの英雄叙事詩の英雄に対して呼んだような「高貴な匪賊」ではない。すっきりしないかもしれないが、ケサルはむしろ、ウズベクのゴログルに近い役割を担っている、あるいはチベット人がケサルと比較したがるラーマのような、インドの元型(アーキタイプ)的な「正義の王」と類似してくる。

 これはとくに驚くべきことではない。英雄叙事詩はチベットの東部と東北部であるカム地方とアムド地方になじみが深く、中央集権的な権力がほとんど存在していない。ここに描写される社会は、ロバート・エクヴァルの民族誌や小説に描かれる1930年代のアムド地方の牧畜民を彷彿とさせる。(19391952195419681981) 

 エクヴァルが描く人々は、ギャルポ、すなわち王や、ゴワなどと呼ばれる部族の長や首領のもとにまとまっている。それはわれわれが王国と呼ぶものとはかけ離れているが、エクヴァルはつぎのように記す。

 

 もし戦争を遂行することが決定されたら、税が賦課されるかどうか、投票で決められるか、ゲンポ(年長者)やゴワ(首領)によって決められることになる。戦争のあと、和平が成立したら、会議や条約締結の際にかかった費用の分担が決められる。首領やリーダーはその地位によって直接的な、物質的な利益を得ることはないが、地位やその影響によって、尋常でない富が蓄積されることになるだろう。常備軍や公務員のような存在は、そもそもない。個人は家臣として、首領や君主のために仕事をし、給料を受け取る。あるいは交易や戦争に参加することによって、そこから直接的に利益を得ることになる。(エクヴァル1939

 

 これが、英雄叙事詩が暗示する、ある種の社会的文脈である。ここは南アジア、東南アジア、東アジアだけでなく、ラサのダライラマの行政府からもかなり離れていた。

 アムド地方やカム地方においては農耕民も多く含まれていたけれど、英雄叙事詩に描かれるチベット人社会は、定着農耕民よりも、遊牧生活を送る牧畜民のほうが多かった。

ケサルや将軍たちが戦った相手である周囲の国々は、より混交が進んでいた。農耕民と牧畜民の同化も進んでいるように描かれていた。

彼らの部族社会の真ん中には、要塞(ゾン)があった。支配者の死とともに、このゾンが破壊される場面が、エピソードのクライマックスだった。現実的には、こうした国の大半は、多かれ少なかれ、中央集権的な農業主体の社会だった。(たとえば中国、イラン、カシミールなど)

 要塞を陥落させたあと、リンの軍隊は征服によって得た戦利品、たとえば薬用ハーブ、神秘的な宝石、家畜、神奇な財宝などを持って凱旋する。(ダヴィッド=ネール、ヨンデン1933

 敗れた部族はしかしながら、中央集権的なリン国に組み込まれるということはない。ケサル王はしばしば死んだ国王の息子や大臣を新しい支配者に任命する。そして部族はリンの同盟国になり、新国王と家臣たちはリンの軍隊とともにつぎの戦争を戦う。

 このようにして、われわれはカチェ・ユゾンのエピソードで、侵攻してきたカシミール人に対し、ともに戦う北の魔国やホル、ジャンの人々を発見する。(カスチェフスキー、ツェリン1972) 

 英雄叙事詩は疑いなくより中央集権的な、ヒエラルキー的な王権の概念の要素を含んでいる。インドのチャクラヴァルティン、すなわち世界王の概念や、より具体的に仏教徒のダルマラージャ、すなわち正義の王(法王)の概念などは、チベットでもよく知られていた。(タンバイア1976) 

 これらの概念、とくにダルマラージャ(チューギャル)は、のち、ある程度、ヤルルン王朝(7−9世紀の吐蕃)の国王たちに適用された。ついでこの概念は、チャンチュブ・ギャルツェン(14世紀)や17世紀以降のダライラマなど彼の継承者に適用され、それによって中央チベットの国家イデオロギーが形成された。英雄叙事詩における王権の概念にもそれは影響を与えているだろう。

 このことはとくに期待されていた。というのも、ケサルの物語はカム地方のリンツァン国の神話的な憲章の役割を持っていたからである。リンツァンのピークは14、15世紀だったが、のちにデルゲ国に組み込まれる地域の大半を含む東チベット(カム地方)を形成していた。(ウライ1985) 

 ほかのチベット人が述べているように、永遠の官僚主義、支配者を中心としたこまかい朝廷儀礼、ダルマラージャ(法王)とチャクラヴァルティンのイデオロギーの要素を含む、より中央集権的なアジアの国々の特徴を得ることになる。遊牧部族の連合体の首長というよりも中央集権国家の支配者としてケサルを見るのは、リンの支配層にとっては当然のことだった。

 英雄叙事詩においても、チャクラヴァルティンとダルマラージャという概念はうっすらと見えないでもない。リンで生まれたバージョンのタギュ(競馬)のエピソードは、恣意的な展開ではあるものの、「チャクラヴァルティンの7つの宝」(チャクラ、女王、馬、大臣、象、将軍、宝石)をめぐる構成である。しかし非常に印象的なのは、ケサルがリンの支配者となる道を描いたタギュのエピソードの最後の3つの歌のなかでさえ、ケサルはこのようには(ダルマラージャのようには)見えないことである。(エルフェ1977

 ケサルは仏教の王ではないと、私は言おうとしているのではない。彼の行動はつねに仏教の教えに立ち戻っているのだ。彼はチベット人を敵の勢力から解放するために地上に送られたパドマサンバヴァの化身なのである。*大半のバージョンでパドマサンバヴァは重要な役目を持つが、「化身」となると、ニンマ派バージョンに限られる。

 仏教徒の支配者になる道は、ひとつではない。しかしながらケサルがダルマラージャ(正義の王、法王)になるためには、ある程度「星雲的国家体制」の中心にいなければならないということなのである。

 のちのチベット人に古典的なダルマラージャとみなされるようになる歴史上の王、ソンツェン・ガムポやチソンデツェンとケサルとを比較すると、違いがはっきりする。7世紀はじめから8世紀末頃に生きていたこれらの王たちは、仏教導入に際して大きな役割を持ち、有名になった。そしてこのことから、アヴァローキテーシュヴァラ(観音、チェンレシグ)や他のボーディサットヴァ(菩薩)の化身と目されるようになった。学術的に言うなら、彼らはダライラマとおなじ転生のメンバーに入れられる。つまりチベット人の猿の祖先までさかのぼることができる。(ラング1969

 イデオロギー的に見ると、これは初期の国王たちの宗教的な役目よりも、17世紀以降の政治的役割について述べている。ソンツェン・ガムポ王とチソンデツェン王はチベットの歴史書や伝説において、仏教の守護者、あるいは仏教徒の原則にしたがった仏法の支配者、また二義的にだが、仏教の教師やタントラの実践者とみなされているのだ。

 とくに注目すべきは偉大なるタントラのグル、パドマサンバヴァの同時代人、チソンデツェン王である。ケサルはパドマサンバヴァの化身とみなされているのだ。

このつながりから、パドマサンバヴァの伝説的な伝記のよく知られたエピソードについて考えてみたくなる。そのエピソードでは、グルと国王の最初の出会いについて語られている。宮廷に到着すると、パドマサンバヴァは国王の前で跪拝することを拒絶する。そしてパドマサンバヴァのパワーに圧倒されて、国王と宮廷人全員が反対にグルの前で跪拝することになってしまった。(ダグラスとベイズ1978

 考えるに、パドマサンバヴァのシャーマン的パワーによって国王が彼の前で跪拝するというのは意味深いことである。国王が自発的にそうした行動を取ったことから、世俗的な権力ではなく、ブッダにより高い価値が付与されることをわれわれは言うことができるかもしれない。

 しかし実際は、少々異なっている。グルのシャーマン的パワーが、国王の世俗的パワーを上回っていると言うべきなのだ。チソンデツェン王はその後パドマサンバヴァの弟子になる。しかし両者の関係は、相変わらず世俗のパトロンとタントラのグルという関係のままだった。

 対照的に、ケサルはパドマサンバヴァの化身であり、弟子ではなかった。世俗のパトロンでもなかった。彼は実際、タントラのグルであり、つまりラマ(高僧)であり、同時に国王だった。彼はしばしばタントラの儀礼をおこない、パワーを高め、タントラの灌頂を与えることもあった。彼はパドマサンバヴァの代理として、シャーマン的パワーを生み出した。ケサルがその能力を高めたパワーはシャーマンの本質であり、それによって彼はソンツェン・ガムポ王やチソンデツェン王とならぶダルマラージャとなりえるのだ。