ロンツェン  ジャムヤン・ギャルツェン 宮本神酒男訳 

 

 ナグラン祭(nag rang)では聖なるダンスが披露され、ロンツェン神(rong btsan)が登場する。

 この二人の神はラダックの社会全体の将来の繁栄を予言する。(現時点で)神が宿る二人の託宣僧を通じて、人々はロンツェン・カルマル(rong btsan dkar dmar)の祝福を受ける。*カルマルは紅白の意。 

 二人の神の究極の目的はすべての苦悩を取り除き、幸福の果実を集めることである。病気や災難を望んでいる人はいない。マント僧院のロンツェン・カルマルは人々が幸せになる手助けをしているのだ。人間の努力ではいかんともしがたいとき、ロンツェンは助けを求められる。このことからゴンパと世俗の人々の間の絆は深まってきた。

 マハーヤーナ仏教の教えによれば、聞くこと、考えること、瞑想すること、論じること、書くこと、儀礼をおこなうこと、といったことは宗教活動であり、人を覚醒へと導くものである。ロンツェン・カルマルは、悟りへの道のさまたげになるものを除去してくれるのだ。

 彼らはまた国内の政治的なできごとを予言することもる。それゆえラダックの政治家はマント神(mangtro lha)を信仰しているという。もしロンツェン神が頭飾に赤いリボンをつけて現れたら、戦争や飢饉、疫病など国家的な災難を呼んでいるとして警告を発しているのだという。

 ロンツェン・カルマルはブッダ、ダルマ、そして高位の宗教者の生命の安全が損なわれないように守っている。とくにサキャ派の伝統を維持し、首席ラマに長く実りある寿命がもたらされるようつとめている。

 もともとこの二人の神はカム地方(東チベット)のカワカポに住む兄弟だったが、この地域の地方神になった。そしてサキャ派の学僧ドルジェ・パルサンにトルマ(儀礼用のいけにえの菓子)によって鎮められると、守護神となってともにラダックまで旅をすることになったのである。この二人の守護神はとても強く、凶暴だったので、彼らが落ち着けるのは谷間の上部だけだった。

 託宣僧は4年ごとに選ばれた。その年の10の月の15日に選定行事が実施されるのである。直接的に関わらない僧侶たちは、この時期、マハーカーラ・プジャをおこなった。

選定行事のとき、僧侶の名が記された紙片が壺の中に入れられた。壺は一枚の紙片が飛び出てくるまでゆっくりと回された。3回やって一度も飛び出てくることがなかったら、その僧侶は託宣僧に選ばれることはなかった。*説明がわかりにくいが、仕組みはガエアガラポン抽選機とそれほど変わらない。紙片に名前が記されるのは、ある程度若い僧侶に限られているようだ。

 託宣僧に選ばれると、適切なトレーニングを行わなければならない。といってもそれは4年のうちの最初の1年のことである。はじめ、彼らは一年間の瞑想修行をするために、小さな部屋にこもる。そこでシュリー・ヘーヴァジュラを慰撫するために、トルマ(儀礼用のいけにえの菓子)を護法神にささげるなどの儀礼をおこなう。

 11の月の14日、サキャ・パンディタの大般般若経(マハーパリニルヴァーナ)の日から1月の16日まで、厳格なこもりの修行をつづけなければならない。この間、彼らはヘーヴァジュラの瞑想をおこなう。その合間にトルマを護法神、とくにロンツェン・カルマルにささげる。

 こもりの時期、彼らは清潔でなければならない。ゴンパの金剛阿闍梨から聖水を受け取り、沐浴する。毎年最初の月の10日に彼らはこもりを終える。彼らは護法神の祠堂に入ると、その身体はロンツェン・カルマルに支配される。トランスがかった状態で彼らは本堂に入り、マハーカーラの祠堂を訪ねる。このときに彼らは人々の訪問を受け付ける。人々がさまざまな問いかけをすると、彼らはそれに答える。

 それから彼らはチサと呼ばれるもうひとつのマハーカーの祠堂に入り、祠堂の前のヴェランダに坐り、ラダックの一般の人々と会う。そしてつぎの一年にラダックで起こることを予言する。

 つぎに彼らは群衆のなかから4人を選び出し、スキュルブチャン(skyur bu can キュルブチェン)と呼ばれる谷間の下方にある場所から杜松(ねず)の枝を持ってきて、7つの杜松の山を積み上げる。これらからロンツェン・カルマルのための祠堂が作られる。4人はここで祝福が与えられ、お守りのひもを贈られる。彼らの仕事はこれで終わる。ロンツェン・カルマルのトランスも次第にとけていき、この日の行事は終了する。

 翌日の11日、彼らの部屋でふたたびトランス状態に入る。トランスがかったまま彼らはマハーカーラ祠堂に入り、そこで高僧や高官を聴衆として受け入れる。託宣僧たちは高官たちに古い衣服やさまざまなものを贈る。それらを高官たちはお守りとする。彼らはそのお返しとして、新しい衣服やさまざまなものを献上する。

 12日と13日、彼らはふたたびトランスに入り、訪問者と会い、個人の質問にたいし、予言で答えるほかは、これといった活動をしない。

 14日、彼らはおなじようにトランスに入り、ゴンパの中庭に出て、マハーカーラに扮した僧侶たち、および彼らを囲む二匹の鹿の僧侶たちといっしょに宗教ダンス(チャム)を踊る。マハーカーラに扮した僧侶たちが踊るとき、二人の神は彼らを助け、また注意深く見守る。

 この6日間(10日から15日まで)、しばしば彼らは中庭で、トランスから出た状態で宗教ダンスを踊る。

 翌日の15日、託宣僧たちは沐浴し、憤怒相の顔が彼らの胸や背中に描かれる。彼らは上下の下着だけを着けて、その上に虎皮のスカートを巻く。骨の首飾りや、昔のラダックの女王が付けていたような遺骨箱のブレスレットを身につける。彼らは顔を布でマスクのように覆う。布は鼻のところに穴がひとつ開いているだけである。そして毛髪はほとんどを上げて頭の上で結ぶ。さらに小さな太鼓とガンデ(木の杖。それを叩いて僧侶らを呼ぶのに使われる)を両手に持つ。

 この日ロンツェン・カルマルはマハーカーラの超越的知識の形で「無」になっていく。つぎに金剛阿闍梨や僧侶たち(bla ma rdo rje slob dpon)は特別な儀礼をおこなう。

 こうした活動を終えたあと、二人の託宣僧はドルジェ・パルサンの僧衣を頭上にかかげたまま僧院に入っていく。実際、この僧衣に触ることなく、彼らは空中に消えていくと信じられている。

 僧院のなかで彼らは金剛阿闍梨(rdo rje slob dpon)から祝福を受け、マハーカーラ祠堂の上階、古代国王の宮廷カロン・ゴンカン(bka’ blon mgon khang)として知られる僧院下部のマハーカーラ祠堂など、奥まったところにあるさまざまな場所を訪ねる。

 彼らは僧院から7キロ離れた山の中に、ラト(lha tho)を作る。ラトは杜松(ねず)の枝葉からできていて、毎年2の月の8日に交換される。この日二人の託宣僧は馬に乗ってここを訪ね、長い時間祈祷し、トランスに入ったまま、スキュルブチャンから運んできたうず高く積まれた杜松の枝葉に頭を突っ込む。

 彼らは2か月間、憑依状態のまま過ごす。目に見える形で僧侶に憑依したあとも、ヘーヴァジュラ(キェー・ドルジェ)のための儀礼はつづけられる。そしてゴンパの金剛阿闍梨(ヴァジュラ・グル、ドルジェ・ロポン)によって祝福される。これもまたラダックの仏教の偉大さを示している。そしてそれは民衆とゴンパの強い結びつきを表していると言えるだろう。ナグラン祭の期間中、何千人もの信者がゴンパにやってくるのである。彼らはやってきて、さまざまな悩みごと、たとえばお金に関すること、家族のこと、国のことなどについてロンツェン・カルマル神に相談してもらう。病気に悩む人も治療を望んでやってくる。どんな問題も取り除いてくれると信じているのだ。ロンツェン・カルマルも信者をあらゆる悪しき力から守ろうとする。

 7日と8日、託宣僧はトランス状態に入らなければならない。そして2月8日の朝、ヘミス僧院とラダック王のもとから馬に乗った使者が到着する。彼らは沐浴し、朝の祈祷のあとゴンパを去る。

 谷間の上方の道に沿ったある場所で、彼らはトランス状態に入る。この状態で馬に乗り、杜松でできたロンツェン・カルマルの祠堂の地域に近づく。祠堂の前で彼らは器に入った穀物を見て予言をする。それは、今年の収穫がどうであるかの占いだった。

 最終的に彼らは託宣僧の肉体から去り、新しく替えたばかりの山積みになった杜松のなかに消えていく。彼らがもどってくるのは次の年である。