媽祖物語 宮本神酒男編訳
8 家を燃やして船を導く
宋朝の時代、湄洲の港には千もの帆がひしめきあい、商業がさかんで、繁栄をきわめた。
当時、興化軍(980-1277年の行政区名。現在の福建省莆田市に相当する)三県には三宝と呼ばれる特産があった。それは莆田のメノウのごとき桂元(ライチと似たフルーツ、竜眼のこと。桂元という若者が竜を倒したが死亡、その墓に竜の両目を埋めたところ、二本の木が生えてきた。その実が竜眼だった)、興化の玉膏にもまさるもち米、仙遊の世界にもまれな蔗糖のことだった。商人たちはこの三宝を取り扱って交易をおこなった。もし航海がうまくいき、遠くまで行くことができたら、百倍の利益を得ることができた。しかし海上で嵐に遭遇したら、財を失い、人命もなくすことになった。
湄洲にはさいわい、林黙という女性がいた。幼い頃から水のことをよく知り、長じてからは風や雲を好きなように扱った。彼女はつねに風を呼び、雨を追い払ったので、楽々と船は航行し、凶事を避けることができた。船に乗る字とはみな彼女を女神と呼ぶようになった。船が暴風雨にあうと、彼女は小舟に乗って海に出て、船を荒れている海上から、浪が静かな海域へといざなっていった。
あるとき、林黙はつづけて十隻の商船や漁船を導いたので、ぐったりと疲れ、晩ごはんを食べると、テーブルの上に頭を伏せたまま眠ってしまった。母親は布団を彼女の上にかぶせてあげた。こうしてやっと林黙は休息をとることができた。
このとき林黙は夢の中で、風が海上を吹きすさぶ音、浪が砕ける音を聞いた。驚いて目を覚ました彼女は、すぐに海辺の崖に立って遠くを見た。朦朧としてはっきり見えなかったが、浪の向こうにいくつかの白い光があらわれては消えた。そしてだれかが叫んでいるのがわかった。
外国からやってきた船が嵐の中で立ち往生していることを彼女は知った。しかしいつものように小舟を出して船を導くというわけにはいきそうもなかった。林黙は家のすぐ外にもどり、中にいる人たちを呼んだ。
「おとうさん、おかあさん、おにいさん、おねえさん、みんな出てきて!」
いまでは家族の者みなが林黙のことを尊敬していたので、声を聞くとすぐに門から外に飛び出した。見ると彼女は油灯を持って茅葺の屋根に向かっていた。つぎの瞬間、屋根から激しい炎があがった。
嵐に遭遇していたのはローマから来た船隊だった。闇夜の中で風雨は激しく、どうしたらいいかわからなかった彼らはパニックに陥っていた。そのとき突然火の明かりが見えたのである。それによって湄洲の港の位置がわかった彼らは、港へ向かって全速力で航行した。
翌日、ローマ船の商人たちは陸に上がった。そして林黙の家が焼け落ちたあとを発見した。家を焼いて船を導いたことを知って、ローマの船員たちはみな感動した。家を建て直すのを彼らは手伝いたかったが、彼女はことわった。
「家の修復はもうすぐ終わります。心配しなくても大丈夫です」
見ると、村中の人々がやってきていた。木を運ぶ人もいれば、瓦を運ぶ人もいた。みなが力を合わせて屋根をあげた。ローマの商人たちはこの様子を見て、さらに感動した。この件のあと、内外の人々はみな口にするようになった、「興化の特産はすばらしい、でも興化の人々の人情はもっとすばらしい!」と。こうして興化に来て商売をしようという人々がさらに増えたのである。